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江戸東京たてもの園その2 (H22.8.8)

東ゾーン


東ゾーン:下町中通り



下町中通り

東ゾーン

昔の商家、銭湯、居酒屋などを通して、下町の風情を楽しむことができるゾーンです。

復元している建物の中には、当時の暮らしや商売の道具、商品などが展示されています。

旧光華殿から園内に入り、右手に進み一番奥にあるのが、東ゾーンのメインである下町中通りです。この下町中通りの両側にいろいろな店が立ち並んでいます。

現在、下町中通りでは2棟の復元作業が進められています。


丸二商店(荒物屋)

丸二商店は、現在の千代田区神田神保町に昭和初期に建てられた看板建築と呼ばれる形式をもつ建物です。

小さな銅版片を巧みに組み合わせて模様を形作り、建物の正面を飾っているのが特徴です。

この建物では、創建時より昭和20年中頃まで、施主の夫人である池田節さんによって荒物屋が営まれていました。

鍋や釜、ざる、ほうき、七輪などの日用品を扱い、当時の新所帯持ちが必要なものは何でも揃っていたといわれています。

店内は商売が最も盛んであった、昭和10年代の荒物屋の店先の様子を再現しています。


丸二商店



丸二商店と長屋


丸二商店の裏には、創建時から隣接していた長屋が復元されています。


長屋はいくつかの小規模な住宅を横に連結して建てられる住居です。

江戸時代の江戸の町で誕生し、戦前に至るまで東京での庶民の一般的な住まいでした。

長屋の復元にともない、丸二商店横にあった路地の情景も再現されています。



看板建築

正面にタイルや銅板を張ったり、モルタルで塗り固めて、燃えにくい工夫をした建物です。

正面から見るとまるで一枚の看板のようで、それをキャンパスに見立てて、自由にデザインするところから看板建築と呼ばれています。


荒物



荒物


荒物



植村邸


植村邸

植村邸は、建物の前面を銅板で覆った看板建築です。

この建物は旧所有者の植村三郎氏の設計で、全体的には洋風にまとまっていますが、2階は和風の造りになっています。

正面を覆う銅板は装飾的に仕上げられ、特に2階の窓の上にあるアーチ部分は凝っています。

前面の銅板に散弾銃の跡が数多く見られます。



植村邸


植村邸



下町中通り



武居三省堂(文具店)

武居三省堂は明治初期に創業した文具店です。

当初は書道用品の卸をしていましたが、のちに小売店に変わりました。

建物は、昭和初期に神田須田町に建てられた看板建築と呼ばれる形式の建物です。

前面はタイル張りで、側柱・戸袋廻り・庇などを銅板で包んでいます。

屋根の形にも特徴があります。


武居三省堂



商品棚


店舗部分は間口に対して奥行きが深い構造となっています。

造り付けの商品棚が店内部の左右壁面に立っているほか、ガラス戸棚や吊り棚などが空間全体を埋め尽くしており、能率的に商品を収納できるように工夫されています。



上り框の明かりとり


昔懐かしい商品の数々



地下では商品の荷解きや荷造りが行われたとのことです。

地下室への出入りは店先の陳列台の下に隠された階段から行うようになっています。

商品を出し入れするときは、階段に板を渡して、その上を滑らせたとのことです。

また、上り框(かまち)の下の部分は換気と明かりとりを兼ねて、無双窓になっています。


地下室への階段



花市生花店


花市生花店

花市生花店は、隣の武居三省堂と同様、看板建築と呼ばれる形式の建物で、昭和初期に千代田区神田淡路町に建てられました。

武居三省堂と同様に間口に対して奥行きが非常に深いのが特徴です。

前面は銅板張りで、緑青色の壁面に施されたさまざまな装飾が見所です。

特に、2階窓下の4枚のレリーフには四季の花が描かれています。



店内は昭和30年代の花屋を再現しています。

店内の両側には造り付けの棚を設け、一方棚の下を地面よりも低く作り、花の鮮度を保つための水遣りや花を入れる容器を洗うための水場を設けています。

このようなつくりは、花屋の古い形態を伝えるものとして貴重なものです。


花市生花店



村上精華堂


村上精華堂(化粧品屋)


