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春節の横浜中華街 その1 (H19.2.10)

春節燈花


善隣門



中華街大通り


春節は中国の正月で、旧暦の元旦を祝う最も盛大な祝日です。


2008年は2月7日(木)が春節にあたります。

横浜中華街では、爆竹が鳴り響くカウントダウンで新年の幕が開き、春節を祝うための華やかなイベントが数多く開催されます。



中華街大通り


中華街大通り



横浜中華街で行われる春節のイベントとしては、春節カウントダウン、春節燈花、採青、祝舞遊行、春節娯楽表演、元宵節燈籠祭などがあります。


中華街大通り



中華街大通り



中華街大通り


春節燈花

「光による街の回遊と人々の幸せを光でおもてなしをする」という意味を持って、春節の約1ヶ月前からイルミネーションが点灯されます。

期間中は、中華街全体が提灯や電飾で彩られ、ネオンで輝く街が華やぎを増します。



中華街大通り


中華街大通り



ストリートごとに趣が異なるため、光の散策を楽しむことができます。

今年の春節燈花は、12月1日から3月17日まで行われています。

点灯時間は16時から24時の間です。


中華街大通り



中華街大通り



中華街大通り


横浜中華街は外国人居留地が発展した街です。

幕末に日本が開国し、安政6年(1857年)に横浜の港がひらかれると、アメリカ・イギリス・フランスなど諸外国から大勢の商人が横浜を訪れ、外国人居住地として設けられた「居留地」に商館を開きました。

彼らは、横浜進出にあたり、中国人をともなってきました。



中華街大通り


中華街大通り



開港当時西洋人は日本語がわからず、日本人は西洋の言葉や商売についてほとんど知識がありませんでした。

中国人は漢字によって日本人と筆談ができたため、西洋人と日本人の間にたち、生糸や茶などの取り引きの現場で不可欠な存在となりました。


中華街大通り



チャイナミュージアム 横浜大世界



チャイナミュージアム 横浜大世界


さらに、横浜と香港・上海の間に定期航路が開設されると、洋裁、ペンキ塗装、活版印刷などさまざまな新しい技術を身につけた中国人が横浜を訪れました。

また、北海道産のアワビやナマコなどの海産物を中国料理の材料として香港・上海に輸出したり、砂糖を台湾から輸入する、華僑貿易商も現れました。



チャイナスクエア

China Town 80



明治初年には横浜の華僑人口は約1000人となりました。

彼らは、居留地の一角、旧横浜新田を造成した地域に徐々に集まり住み、関帝廟、中華会館、劇場などを設け中華街を築いていきました。


朝陽門



関帝廟通り



関帝廟通り

しかし、中華街の歴史は平坦ではありません。

関東大震災で街は崩壊し多数の犠牲者を出しました。

生き残った人々も神戸や大阪、さらに広東や上海へ避難して、5000人いた華僑が一時的に200人まで激変しました。


日清戦争、日中戦争の時は多くの華僑が帰国しました。また、1945年5月29日の大空襲では中華街は一面火の海となり、いくつかのビルを残して一面焼け野原となりました。



市場通り門


関帝廟通り


それでもこの街で華僑は生き続けました。

8月15日、終戦とともに復興が始まりました。

トタンバラック前の路上で、進駐軍の配給物資の小麦粉、砂糖、油でドーナツを揚げ、それを目当てに人々が集まって行列ができました。

戦後の混乱期、人々が温かい食べ物を求めてやってきたのはここ中華街でした。


市場通り



香港路


香港路



市場通り

中華街のある横浜市中区の山下町には約6000人の居住者がいて、中国人は約半数の3000人前後です。

1910年頃には6000人を超えたこともありますが、戦後は3000人台から4000人台を推移しています。

中華街は日本人と中国人が共生し、中国人が飲食店、日本人が食材を供給するという形で分業しているようです。



香港路


中山路


中国人が日本に渡来したのは、昔も今も、主に経済的な理由によるようです。

横浜開港から来年で150年ですから、華僑社会は四世か五世になっているのが当然ですが、関東大震災と戦災の影響で、現在壮年期にある人たちは、その殆どが戦後に来日した人達の子供たちです。

一世から二世へのバトンタッチは1970〜80年代に行われたとのことです。


會芳亭



関帝廟



関帝廟

1960年代から始まる高度成長と横浜港周辺の経済構造の変容が、中華街に変化と発展を促したとのことです。

海岸通りにあった各国の領事館は東京に移り、また商社、倉庫、運輸会社も新たな場所に転出し、その後にマリンタワー(1961年)、港の見える丘公園(1962年)、フランス山公園(1972年)、ホテルなどの観光施設ができ、首都高速道やJR根岸線などの開通と東京オリンピック開催が、中華街、元町に活気をもたらしたとのことです。


特に、1972年の日中国交正常化による「パンダ、ニーハオ、芽台酒」の中国ブームにより、多くの人が中華街を訪ねるようになりました。

横浜の中華街が他の国々にあるチャイナタウンと大きく違う点は、中華街を訪れる95%が中国人でないということです。

他の国の場合は95%が中国人だそうです。


関帝廟



関帝廟の屋根の飾り


関帝廟の屋根の飾り



関帝廟


港町横浜には世界各地の人々が訪れ、中国の広東、上海などからも大勢の人がやってきました。

華僑が一番多いのは福建省ですが、横浜華僑の多くは広東省の出身です。

横浜中華街に、広東料理が多いのはこのためです。



横濱媽祖廟


アクセス

みなとみらい線元町・中華街駅2番出口から徒歩1分

JR根岸線石川町駅中華街口徒歩5分から

JR根岸線関内駅南口、横浜市営地下鉄関内駅1番出口から徒歩7分


関連するホームページ

 横浜中華街

横濱媽祖廟



横濱媽祖廟


ネットの友人、サチさんに素晴らしいスライドショーを作っていただきました。

次をクリックするとご覧いただけます。

 春節燈花のスライドショウ

 
 横浜中華街その2へ

 横浜中華街その3へ



        風来坊


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