寛永8年(1631年)に幕府が、関東代官(伊奈半十郎)を管理者として始めたものです。
当時、江戸への出入りは非常に強い規則のもとにおかれておりましたが、江戸川の両岸に田畑を持つ農民は、その耕作のため関所の渡しを通らず農民特権として自由に渡し船で行きかうことができました。
これが矢切の渡しの始まりで、いわゆる農民渡船といわれるものです。
この矢切の渡しが日本全国に有名になったのが、明治時代の伊藤左千夫の小説「野菊の墓」(1906年)です。
また、矢切の渡しは、映画「男はつらいよ」シリーズの中にもしばしば登場しており、さらに世間に知られるようになりました。
このため、矢切の渡しは柴又が本拠地だと誤解している人も多いようです。
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