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妙心寺境内
南総門
妙心寺は臨済宗妙心寺派大本山で、山号は正法山です。 南北朝時代、第95代天皇花園法皇の離宮を改め、禅寺にしたのが始まりです。 開山は関山慧玄、開基は花園法皇で、歴応5年(1342年)の創建です。
現在の妙心寺は、塔頭46ヶ寺、末寺は日本をはじめ世界各国にわたり3400ヶ寺あまりあり、在籍僧数は約7千人です。 約16万平方メートルの寺地に七堂伽藍は南から北に向かって整然と置かれています。 その中央には勅使門、三門、仏殿、法堂、寝堂、玄関、大方丈、小方丈、庫裏が並び、東側には浴室、鐘楼、経堂が配されています。 そして回りを46の塔頭寺院が取り巻いています。
三門
大方丈
境内一円が国の史跡に指定されています。 境内の大部分は無料で見学できますが、一部は有料です。 今回は法堂と浴室を拝観しました。拝観料は500円です。 法堂は江戸時代の建立で、今日でいう多目的ホールです。 仏像は安置されず、住持による法座や坐禅が行われます。
法堂
法堂には有名な天井画(雲龍図)があります。狩野探幽の筆によるもので、その龍の目はどこからみてもこちらをにらみつけているように見えます。 法堂には国宝の梵鐘(黄鐘調の鐘)があります。もとは鐘つき堂にあったものを法堂内に移動されたものです。この鐘はおよそ1300年前に造られた日本最古の紀年銘鐘です。 数年前まで実際に突かれていて、余韻の長い美しい響きをもつ鐘です。 拝観すると鐘の音を聞かせてくれます。
仏殿
浴室
浴室は明智光秀を供養するために建てられたものです。現代の風呂とは違い蒸し風呂になっています。 妙心寺には織田信長の墓もあります。京都の寺院にはよくあることなのですが、織田信長と明智光秀という雌雄を決した敵がともに供養されているのがおもしろいところです。 織田信長の墓は見学することはできません。
妙心寺の広大な境内 道路の左右に塔頭が
妙心寺の広大な境内には46の塔頭があります。 塔頭は元来は高僧の墓のことで、その近くに小庵を建てて弟子達がそこを守っていました。 年月を経るとともに増加したそれらの小庵が、明治以降寺として独立したために、妙心寺などの大寺院には多くの寺院が存在する状況となっています。
妙心寺の境内 道の左右に塔頭が
妙心寺内の多数ある寺院の中で、常に公開されているのは桂春院、退蔵院、大心院と妙心寺の大方丈だけです。 ただし、春秋の特別展や京の冬の旅などの特別公開で、いつもは公開されていない非公開寺院が公開されることがあります。 今回は、麟祥院(特別公開)、大法院(特別公開)、退蔵院を訪ねました。
麟祥院
麟祥院は徳川第3代将軍家光の乳母「春日局」追福のため碧翁和尚を開山として、寛永11年(1634年)に建立された寺院です。 寺院内にある御霊屋は、仙洞女御所にあった釣殿を後水尾天皇より下賜されたものです。
方丈の襖絵を描いた海北友松の子、海北友雪は春日局と関係が深かったと言われています。 友雪の方丈襖絵「雲龍図」は江戸時代初期の名作と言われています。 残念ながら室内は撮影禁止でした。
麟祥院・春日稲荷
大法院
信州松代藩主であった真田信之(真田幸村の兄)の菩提樹として寛永2年(1625年)に創建されました。 寺院の名は、信之の法名(大法院殿徹岩)に由来しています。 境内墓所には佐久間象山の墓があります。
大法院 露地庭園
大法院の見所は客殿を囲むようにして作られている露地庭園です。 露地とは茶室に付随する庭の意味で、仏教では「清浄世界」を表し、幽玄を醸しだすと言われているそうです。 庭の随所に心配りがあり、限られた庭園がまるで自然界の中にいるようにゆったりと広々と感じます。 春の牡丹、秋の紅葉が素敵な寺院で、春と秋に特別公開されています。
退蔵院
退蔵院は、無因宗因禅師を開山として応永11年(1404年)に創建され、応仁の乱で焼失しましたが、亀年禅師によって再建されています。 退蔵院は妙心寺塔頭の中でもかなり大きな敷地を有しています。
退蔵院 庭園
室町時代に作られた枯山水の名園は、画家であった狩野元信の作で、「元信の庭」と呼ばれています。 画家としての元信が立体的な絵として庭を描いたのでしょうか?
また、退蔵院には、山水画の始祖と言われる如拙の晩年の名作、瓢鮎図(国宝)があります。 瓢鮎図は足利尊氏が命じて如拙に描かせたもので、ナマズを瓢箪で捕まえるという難題を当時の禅僧に考えさせたそうです。 この絵は教科書などにも良く登場します。
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