しかし、秀衡死亡後の文治5年(1189年)閏4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡公の子・泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝えられています。
丘の頂上には、天和3年(1683年)仙台藩主第4代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂があり、中には義経公の木造が安置されています。
高館からの眺望は平泉随一といわれ、眼下に北上川が流れ、遠く束稲山の連山を望むことができます。
また西からは、かつてその流域で前九年・後三年の役の戦いの場であり、弁慶立往生の故事でも知られる衣川が北上川に合流しています。
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