散策スポット目次
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開運橋
小野川沿いの散策路
小野川の遊覧船
千葉県北部の佐原は、古くから水郷の町として栄えました。 町を南北に流れる小野川沿いと香取街道沿いには古い商家が立ち並び「北総の小江戸」と呼ばれています。
映画やドラマの撮影にも数多く登場する日本情緒溢れる町でもあります。 また、日本で最初の実測地図を作り上げた「伊能忠敬ゆかりの地」としても知られています。
このような歴史景観をよく残し、またそれを活かしたまちづくりに取り組んでいることが認められ、平成8年12月、関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。 「重要伝統的建造物群保存地区」には昔からの家業を引き継いで、現在も営業を続けている商家が多く、「生きている町並み」として評価されています。
水郷佐原観光協会作成の観光MAPには、佐原の町を徒歩で散策するコースとして「街並みルート」「忠敬ルート」の2つ紹介されています。 「街並みルート」は所要時間約4時間で道のりは約1時間、「忠敬ルート」は所要時間約5時間で道のりは約2時間です。 両者のコースをチェックすると、「忠敬コース」は「街並みルート」プラス周囲の神社等の散策になっていました。
今回は「忠敬コース」を散策しましたが、レポートは「街並みルート」を紹介し、その後で「忠敬ルート」のプラス分を紹介します。街並みルートは次のとおりです。 佐原駅→開運橋→町並み観光中央案内所→旧油惣商店→正文堂書店、小堀屋本店、福新呉服店→馬場本店酒店→東薫酒店→清宮秀堅宅→与倉屋大土蔵→伊能忠敬記念館、桶橋、伊能忠敬旧宅→小野川観光船→正上→水郷佐原山車会館→佐原町並み交流館、三菱館→忠敬茶屋→中村屋乾物店、忠敬橋、中村屋商店→佐原駅
小野川
小野川沿いの町並み 上州屋酒店
木の下旅館
JR佐原駅から真っ直ぐ50mほど進んだ三叉路左手に「駅前観光案内所」があります。 「駅前観光案内所」の手前を左折して100mほど進んだ丁字路を左折し、踏切の手前を右折して線路沿いに300mほど進んだところが「開運橋」です。 橋の下を流れているのが小野川で、川沿いには江戸時代や明治・大正・昭和の初めに建った商家や土蔵が立ち並んでします。
小野川の左岸に沿って上流に200mほど進んだところに「町並み観光中央案内所」があり、その両隣が「木の下旅館」「並木仲之助商店」です。 「並木仲之助商店」は、明治34年の創業で、当時は日用雑貨品を扱っていました。 現在は手透きの和紙や便せん、祝儀袋などを扱っています。 この付近の小野川護岸の一部は東日本大震災により崩れたままになっていました。
町並み観光中央案内所
並木仲之助商店
「町並み観光中央案内所」から200mほど進んだところが「忠敬橋」で、橋の手前にあるのが「旧油惣商店」です。 創業は寛政6年(1794年)で、奈良漬けづくりを始め、明治から昭和戦前まではアメリカに輸出していました。 旧店舗は、木造・寄棟妻入2階建の瓦葺で、間口三間半、奥行五間の大規模な総2階建で明治33年(1900年)の建築です。
土蔵は切妻平入2階建の瓦葺で、屋根裏を含めると3階建です。 棟札に「寛政十戌午歳九月 立之大工 佐吉立之」とあり、佐原最古の土蔵の可能性があります。 江戸、明治、大正、昭和30年までの建物、家財がそのまま維持されています。 東日本大震災による損傷のためテントで覆われていました。
忠敬橋 左は香取街道
香取街道の古い商家
坂下だんご店
忠敬橋を右折して香取街道に入ると右側に古い商家が並んでおり、一番手前が正文堂書店です。明治13年(1880年)に建てられた店で、江戸時代には和本の出版、販売をしていました。 大黒柱は欅材、2階の窓は土塗の開き戸、さらに横引きの土戸に板戸と、三重に防火設備を伏した土蔵造りとなっています。建物の正面には登り龍、下り龍が彫られた屋根付きの飾り看板があり、ほかの建物にない存在感を醸し出しています。 東日本大震災による損傷の復旧工事中で建物はテントで覆われており見学できませんでした。
