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今年の龍舞と獅子舞の演技は、2月16日(土)と2月17日(日)に、山下町公園で行われました。 今年の龍舞は神戸市立兵庫商業高等学校龍獅團の男子学生によって演じられました。 若い人の演技だけあって、活気に満ちたものでした。
被写体が大きすぎるからといって、超満員の会場では移動して撮影することもできず、ただひたすらにシャッターを押し続けるしかありませんでした。 動きのある龍舞や獅子舞を、静止画像で果たして巧く表現できるか否かは疑問ですが、アップしてみました。
春節娯楽表演のイベントが開催される山下町公園は、氷川丸が係留されている山下公園ではありません。 横浜中華街の関帝廟通りにある、中華街唯一の小さな公園です。 山下町公園の所在する、横浜市中区山下町135番地は中華街の歴史にとって重要な場所でもあります。
明治初年に横浜で暮らす中国人は約1000人でしたが、その中の有力者、いかほ韋香圃が明治3年(1870年)頃、居留地135番地、現在の山下町公園所在地に開いたのが會芳楼です。 會芳楼は劇場兼料亭で、その頃の居留地では劇場は珍しかったので、中国人だけでなく、西洋人や日本人も利用する娯楽施設となりました。
中国からの名優を招いての演劇や、西洋人のアマチュア劇、日本人の綱渡りなどの曲芸が披露され、浮世絵にも會芳楼が描かれていつとのことです。 また当時の新聞によれば、館内には中国明朝以来の書画・骨董や盆栽が陳列され、庭園には「香草奇樹」が植えられ、訪れる人々を楽しませていたとのことです。
會芳楼はその後経営者の交替などが影響して明治10年頃には姿を消しました。 しかし、居留地135番地という場所が中華街の中心の一つであったことから、明治16年(1883年)に、135番地に清国領事館の新館が落成し、それまで居留地145番地にあった領事館が移転してきました。
当時の中国は清朝の時代です。 日本と清朝中国(清国)は、明治4年(1871年)年に日清修好条規を締結し、それにもとづいて清国から公使・領事が派遣されていました。横浜の清国領事は、横浜に暮らす中国人だけでなく、築地居留地、函館居留地に暮らす中国人も管轄していたとのことです。
1911年の辛亥革命で清朝中国は倒れ、中華民国が生まれました。 辛亥革命の主導者、孫文は日本亡命中に横浜に滞在しており、横浜華僑は革命の成功に貢献したといわれています。 本国の政権交替により、横浜の清国領事館も中華民国領事館となり、関東大震災で明治時代の領事館の建物は倒壊しましたが、再建後1932年頃まで135番地に所在していました。
その後は、戦争などで135番地の所有や用途は転々と移り変わりましたが、昭和35年(1960年)に児童公園設備事業の一環で諸施設が整備され、山下町公園として開園しました。 施設の老朽化に伴い改修が行われ、2000年6月20日にリニューアルオープンしました。
その時に落成した四阿(あずまや)は、會芳楼(かいほうろう)にちなんで「會芳亭」と名付けられました。 會芳亭を中心に,獅子のモニュメントや欄干などが設置され、亀甲竹やサルスベリなどを植栽した中華街の新たなスポットです。 関帝廟通りに面しており、地元の方々や中華街への来街者が憩える場所となっています。
獅子は中国本土には棲息しておらず、古代文献や見聞によって描かれた想像動物です。 獅子は門の前で家を魔物から守っているものと信じられ、現在でも廟や宮殿その他建造物の前には必ず左右一頭ずつ石造獅子を置いて、「駆邪と降福」を祈っています。 そして民俗的に強力な想像上の霊物である獅子が人々の生活をおびやかす悪霊を圧服するという獅子舞を育成したと伝えられています。
中国獅子舞は「駆邪と降福」の象徴として、古代中国社会のとくに封建的農村の生活風俗に大きく影響を与えた神事であり芸能です。 獅子舞は、清朝・乾隆皇帝が、夢に見た聖獣をそっくりに作らせ、二人の舞い手を中に入れ踊らせたのが始まりと言われています。 中国各地には幾種類もの獅子舞があるようですが、大別すると北方獅子舞と南方獅子舞の2種類に区分できるそうです。
南方獅子舞は華南地方、特に広東省と広西省で盛んになりました。 広東省仏山地方と鶴山地方が発祥地であるといわれています。 武術拳法家が獅子を退治したときの模様を舞踏にしたもので、中国武術の「功夫」が基礎となっています。 したがって、南方獅子舞は武術館によって伝授されているのが特徴とのことです。
北方獅子舞は長江より北の地方で踊り伝えられました。 北方獅子舞は猛獣としての獅子の生態を巧みに芸能に取り入れたものであり、実に勇壮活発に踊り、そのアクロバットの見事さと強烈な動きを身上としています。
北方獅子舞は繊細な動きもさることながら、玉乗りの曲芸をするところが特徴です。 獅頭と獅尾の呼吸の合った二人が玉に乗ってはころがし、シーソー板の上を行き来します。 また大侠は体操選手のごとく、バック転や宙返りを見せ、獅子との間合いをとり、北方獅子の華麗さと大侠の派手さがころよく調和されます。 これこそが北方獅子舞が一級の芸術品といわれる所以だそうです。
獅子舞も龍舞と同じ会場で、2つのグループによって演じられました。 神戸市立兵庫商業高等学校龍獅團の女子生徒(獅子舞その1)と横浜中華学院校友会国術団の男子生徒(獅子舞その2)です。 いずれも南方獅子舞です。
アクセス みなとみらい線元町・中華街駅2番出口から徒歩1分 JR根岸線石川町駅中華街口徒歩5分から JR根岸線関内駅南口、横浜市営地下鉄関内駅1番出口から徒歩7分 関連するホームページ 横浜中華街
ネットの友人「サチさん」に、素晴らしいスライドショーを作成していただきました。 龍舞&獅子舞のスライドショウ 春節燈花のスライドショウ
春節の横浜中華街その1へ
春節の横浜中華街その2へ 風来坊