横網町公園
旧安田庭園の両国国技館とは反対側の出入り口を出た筋向かいが横網町公園です。
この公園は「横網町公園」という名のほか「被服廠跡」「東京都慰霊堂」「東京都復興記念館」とも呼ばれていますが、そのいずれもが、この公園の歴史を物語っています。
大正11年(1922年)、東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていましたが、その最中に発生したのが関東大震災(大正12年9月1日)で、その時この界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具に飛び火し、折からの風速17mの強風に燃え広がり、多数の焼死者が出ました。
東京市は、遭難者の霊を供養し、さらに東京を復興させた当時の大事業を記念するため、公園内に東京都慰霊堂(昭和5年)と復興記念館(昭和6年)を建てました。
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