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梅照院からのJR常陸太田駅方面の展望
JR常陸太田駅
常陸太田市は茨城県の北東部に位置し、阿武隈山系の裾野に広がっている街です。 平安末期から戦国時代までは、北関東の豪族佐竹氏が治めていましたが、関ヶ原の戦いの後に水戸徳川の藩領となり、水戸黄門こと水戸藩第2代藩主・徳川光圀の隠棲地として知られています。 水戸と棚倉(現在の福島県棚倉町)を結び、米や特産品を運んだ棚倉街道の要衝であり、葉たばこなどの作物の集積場として発展してきました。
市の郊外には、徳川光圀が晩年を過ごした西山荘をはじめ水戸徳川家ゆかりの史跡が残り、古い構えの商家や蔵も点在しています。 太田市街の中心部は、東を流れる里川と西を流れる源氏川にはさまれた台地上にあります。 この地形がまるで鯨の背中のように見えるところから、いつしか鯨が丘と呼ばれるようになりました。 この高台と平地を結ぶ七つの坂が街並みと調和しています。
梅照院
今回の散策コースは次のとおりです。 JR常陸太田駅→法然寺→板谷坂→東の辻→常陸太田市郷土資料館・分館→十王坂→久昌寺→義公廟→西山荘→山吹運動公園→杉本坂→JR常陸太田駅
JR常陸太田駅は2011年4月11日から新駅舎の供用が開始になりました。 徳川光圀の隠居所である西山荘をイメージしたもので、駅舎の中に観光案内所があります。 常陸太田駅前には広いターミナルがあり、ターミナルの出口が「山下町交差点」で、道が二手に分かれています。 右側の坂道(木崎坂)を100mほど進んだ右手の丘の上が「梅照院」です。 ここからの展望は素晴らしいものがあり、眼下にJR太田駅の駅前ターミナルが広がっています。
鯨が丘ふれあい広場
「梅照院」から木崎坂に戻り緩やかな登り坂を500mほど上ったところに、鯨の形をした盛り土のある「鯨が丘ふれあい広場」があります。 広場のところで道路が二手に分かれており、ここから先は一方通行になっています。 右側を進むと「鯨が丘商店街」で、広場のすぐ先に「法然寺」があります。
法然寺
延元元年(1336年)に当時の太田城主・佐竹義篤の保護を受けて創建されました。 境内に二十三夜堂があることから、地元では「太田の三夜さん」として親しまれています。 竜宮城を思わせる山門の上層には、風神・雷神のレリーフと丸窓があります。
法然寺から先は、道の両側に店が並ぶようになり、「鯨ヶ丘商店街」となります。 法然寺から100mほど進んだ、「東3丁目」のバス停の傍に「なべや」があります。 常陸太田市名物の太田ちまきを製造販売している創業100年の老舗です。 ちまきはかつて越後の土産として徳川光圀に献上されたのが始まりとされています。 間口の広い木造の店構えです。
「なべや」から100mほど進んだ右手に「板谷坂」があります。 ここからの眺めは素晴らしく、眉美千石とも言われていました。 この坂を下ると、道は日立の海へと続いています。この坂を下った先に「浜街道」という小字が残っており、日立の海に続いていた「古街道」の一つであることを示しています。
なべや
板谷坂
板谷稲荷神社
「板谷」の名前の由来は、佐竹氏がこの地を治めていた時代には、この地に「番屋」があったことからといわれています。 「板谷坂」を少し下った左手にある「板谷稲荷神社」は佐竹氏と縁が深かったといわれています。
くじら屋
「板谷坂」から「鯨が丘商店街」を50mほど進むと、空き店舗を利用して、町興しとして商店街が一丸となって始めた「くじら屋」があります。 「くじら屋」は、太田市の中心市街地の高台が、昔から「鯨ヶ丘」と呼ばれていることにちなんでつけられたものです。 くじら屋の1階では、鯨をかたどったくじら焼き(鯛焼きのくじらバージョン)が販売されています。
東の辻
「東の辻」傍の交差点
山林堂
「くじら屋」から50mほど進んだ交差点の角に「東の辻」というコミュニティセンターがあります。
町屋風の東屋といった感じの建物で、休憩するための椅子も準備されています。
「東の辻」のある交差点を右に曲がった先が塙坂です。 日立方面と太田を結ぶ道路でした。 特に塩を運んだ塩の道で、現在も塙坂を上りきった東と西を結ぶ路地は塩横丁と呼ばれています。
この先が塙坂です
赤れんがの倉庫
「東の辻」付近にも古い建物が点在しています。 赤レンガの建物がありましたが、その周囲が工事中のため細部情報はわかりませんでした。
塩横丁の街並み
塩横丁付近の街並み
「東の辻」のある交差点を左折して塩横丁を50mほど進むと、右手に古い民家などを利用したレトロな建物が並んでいます。 「潮町館」は旧太田銀行の瀟洒な建物を利用したうどんと蕎麦の店です。 その隣の「オーベルジーヌ」は地元の食材を使った本格フランス料理が楽しめるレストランです。 土蔵造りの建物を使った2階建ての店内はレトロ感と重厚さが漂っています。
潮町館
オーベルジーヌ
その先の交差点の角に「郷土資料館分館」があります。 交差点を左折して50mほど進んだ右手が「郷土資料館本館」です。 梅津会館こと郷土資料館本館は、昭和11年(1936年)に常陸太田市出身の実業家・梅津福治郎の寄付によって建てられたもので、南東隅には角塔を、正面には大アーチの車寄せを備えた本格的な庁舎建築です。