「正文堂」の3軒隣りが「小堀屋本店」です。 天明2年(1782年)創業の蕎麦処で、店舗は明治25年(1892年)、土蔵は明治23年(1890年)の建築です。 建物は木造2階建てで、店舗、調理場、土蔵が一体となった明治時代の形式をそのまま残しています。 表のガラス戸は明治35年(1902年)に旧佐原市で初めて使われたもので、貴重な文化財です。
小堀屋本店(左側)
福新呉服店
「小堀屋本店」の隣りが「福新呉服店」です。 文化元年(1804年)の創業で、店舗は明治28年(1895年)、土蔵は明治元年(1968年)の建築です。 前面と側面は土蔵造りの堂々とした間口で当時の隆盛が偲ばれます。 店舗奥には、井戸のある中庭があり、文化財の土蔵やトイレなどを一般公開しています。 佐原の商家の典型的なつくりで、映画、ドラマのロケ地として使われています。
「福新呉服店」は、生活空間であるたたずまいそのものが生きている博物館として「佐原まちぐるみ博物館」の一号館となっています。 昔の生活道具や衣装なども置かれ、自由に見学できます。 「佐原まちぐるみ博物館」は、各家に残る古い道具類や暮らしぶり、伝統の味や技、コレクション等、自慢の宝をそれぞれの家で公開し、訪れた方に楽しんでいただき、佐原のまちをまるごと博物館にしてしまおうという活動です。
小堀屋本店別館
虎屋菓子舗と紀の国屋品店
佐原を愛する地元の女性を中心とした「佐原おかみさん会」によって運営されています。 「佐原町ぐるみ博物館」の掲げた42のお店では見るだけでなく会話も楽しむことができます。
「福新呉服店」の隣りが「小堀屋本店別館」で、その50mほど先に「八木清商店」その向かいが「虎屋菓子舗」「紀の国屋品店」です。 「八木清商店」は慶安2年(1649年)の創業で、醤油やいも菓子を販売しています。 カステラに純米吟醸酒を染み込ませ、2週間熟成した「純かすてら」が話題で、いまや佐原の新名物となっています。
虎屋菓子舗
紀の国屋品店
「虎屋菓子舗」は、明暦3年(1657年)に創業した和菓子の老舗です。 地元のさつま芋、佐原金時さわらっこを使った芋ようかんなど、素材の味わいを生かした菓子作りを心がけています。年中味わえる芋アイスや、焼き菓子、佐原っ子芋太郎も人気とのことです。 「紀の国屋品店」は「佐原まちぐるみ博物館」の一つでテーマは「古き良き時代の物達 博物館」です。佐原に店を構えた初代が買い求め使っていた物が展示されています。
馬場本店酒造
「八木清商店」から香取街道を100mほど進んだ右手が「馬場本店酒造」です。 江戸開府に前後して整備された利根川は、江戸への物資輸送の要として多くの廻船が行き交い、佐原はその中継地として繁栄を極めていました。 また、水郷といわれるほどの豊富な水と、その水を利用した米作りも盛んでした。 米どころ、そして豊富な水があることから、「関東の灘」といわれるほど酒造りが盛んになり、かつては周辺に36軒もの酒造家があったとのことです。
「馬場酒造本店」は、天保13年(1842年)に酒造りを始めた蔵元で、日本酒や味醂の醸造を長年に亘り営んでいます。 機械による大量生産はせず、できる限り伝統の製法を守り、人の手で丹精込めた酒造りを行っているとのことです。 幕末に滞在した勝海舟にちなんだ大吟醸「海舟散人」は平成20年の全国新酒品評会で金賞を受賞しています。 また「最上白味醂」は、古くから多くの料理人より高い評価を得ているとのことです。 敷地内の展示スペースで樽や柄杓など、昔の酒造りの道具を見ることができます。 「馬場本店酒造」から50mほど進んだところが「東薫酒造」です。
「東薫酒造」は文政8年(1825年)の創業で、180年以上に亘って酒造り一筋に歩んできた老舗です。 芳醇な香りの大吟醸「叶」は全国新酒鑑評会で11回の金賞のほか、様々な賞を受賞しているとのことです。
東薫酒造
「東薫酒造」では、酒造りの行程を案内人の説明を聞きながら無料で見学することができます。所要時間は約30分です。 見学後は無料できき酒ができます。 大吟醸「叶」は有料で、グラス1杯300円です。
