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バンコクその3 バンコク北部 (H17.3.11)

アユタヤ



アユタヤ  ワット・プラ・マハタート


ワット・プラ・マハタートの遺跡


アユタヤはバンコクの北約75kmにあるタイの古い都です。

1350年、初代ウートン王によって王朝が開かれて以来、アユタヤは417年にわたって王都として繁栄しました。

しかしながら、1767年、宿敵ビルマ(現ミャンマー)軍の侵攻によって街は崩壊し、「無敵の都」の栄華も終わりを告げました。



現在のアユタヤに残る寺院や宮殿、仏像は、ビルマ軍による破壊の跡が目立ちますが、往時を伝えるものとして1991年に世界遺産に登録されております。

かつて水の都と呼ばれたアユタヤは、四方をチャオプラヤー川と複雑に入り組んだその支流に囲まれており、天然の外堀に守られた島のような形状です。


ワット・プラ・マハタートの遺跡


ワット・プラ・マハタート


ワット・プラ・マハタート


島の東側はホテルやバスターミナルがある現代の町並みで、西半分にかつての王宮跡や寺院などの歴史建造物が並んでいます。

17世紀に朱印船貿易に携わった日本人が築き上げた日本人町が残っているのも,アユタヤのすぐ隣です。


アユタヤ王朝は、現在のチャクリー王朝の2つ前の王朝です。

ワット・プラ・マハタート

14世紀の重要な寺院の一つです。

ラーメスアン王が建てたという説やボロム・ラチャシラット1世が建てたという説などがあります。

金色に輝く中央の仏塔は高さ44mでしたが、1633年にプラサート・トン王が修復し50mの高さにまでなりました。


ワット・プラ・マハタート寺院跡

周囲の仏像は頭部がありません


トンボに眠る仏頭 右上は頭部のない仏像


しかし、ビルマ軍によって特に激しく破壊され、現在では頭部を刈り取られた仏像などが残っているだけです。

1956年に大がかりに遺跡の発掘調査が行われ、貴重な宝飾品が発見され、国立博物館に収蔵されています。

敷地の中には、神聖な木、トンボに眠る仏頭もありました。

ワット・プラ・シー・サンペット

ウートン王がアユタヤ王国を建設した際の王宮があった場所です。

1426年に火災で王宮は焼失し、現在の王宮跡に王宮が再建されました。

代わって最初の王宮の跡地に建てられたのが王室の守護寺院ワット・プラ・シー・サンペットです。


ワット・プラ・マハタート


ワット・プラ・マハタート


ワット・プラ・マハタート


1491年に王の遺骨を納めるためのチェディ(仏塔)が建造されました。

さらに、1500年には高さ16mの仏立像が建造されました。171kgもの金で覆われた“輝く黄金像”は、アユタヤの富の象徴でもありましたが、この黄金像は1767年のビルマ軍の侵攻で完全に破壊され、現在は白く風化した3基の仏塔が残っているのみです。

仏塔の中には歴代王3人の遺骨が納められており、ワット・アルン同様に王室の重要な寺院です。


ワット・プラ・シー・サンペットの仏塔


ワット・ラーチャブラナ


王位継承を争って死亡した2人の兄を弔うために、1424年に8代ボロム・ラチャシラット2世が建立。

仏塔の地下には、タイ最古の壁画があります。

1958年の発掘調査の際には、2世が1431年にアンコールワット進攻の際に持ち帰ったといわれる、さまざまな宝物類や仏像が発見されています。

ワット・ラーチャブラナ


ワット・プラ・ラム


ワット・プラ・ラム


初代ウートン王の菩提寺です。

ウートン王の遺骨を納めるため、2代目のラーメスアン王が建立したものです。ビルマの進攻によって破壊され、現在は4基のチェディ(仏塔)と、壊れた石像が残っています。

トウモロコシに似たプラーン型のチェディは、漆喰による仏像の彫刻が美しい。

ワット・ロカヤ・スター

ビルマ軍によって境内は破壊され、ワットと名前が付いていますが寺院はありません。

青い空の下で、サフラン色の袈裟をまとった白い寝釈迦仏が悠然と横たわっています。

アユタヤの中でも特に印象に残る観光名所です。

仏像は高さ5m、長さ29mあります。


ワット・ロカヤ・スター



象に乗る観光客

アユタヤ遺跡の象

昔は伐採した材木を運ぶ仕事で活躍していた象が、アユタヤでは観光客を乗せて歩くのが仕事になっています。

座椅子や日傘など古式豊にドレスアップされている象に乗って、観光するのも悪くありません。

左後方の池に移っているのは、ワット・プラ・ラムです。


風来坊も200バーツ、10分の旅に出かけて見ました。

しかしながら、象が歩く時の背中の動きが椅子にダイレクト伝わるためか、結構揺れが大きくて、戦勝パレードの王様気分とは行きませんでした。

日本から来ている若いグループにも出会いました。


日本からの若い観光客も



バンパイン宮殿(バンパイン夏離宮)



バンパイン宮殿・明天殿


バンパイン宮殿

アユタヤから南に約20km、チャオプラヤー川の中洲に立つバンパイン宮殿(バンパイン夏離宮)は、1632年にアユタヤ朝の第26代プラサート・トーン王によって建造されました。

以来、歴代王の夏の離宮として使用されましたが、1767年のアユタヤ王朝崩壊後は約80年間も放置されていました。

19世紀になってラーマ4世からラーマ5世の時代にかけて再建されて、昔の姿を取り戻しています。


現在でもここは王室の所有ですが、王室関係者は外国高官の公式訪問などの特別な時しか使用しないため、一般に公開されています。

入場に際しては王宮と同様の服装チェックがあります。


敷地内にある建物は中国風やタイの伝統様式、さらには西洋の技法を用いたものなど、どれもが興味深く見ることができます。


バンパイン宮殿の光景


バンパイン宮殿内の光景


バンパイン宮殿内の光景


ブラ・ティナン・アイサワン・ティバヤ

池に浮かぶタイ建築

池の中央に浮かぶタイ式建築のブラ・ティナン・アイサワン・ティバヤは、ラーマ4世がバンコクの王宮に建てた建造物のレプリカで、別名「水上パレス」とも呼ばれています。

内部にラーマ5世像が安置されています。湖水が濁っているため、湖面に映る美しい光景が撮れなくて残念です。


ポルトガル様式の天文台


ラーマ4世が天体観測をしたポルトガル様式の天文台ホ・ウィトゥン・タサナー。

見晴台から美しい庭園を一望できます。


ポルトガル様式の天文台


中国建築の明天殿


中国建築の明天殿

雨季などに住まいとして利用されていたこの宮殿は、動物が描かれた床のタイルから細かい装飾に至るまで、すべて中国の資材が用いられています。

伊万里焼の壺や、ラーマ5世の寝台なども展示されています。室内は撮影禁止です。


イタリア・ルネサンス風の迎賓館

広々とした敷地には、王の謁見の間として利用されたイタリア・ルネサンス風の建物があります。

現在も迎賓館として利用されています。


イタリア・ルネサンス風の迎賓館


バンパイン宮殿内の光景


バンパイン宮殿内の光景


バンパイン宮殿内の庭園


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王宮周辺リア

水上マーケット

バンコクの風情


           風来坊



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