塩横丁付近の建物
郷土資料館本館・分館が所在する通り
郷土資料館本館
主要部はタイル張りで、アーチのキーストーンには装飾が施されています。 昭和53年(1978年)まで市役所として利用されたのち、昭和55年(1980年)に郷土資料館として開館しました。 1階が特別展示室を兼ねた美術展示室、2階が歴史展示室と民族展示室になっています。 また、平成7年(1995年)に梅津会館から50mほどのところに、郷土資料館分館が開館しました。
郷土資料館分館
郷土資料館分館の建物は、明治半ばに太田共同銀行として建てられ、後に常磐銀行や常陽銀行などが於かれたところです。 内部を改装して、平成7年から建物自体が見学の対象として公開されています。 軒の丸瓦は共同銀行当時のもので、屋根の鬼瓦は常陽銀行時代のものです。 常陸太田市の歴史を伝える数々の郷土資料を見ることができるとのことですが、東日本大震災による損傷が激しく、閉館中で、屋根も青いテントで覆われていました。
十王坂
久昌寺
郷土資料館分館の傍にある急坂が、常陸太田市のシンボルともなっている風情のある十王坂です。 鯨ヶ丘と太田二高を結ぶ坂で、太田二高に通学する女学生は、この急坂を毎日登り、3年の間に足が太くなってしまうことから「だいこん坂」とも呼ばれています。
十王坂を下って真っ直ぐ進むと太田二高です。 太田二高の右側を迂回して裏手に出て、坂を上ったところに「久昌寺」があります。 「久昌寺」は、徳川光圀が生母の久昌院靖定夫人(谷久子)の冥福を祈るために創建した寺です。 かつては大規模な七堂伽藍を構えていましたが、幕末に荒廃し、明治3年(1870年)に現在地に再建されたものです。
久昌寺の裏山に、光圀公(義公)の遺徳を偲んで、昭和16年(1941年)に建てられた「義公廟」があります。 廟の中には光圀公が生母の菩提をとむらうため斎戒沐浴して法華経1部10巻8万3900余字を桧板30枚に書いたものが安置されています。
義公廟
西山公園から常陸太田市街の展望
「義公廟」からさらに奥に進むと約1500本の桜が植えられ、花見の名所として知られる西山公園です。 西山公園からは市街地を一望することができます。 西山公園を右に見て坂道を下っていくと、「西山荘」のある「西山の里」です。
西山の里
「西山の里」は、「西山荘」を訪れる観光客の利便を図るために造られた休憩施設です。 「西山の里」から「西山荘」入口までは250mほどあり、この間は池や橋を配した庭園になっており、四季折々の花々が咲き誇るとのことです。
また、園内にある晏如庵は,光圀公が茶の湯を楽しんでいたという逸話にちなんで建てられた施設です。 「晏如」とは安らかなさまや落ち着いたさまを表す言葉で,光圀公が西山荘に隠棲後,最初に建立した「梅里先生寿蔵碑」に刻まれた碑銘から引用したものです。
「西山荘」は、徳川光圀が藩主を退いた元禄4年(1691年)から亡くなる元禄13年(1700年)までの約10年間を過ごした隠居所で、「西山御殿」と呼ばれました。 華美を嫌った光圀は、隠居の際に諸方から送られた調度を一切西山荘に持ち込まず、僅かな身の回り品と修史編纂事業に必要な沢山の書物を運ばせたと伝えられています。 「大日本史」の編纂はここで行われました。
晏如庵
西山御殿は光圀の亡くなった後も、歴代藩主によって大切に保存されましたが、文化14年(1817年)に野火によって焼失しました。 現在の御殿は文政2年(1819年)8代藩主斉脩によって規模を縮小して再建されたものです。 創建当時は現在の3倍の規模だったとのことです。 西山御殿は撮影禁止で画像はありません。
杉本坂 右が遍照寺入口
西山荘から南下して、常陸太田の特産品として知られる太田扇子を考案した「雪村の碑」に向かい、「山吹運動公園」まで来ましたが、石碑を発見することができませんでした。 「雪村の石碑」は山吹運動公園の傍ではなく西山研修所の入口にあります。 山吹運動公園から源氏川を渡って、杉本坂を登りました。 杉本坂は太田七坂の中で一番急な坂で、ここを車で通るのは少し怖い感じです。
杉本坂の中腹に山田神社
遍照寺
杉本坂の途中に「山田神社」「遍照寺」があります。 杉本坂の由来は「遍照寺」の山号「杉本山」からといわれています。 杉本坂を登った交差点を左に進むと郷土資料館です。 この道路は「鯨ヶ丘商店街」と平行している、一つ西側の道路です。
立川醤油
道路の両側は古い建物が点在しており、杉本坂を登った左手に「立川醤油店」があります。 蔵造りの家並みが続く一角に。ひと際風情のある構えで立っています。 創業は江戸時代で、昔ながらの味を伝えるマンゴクしょうゆ、県内の丸大豆で作る丸大豆しょうゆなどの人気商品があります。
助川印刷
???
杉本坂を登った交差点を右方向に道なりに進んでいくと、「鯨が丘ふれあい広場」を経由してJR常陸太田駅です。 途中右手に下井戸坂があります。 太田と笠間を結ぶ笠間街道の出発点です。
関連のホームページ 常陸太田市商工会 風来坊
下井戸坂