天正18年(1590年)から慶長6年(1601年)までの11年間は、小幡領2万石として奥平信昌が領主となり、国峯城の枝城であった宮崎城(現富岡市)に入りました。奥平氏は長篠の戦い武功をあげ、家康の長女亀姫を夫人としました。
その後奥平氏は美濃加納(10万石)の城主となり、そのあとを水野忠清(後の松本藩主)、井伊直孝(後の彦根藩主)が、それぞれ1万石を領収しました。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣氏が滅びると、戦国時代が終わり、徳川幕藩体制が成立し、天下は太平の世へと移っていきます。
織田氏による小幡藩の成立
元和元年(1615年)、天下を統一した徳川家康は、織田宗家を継いだ織田信長の次男信雄に大和国(奈良県)宇陀郡3万石と小幡2万石を与えました。翌年、信雄の四男信良が福島の仮陣屋に入り小幡藩政が開始されました。
寛永6年(1629年)3代信昌の時代に小幡への藩邸移転が計画され、地割、用水割、水道筋見立て等が実施されました。
小幡が選ばれた要因としては次が挙げられます。
〇 福島の仮陣屋では手狭となった
〇 小幡氏の重臣であった熊井戸氏の屋敷跡を利用した
〇 西側に雄川の切り立った高さ約20mの断崖を持つ要害の地であった
〇 雄川からの豊かな用水の確保が容易であった
着手から13年を経過した寛永19年(1642年)、福島の仮陣屋より小幡藩邸への移転が行われ、小幡は小幡藩の中心となりました。その後、4代信久、5代信就、6代信右、7代信富、8代信邦と、織田家小幡藩152年の歴史が続きます。
織田氏から松平氏へ
明和4年(1767年)小幡藩の内紛が表沙汰となった明和事件で、織田氏は出羽(現山形県)高畠へ移封されます。代わって藩主となったのが、親藩大名の松平忠常です。以降、小幡の地は松平氏の領有となり、4代約100年の当地が続き、明治維新を迎えます。
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