村上精華堂は、台東区池之端、不忍通りに面して建てられた化粧品屋です。

昭和3年(1928年)に創業者の村上直三郎氏により建てられ、化粧品の製造、卸し、小売りを行っていました。

村上精華堂では、神田近辺の店から原料やガラスビンを仕入れて、奧の作業上で化粧品を造っていました。



村上精華堂も看板建築です。


全体的には洋風造りですが、寄棟造り桟瓦葺きの和風屋根が設けられるなど和洋折衷となっています。

建物の外観では、イオニア式の列柱を並べた前面が極めて特徴があります。

イオニア式の列柱が看板建築に用いられているのは珍しいとのことです。


村上精華堂



イオニア式の柱


化粧品製法のための器材



下町中通り



川野商店



川野商店

川野商店(和傘問屋)

川野商店は、和傘製造問屋を営む川野米蔵氏によって、大正15年(1926年)に江戸川区南小岩に建てられた建物で、店舗と住居からなる主屋と渡り廊下及び板蔵(復元していない)からなっています。

重厚な屋根の造りや江戸以来の町屋の特質を継承する格子戸などの造りが建物の特徴です。



東京での和傘の製造は、江戸時代は青山辺りが中心でしたが、明治中頃から小岩に移ってきたといわれています。


竹材が豊富であったことと、傘を天日干しするために広い土地を必要としたためと思われます。


川野商店



小寺醤油店



小寺醤油店

小寺醤油店

小寺醤油店は、昭和初期に現在の港区白金5丁目に建てられた「出桁(だしげた)造り」の醤油店です。

小寺醤油店では、日本酒が主な商品で、醤油や味噌などのほか清涼飲料水や調味料、缶詰なども売っていました。

裕福な人が多く住む白金台の屋敷近くの店ですから繁盛したとのことです。



店の隣の黒い蔵は袖蔵といい、平成8年(1996年)から展示室として復元・公開されています。


建築当初から鉄筋コンクリートで造られており、1階に商品の在庫などを、2階に自分たちの生活道具をしまっていました。

商品を出し入れしやすいように、店舗側のほかに、道路側にも扉が造られています。


小寺醤油店



小寺醤油店


小寺醤油店



鍵屋と小宝湯



子宝湯



番台にも装飾が


子宝湯


下町中通りの突き当たりに建つ子宝湯は東京の銭湯を代表する建物です。

正面の入母屋造りの大屋根、その下の神社仏閣を思わせる玄関の大型の唐破風、そして多彩な彫刻など贅を尽くした造りとなっています。



小宝湯は昭和4年(1929年)に足立区千住元町に建てられました。


施主は石川県七尾市出身の小林東右衛門氏で、千住のほかに町屋と西新井にも同名の小宝湯を建築し、全部で5軒の銭湯を経営していました。

当時1軒の銭湯を建てる相場は2万円程度でしたが、千住の小宝湯には4〜5万円を費やしたと伝えられています。


脱衣籠



ガラス欄間


ガラス欄間



男湯のペンキ絵


玄関から入ると、左右の上部のガラス欄間に「男湯」「女湯」の区分が示されています。

脱衣場に入ると番台があり、銭湯代を支払いますが、この番台にも彫刻が施されています。

脱衣場には脱衣籠が置かれています。



男湯・女湯のそれぞれの背景の壁には大きなペンキ絵が描かれています。


現在営業中の銭湯でも450軒程度ペンキ絵が残っているそうですが、そのうちの9割は富士山を画題にしているそうです。


女湯のペンキ絵



男湯のタイル画


男湯には「義経と弁慶の五条大橋の風景」「那須与一」、女湯には「猿蟹合戦」「雀のお宿」のタイル画があります。

タイル画は、タイル絵師の石田庄太郎氏の作品ですが、東京の銭湯のタイル画の大半は同氏の作品とのことです。



仕立屋


仕立屋

