散策スポット・北海道東北

散策スポット目次

HOME

前ページ

次ページ

小諸城址・懐古園 (H19.9.1)


三の門



懐古館

懐古園は、白鶴城や酔月城とも呼ばれた小諸城の跡で、文豪島崎藤村の千曲川旅情の歌「小諸なる古城のほとり」でも知られる信州の名園です。

小諸城は、城下町よりも低い位置にある「穴城」として全国的に珍しい存在で、浅間山の火山灰で出来ている谷と丘を利用して造られ、水を用いず、崩れやすい断崖が堅固な要塞となっています。


入り口の三の門(重要文化財)には徳川家達(いえさと)公の筆になる「懐古園」の大額が掛っています。

園内には、藤村記念館をはじめ小山敬三美術館、徴古館、郷土博物館、動物園、遊園地など数多くの文化施設が点在しています。


二の門への上り坂



前方が二の門跡?

三の門から入ると正面に「三の門料金所」があります。

懐古園内散策のみの場合は300円、藤村記念館などの各文化施設を見学する場合は500円です。

料金所の手前左側に、小諸城ゆかりの武具や古文書が陳列されている懐古館があります。


料金所から入り右手のなだらかな坂を上ったところが二の丸の入口で、二層の「二の門」が建っていたところです。

石段の上が二の丸跡で白鶴城のあったところです。


徳川秀忠が上田の真田父子に阻まれて二十数日逗留したため、関ヶ原の合戦に間に合わず、家康に大変叱られたといわれています。


若山牧水歌碑



懐古園稲荷神社

二の丸跡の傍に若山牧水の歌碑があります。

 かたわらに
 秋草の花
 かたるらく
 ほろびしものは
 なつかしきかな



左手前方が黒門跡


二の丸跡から南丸跡、北丸跡を左右に見ながら進んだところが、黒門橋です。

黒門橋は別名をそろばん橋といい、緊急の時橋桁を取り外すことができる太鼓橋がかかっていました。

橋の下は空堀になっています。

橋の欄干に「紅葉谷」の表示があり紅葉の時期は素晴らしい光景を呈してくれるようです。


黒門橋 前方左手が黒門跡



小諸城址・懐古神社

黒門橋を渡った左手が黒門跡で「一の門」が建っていたところです。

前方の石垣を右手に見ながら進んだところが、懐古神社です。

明治4年(1871年)の廃藩置県により小諸城としての役割を終え、明治13年(1880年)に神社を祭り、懐古園と呼ぶようになったそうです。


懐古神社の手前左手が本丸跡です。

ここに置かれている「懐古園の碑」は、明治14年(1881年)に懐古園が造られたときの記念碑で、題字は勝海舟の筆です。

懐古園の碑 題字は勝海舟



本丸跡

懐古神社の右手奥が天守台です。

三層の天守閣がありましたが、寛永3年(1626年)に落雷で焼失しました。

その後は徳川の政策により再建されなかったといわれています。



天守台


小諸城の起こりは、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現在の城址の東側に館を築きました。

その後、大井光忠が小室氏の勢力を押さえて鍋蓋城を築き、さらにその子光為が出城として乙女坂城(別名白鶴城・二の丸跡)を構えました。


本丸跡



懐古神社

天文23年(1554年)甲斐の武田信玄の攻略により落城しました。

武田信玄はこの地が重要であることから、山本勘助と馬場信房に命じて築城したのが、現在の小諸城址で「酔月城」とも呼ばれています。

その後、仙石秀久が城主となって二の丸、黒門、大手門を建て、その子忠政が三の門、足柄門を建て、現在の小諸城が完成しました。


勘助が縄張りをした小諸城は「攻めるに難しく、 守るに易い城」いわば難攻不落の城でした。

懐古神社の左側に、山本勘助が小諸城築城の時に研磨したと伝えられている鏡石があります。

勘助は朝夕この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられています



山本勘助の鏡石 風来坊もクッキリと



馬場の光景

懐古神社から社務所の傍を通り裏手に出たところが馬場です。

往復するだけの鉄砲馬場と呼ばれていたようですが、現在は桜の名所です。

懐古園の桜は大5年、造園の権威・本田静六博士の設計によって植栽されたもので、ソメイヨシノ、ヒガンザクラなど約500本の花が咲き誇ります。

懐古園の桜は、その種類が多いことから、咲く時期が異なり、長期間にわたり、桜の花を楽しむことができるそうです。



富士見台


小諸市動物園へ


馬場から小諸市動物園に行くことができます。

小諸市動物園は大正15年(1926年)の開園です。

小諸市動物園の入口の手前に富士見台があります。

天気の良い日に富士山を眺望できることから名付けられたそうですが、この日は生憎富士山は雲の彼方でした。


馬場の光景



高浜虚子の句碑

馬場の傍の散策路には、臼田亜浪や高浜虚子の句碑があります。

雪散るや 千曲の川音 立ち来り

        臼田亜浪


紅梅や 旅人我に なつかしき

        高浜虚子



展望台から千曲川を望む


高浜虚子の句碑から少し進んだところに、島崎藤村の詩碑があります。

島崎藤村の小諸時代の作である「千曲川旅情の歌」の詩碑で、詩面は藤村の自筆です。

小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子悲しむ
緑なす 繁縷(はこべ)は萌えず
若草も 籍(し)くによしなし



水の手展望台


藤村の詩碑を右手に見て少し進んだところが水の手展望台です。

不開の門跡があり、石段の上が展望台になっています。

ここから千曲川を眺めることができます。


また、藤村の詩碑の傍に渡月橋があります。

この橋を渡ると、小山敬三美術館、郷土博物館、寅さん会館のあるエリアに行くことができます。

橋に降りる階段が急ですから要注意です。


渡月橋



藤村記念館

藤村詩碑から馬場を右手に見ながら少し進んだ左手が藤村記念館です。

藤村が小諸にやってきたのは、明治32年のことです。

かつての恩師、木村熊二に招かれて小諸義塾に赴任しました。

以降小諸で過ごした
6年余の間に「雲」「千曲川のスケッチ」「旧主人」などが生まれ、大作「破戒」を起稿しています。

藤村記念館は、藤村の小諸時代を中心とした作品・資料・遺品が多数展示されています。


昭和27年2月、小諸義塾及び女子学習舎の関係者を以って組織する藤村会と小諸町では、藤村の遺墨、遺品並びに関係資料を収集保管し、教養と調査研究等に資する目的のもとに藤村記念館の設立を決めました。

以後、建設位置の選定、敷地交渉、寄付金募集、遺品・遺墨の収集等を行い、東京工業大学教授谷口吉郎博士に設計を依頼し、昭和32年11月、高雅で簡素な建物が懐古園に竣工しました。


島崎藤村



大ケヤキと藤村記念館

昭和33年4月19日に開館し、翌34年6月、藤村会の寄付により小諸市に移管され、以来小諸市立藤村記念館として運営し、今日に至っています。

藤村記念館の傍に大きなケヤキの木があります。

また、ケヤキの木の傍に荒神井戸があります。

寛保の大洪水後に掘られたもので、城内唯一の井戸です。


アクセス

電車 JR小海線小諸駅、しなの鉄道小諸駅から徒歩5分

自動車 信越道小諸ICから10分

大駐車場あり:駐車料金500円


荒神井戸



小諸駅自由通路

関連するホームページ

 懐古園

 小諸観光協会


 軽井沢散策へ

 鬼押出し園へ


         風来坊

目次  TOP 前ページ 次ページ HOME