ほていや蔵店
「東薫酒造」から「馬場本店酒造」に戻ると、交差点の筋向かいにあるのが「ほていや蔵店」です。 「ほていや」は和洋菓子を製造販売している佐原を代表する和菓子店です。 和菓子はお土産、贈答用として、和菓子はお茶菓子やおやつとして、地元の人や観光客に親しまれています。
ほていや蔵店の蔵
喫茶店:蔵楽創
看板商品は黄味あんをやさしく包んだ「佐原ばやし」です。 昭和48年に天皇皇后両陛下献上の栄を賜り、第23回全国菓子大博覧会では名誉総裁賞を受賞しています。 開運橋の近くにある「ほていや本店」には、山車「神武天皇」の精巧な1/5山車模型が展示されているとのことですが、見逃しました。 「ほていや蔵店」の店舗の裏側には、蔵を利用した喫茶店「蔵楽創」があります。
清宮秀堅宅
交差点を右折して「ほていや蔵店」を左手に見て50mほど進んだ右手が、漢学者として多くの著書を残し、村長として村政にも関わった「清宮秀堅(1809年〜1879年)」の屋敷です。 住宅は明和2年(1765年)、道路に面した土蔵は江戸末期から明治初期の建築です。 個人の住宅のため見学はできません。
与倉屋大土蔵
与倉屋
「清宮秀堅宅」から200mほど進んだ右手が「与倉屋」で、その向かいに「与倉屋大土蔵」があります。 与倉屋は明治初期は酒醸造業を営み、その後醤油製造業を戦後まで続け、戦後は昭和30年頃まで製粉業を営み、現在は倉庫業をしています。 現在の店は明治初期に建て替えられ、格子戸のある住まいは当時の雰囲気を醸し出しています。
店の向かいの蔵は戦後まで、年貢前の貯蔵庫として使われていました。 また、道路沿いには明治22年(1889年)建造の日本最大級の大土蔵の外観を見ることができます。
小野川沿いの光景
無料休憩所
大土蔵に沿って道なりに進んでいくと小野川沿いに出ます。 小野川沿いに出たところにこの側観光船の乗り場があり、左手には無料休憩所があります。 小野川沿いに200mほど進んだところに伊能忠敬記念館、樋橋、伊能忠敬旧邸があります。
樋橋と伊能忠敬旧宅
伊能忠敬旧宅 屋根には関東大震災の被害でビニールシートが
伊能忠敬は、延享2年(1715年)に九十九里の小関村に生まれ、17歳の時に佐原村の伊能家の婿養子に入りました。 当時の伊能家は酒、醤油の醸造や米の売買を行う大商家でした。 忠敬は伊能家の主人として家運を盛り立て、また村の名主として活躍しました。
伊能忠敬旧宅入口
土蔵
50歳で隠居した後、江戸に出て本格的に天文学と地理学を学びました。 55歳から10回に分けて全国測量を行い、その間歩いた距離は約3万5千kmといわれています。 その成果は「大日本沿海輿地全図(輿全地図)」として、忠敬が73歳で没した3年後に、弟子達の手によってまとめられました。
伊能忠敬像
伊能忠敬家家訓
忠敬が18歳から50歳まで30年余りを過ごした家が保存されています。 平屋建ての旧宅は、造り酒屋や米穀を商っていた表の店舗部分と母屋、その奥に文政4年(1821年)に建てられた土蔵があります。 小野川に面した「伊能忠敬旧宅」の正面には「だし」と呼ばれる荷揚場があり、現在は観光船の乗り場になっています。
伊能忠敬旧宅と荷揚場
伊能忠敬記念館
樋橋
「伊能忠敬旧宅」と「伊能忠敬記念館」との間に、樋橋が架かっています。 もとは江戸時代の前期に作られた佐原村用水を小野川の東岸から対岸の水田に送るための大樋でした。 300年近く使われ、戦前にコンクリートの橋になってからも橋の下側につけられた大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ちて「ジャージャー」と音を立てるので「ジャージャー橋」の通称で親しまれていました。
落水中の樋橋
小野川の観光船
現在の橋は観光用に造られたもので、30分ごとに落水させています。 この樋橋の落水は「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
関連するホームページ 水郷佐原観光協会 佐原散策その2へ 佐原散策その3へ 風来坊