散策スポット目次
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浄土庭園
毛越寺は嘉祥3年(850年)、慈覚大師円仁が開山し、藤原氏2代基衡から3代秀衡の時代に多くの伽藍が造営されました。 往時には堂塔40、僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。
奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失しましたが、昭和29年から5ヶ年間にわたって全面的に発掘され、その規模などほぼ全容があきらかにされました。 現在は大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、往時の栄華をうかがい知ることができます。 国の特別史跡、特別名勝の二重の指定を受けています。
本堂
本堂 毛越寺一山の根本道場です。 鮮やかな朱塗りの柱が目を引く、平安様式の建物で、平成元年(1989年)に再建されたものです。 本尊は薬師如来で、平安時代の作です。 本尊の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りには本尊を守護する四天王が安置されています。
毛越寺はモウツウジと読みます。 通常、越という字をツウとは読みませんが、越は慣用音でオツと読みます。 したがってモウオツジがモウツジになり、更にモウツウジに変化したものとのことです。
芭蕉句碑
芭蕉句碑 元禄2年(1689年)に高舘を訪れて詠んだ 夏草や 兵どもが 夢の跡 が刻まれています。 左の小さな碑が芭蕉の真筆といわれ、芭蕉の甥碓花坊也寥禅師により建碑されたものです。 右の碑は文化3年(1806年)に地元の俳人たちのよって建てられた副碑です。
その向かい側に英訳の碑があります。 岩手県生まれの新渡戸稲造が英訳して、毛筆で揮毫したもので昭和42年の建立です。
英訳の句碑
南大門跡
南大門跡 南大門は二階惣門ともいい、両脇に仁王像を安置し、正面に「金堂円隆寺」の勅額を掲げ、門の東西に築地塀が巡らされていました。 礎石12個が現存しています。
浄土庭園 仏の世界すなわち浄土を地上に表現したと伝わる庭園です。 大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、橋のたもとをかざる橋引石、枯山水風の築山、遺水などの石組を配しています。 この景観は平安時代に書かれた日本最古の庭園書である作庭記に基づいて作られた学術的にも貴重な庭園です。 800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せています。
大泉が池 庭園の中心は、四季の美しさを映す大泉が池です。池は東西約180メートル、南北約90メートルあり、作庭当初の姿を伝えています。 池のほぼ中央部に東西約70メートル、南北約30メートルの勾玉状の中島があります。 池の周辺や中島にはすべて玉石が敷かれています。
昔は南大門前から中島南まで17間の反橋、金堂側から中島北まで10間の斜橋の2つの橋が架かり池を東西に二分していたとのことです。 橋の四隅に据えられた橋挟石や南の反橋の橋杭は残存しています。 また直径27センチの大面取の橋杭は二本だけ抜き取られて、宝物館に陳列されています。 これは橋の遺構としては、わが国最古のものです。
築山 大泉ヶ池の南西の隅、南大門の西寄りに築山があります。 池水面より4メートルほどの高さがあり、水際から山頂近くまで大小各種の石を立て、岩山の姿を造り出しています。 深い淵に臨む断崖の景観を思わせ、「作庭記」に記されている「枯山水の様」の実例と考えられています。
築山
洲浜
洲浜 柔らかい曲線を描いたような砂洲と入江は、海岸線の砂浜の優雅な美しさを表現しており、池の南西隅の築山に対照させた景観です。 他に比べて池底を特に浅くし、広々と玉石を敷き詰めているので、水位の昇降に応じて現れるゆったりした姿を眺めることができます。
出島石組と池中立石
出島石組と池中立石 荒磯の趣を表した出島です。 水辺から水中へと石組が突き出し、その先端の飛び島には2.5メートルの立石を中心とする石組みがあります。 庭園のなかで最も美しい景観の一つです。
開山堂
開山堂 毛越寺を開いた慈覚大師円仁を祀る堂です。 大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置しています。 初夏には開山堂の近くで「毛越寺あやめ祭り」が開催されます。
毛越寺境内は昭和29年から5ヶ年間にわたって全面的に発掘され、その調査結果に基づき、嘉祥寺跡、講堂跡、金堂円隆寺跡、経楼跡、鐘楼跡、常行堂・法華堂跡などの伽藍遺構が保存されています。
嘉祥寺跡
嘉祥寺跡 嘉祥寺は2代基衡が工事を始め、3代秀衡が完成させた堂で、本尊は薬師如来です。 54個の巨大に礎石が完全な形で残されています。 この堂跡は金堂円隆寺とほとんど同規模の上に、同規模同形式の廊が付属することからみて、金堂なみに高い地位であったとされています。
金堂円隆寺跡 金堂円隆寺は2代基衡が万宝を尽くして建立した勅願寺で、本尊は雲慶作の丈六の薬師如来でした。 毛越寺の中心的伽藍で、東西に翼廊が出て南に折れ、東廊先端には鐘楼が、西廊先端には経楼がありました。 基壇は石造り壇上積です。
庭園の紅葉
遣水
遣水 遣水は池に山水を引き入れるための水路ですが、水底に玉石を敷きつめ、蛇行する流れに水切り、水越し、水分けなどの石組みが配されています。 北東から水を入れ南西に水を出すことから「吉相の源流」といわれています。
平安時代の完全な遺構としては、日本唯一のものです。 この遣水を舞台に毎年5月に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催され、平安の雅な情景が作り出されます。
常行堂
常行堂 現在の常行堂は、享保17年(1732年)に仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建されたものです。 堂は宝形造りで須弥壇の中央に本尊・宝冠をかぶった阿弥陀如来像、両側に四菩薩像、奥殿には秘仏としてあがめられている摩多羅神が祀られています。 33年に一度開帳されます。
鐘楼堂 現在の鐘は昭和50年、人間国宝香取正彦氏の作で、天台座主山田恵諦大僧正の銘が刻まれています。 姿形は、平等院風を思わせ、美しい音色を響かせています。
鐘楼堂
宝物館
毛越寺一山に伝わる平安期の仏像、書籍、工芸品、発掘遺品、調査資料、延年の舞用具などを陳列しています。
拝観料 500円 関連するホームページ 毛越寺 平泉散策その1へ 平泉散策その3へ 風来坊
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