仕立屋は明治初期に現在の文京区向丘に建てられた「出桁(だしげた)造り」の町屋です。

正面の格子や上げ下ろし式の「摺上げ戸」などに江戸の町屋の造りを伺うことができます。

創建の時には6畳の後ろに土蔵が付属していましたが、昭和50年代に取り壊されたため、部屋部分のみの復元となっています。


仕立屋



仕立屋


内部は大正時代の仕立屋の仕事場を再現しています。


通常の仕立屋は特段に見せ構えなどをせずに自宅を仕事場としており、親方のもとに弟子が住み込みで働くのが普通でした。

ここでは親方と弟子4人の仕事場を再現しているとのことです。



鍵屋(居酒屋)


鍵屋(居酒屋)

鍵屋は、安政3年(1856年)に酒問屋として建てられたと言い伝えられており、得意先には上野寛永寺もあったとのことです。

その後、明治から大正、昭和初期まで酒の小売店を営み、昭和の初期から店の片隅で夕方だけ一杯飲み屋を始め、戦後の昭和24年(1949年)から本格的に居酒屋として営業を始めました。


鍵屋



鍵屋


鍵屋のあった下谷坂元町(現在の台東区下谷)は、金杉通りという奥州・日光街道裏に面した商業地区で、江戸の中期には既に町屋が建てられていました。

関東大震災や太平洋戦争の災禍にも耐え、現在も出桁造りの町屋やその奧の長屋など、東京の古い街並みが比較的残る地域です。

鍵屋は金杉通りと言問通りがぶつかる角近くにあり、地の利にも恵まれていました。



建物の構成は、正面に向かって右側にカウンター席を持つ土間の店、左側に四畳半の店座敷を置き、それぞれに独立した出入り口が設けられています。


鍵屋



万世橋交番

万世橋交番

万世橋(まんせいばし)交番は、神田万世橋のたもとにあったレンガ造りの交番です。

デザインや建築様式から明治時代のものと推定されています。

明治時代の西洋建築の導入に伴って石造りやレンガ造りなどの組積式構造が用いられるようになります。

しかしこの構造は小さな材を積み上げて建物を築くため、横からの力=地震に弱く、関東大震災以降の東京では殆ど見られなくなりました。



江戸東京たてもの園でも唯一のレンガ造りの建物です。

また、組積式構造の建築は、木造建築のように部材ごと分解することができないため移築は困難です。

このため万世橋交番は、そのままクレーン車で釣り上げ、トレーラーに乗せて神田から江戸東京たてもの園まで運んだとのことです。


万世橋交番



天明家(農家)



主屋正面の千鳥破風

天明家(農家)

天明家は、江戸時代に鵜の木村(現在の大田区内)で名主役を勤めた旧家です。

正面に千鳥破風をもつ主屋、長屋門、枯山水庭園などに高い格式がうかがえます。

天明家の入口である長屋門には明和6年(1769年)の棟札があり、主屋も同時代の完成と推定されます。



主屋の正面には、開口部の両脇に室内空間をもった門が設けられています。

こうした形式の門は長屋門と称され、大規模な農家や上層の武家住宅などに用いられたものです。

このような長屋門をはじめとして、式台付き玄関、書院造りの座敷、千鳥破風など、総じて豪農の高い格式が示された民家です。


書院造りの座敷



長屋門


アクセス

JR武蔵小金井駅から徒歩20分
西武新宿線花小金井駅から徒歩20分

JR武蔵小金井駅及び西武新宿線花小金井駅からバス5分の小金井公園西口で下車して徒歩5分


関連するホームページ

 江戸東京たてもの園




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         風来坊


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