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東京散歩No1:葛飾柴又その3 (H22.7.25)

江戸川河川敷


江戸川河川敷



山本亭裏側の石段

江戸川河川敷

山本亭から階段を登ると江戸川の堤防の上に出ることができ、目の前に江戸川河川敷が広がります。

階段を上がった場所が公園になっています。

この公園から「寅さん記念館」や「レンタルサイクルセンター」に行くことができます。



映画『男はつらいよ』の中で、寅さんはいつも矢切の渡しに乗ってふるさと柴又へ帰ってきます。

柴又に帰ってきた寅さんは、江戸川の土手で寝そべったり、源公と遊んだりして過ごします。


柴又公園



矢切の渡し


雄大な江戸川の流れを望みながら芝生の広がる土手に腰をおろし、しばし寅さんの気分を味わうのも一興です。


もちろん矢切の渡しを見ることもできます。

北条氏が「からめきの瀬」を渡って里見城を攻めた、室町時代の国府台の合戦の戦場も、このあたりであったといわれています。



サイクリングロード

寅さん記念館の別館にはレンタサイクルセンターがあります。

レンタルサイクロセンターからそのまま江戸川の堤防の上に出ることができます。

江戸川の堤防の上には、自転車・歩行者用のサイクリングロードが設けられています。

江戸川区から葛飾区を通り、茨城県まで続いています。


江戸川サイクリングロード



レンタルサイクルセンター


自転車を借りて川からの風を浴びながら江戸川サイクリングロードを走り、水元公園まで行くこともできます。


利用料金は大人400円、小・中学生300円です。

利用できるのは土日祝日のみです。



金町浄水場の取水塔



金町浄水場の取水塔

柴又公園から上流に1km程度行ったところに金町浄水場の取水塔があります。

金町浄水場は大正15年(1926年)の開設で、平成4年(1992年)から高度浄水処理施設が導入されています。


第2取水塔



第3取水塔


とんがり帽子で有名な取水塔は、昭和16年(1941年)に作られた第2取水塔です。


創設時の第1取水塔は、昭和39(1964年)年第3取水塔が完成した後に、解体されました。

したがって、現在あるのは第2取水塔と第3取水塔です。



第2取水塔


第3取水塔



川甚



川甚


川甚

江戸川堤防の矢切の渡しの反対側にあるのが川魚料理で有名な川甚です。

170年以上続く老舗で、鯉の洗いやウナギなど川魚のコースを楽しむことができます。

堤防の上から白亜の4〜5階建ての建物が見えますが、玄関の方に廻ると日本庭園風の作りになっており、一瞬店を間違えたかという感じです。


矢切の渡しと野菊の墓の文学碑


江戸川堤から眺める矢切の渡し 野菊の墓の文学碑は赤い鉄塔の右前方の山の中腹に



矢切の渡し

堤防から江戸川河川敷の先に見えるのが矢切の渡しです。

矢切は松戸市にある地名です。

矢切の渡しは松戸市下矢切と東京都柴又を往復する渡しで、江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた利根川水系河川15個所の渡し場のひとつであり、観光用途に設けたものではありません。


この石碑は松戸市下矢切にあります



矢切の渡しの船頭さん


寛永8年(1631年)に幕府が、関東代官(伊奈半十郎)を管理者として始めたものです。

当時、江戸への出入りは非常に強い規則のもとにおかれておりましたが、江戸川の両岸に田畑を持つ農民は、その耕作のため関所の渡しを通らず農民特権として自由に渡し船で行きかうことができました。

これが矢切の渡しの始まりで、いわゆる農民渡船といわれるものです。

この矢切の渡しが日本全国に有名になったのが、明治時代の伊藤左千夫の小説「野菊の墓」(1906年)です。

また、矢切の渡しは、映画「男はつらいよ」シリーズの中にもしばしば登場しており、さらに世間に知られるようになりました。

このため、矢切の渡しは柴又が本拠地だと誤解している人も多いようです。



今にも壊れそうな桟橋(柴又)


今にも壊れそうな桟橋(矢切)



野菊のこみちの道標



現在はほぼ観光用途のために存在していますが、元が渡し舟だったため、渡し場に多少の土産物屋がある程度で、特に観光化されているわけではありません。

このため繁忙期や風の強い日などは、モーターで運行されます。

なお矢切側の北総鉄道矢切駅までは2km程度あるため、多くの乗客は柴又側から乗船し、往復利用しています。


野菊のこみちの道標



野菊のこみちの道標


矢切の渡し東方約1.5kmの小高い丘にある西蓮寺周辺が「野菊の墓」の舞台といわれており、西蓮寺の境内に門人土屋文明氏によって建立された文学碑があります。


矢切の渡しの桟橋から真っ直ぐ進んで土手に上がり、反対側の斜面を降りたところに「野菊のこみち」の道標があります。



道標に「道標をたどっていくと野菊の墓文学碑のある西連寺へとつながっています。西連寺隣の野菊苑からは、「野菊の墓」が執筆された当時が忍ばれる、矢切の田園風景を展望することができます」と書かれていました。


野菊のこみちの道標



野菊の墓 文学碑



野菊の墓文学碑入口


道標にしたがって田園の中の散策路を進み、最後に住宅地に入って坂を少し登った右手に、「野菊の墓文学碑」の案内板があります。


石段を登ったところに文学碑が置かれています。



矢切の渡しを利用しない場合の最寄り駅は、北総鉄道矢切駅で「野菊の墓文学碑」までは500m程度です。


野菊の墓文学碑案内板


柴又八幡神社&良観寺


柴又八幡神社



柴又八幡神社


おもちゃの博物館の手前を左折し、道なりに進んで踏切を渡った右手に柴又八幡神社があります。


神社社殿の下には古墳の石室があり、埴輪や寿恵器などが保存されています。非公開です。

神殿の裏庭の古墳では、寅さんそっくりの埴輪が出土し、その複製が寅さん記念館に展示されています。

10月の例大祭には、疾病除けの獅子舞神事が奉納されます。



良観寺



良観寺

江戸時代初期に商人が山中で出会った布袋像を持ち帰りお祀りしたところ商いが大いに繁盛した。

ご利益を大勢の人々のお役に立てたいと発願し、宝袋尊と称して良観寺に奉納したのが良観寺の始まりといわれています。


このため良観寺では布袋尊ではなく、宝袋尊と称しています。


宝袋尊



やすらぎの地蔵


袋を携えて笑っている宝袋尊は、中国の禅僧で実在の人物とのことです。


弥勒の化身の宝袋尊は、全て輪包容する和合成功の神様です。

やすらぎの地蔵はそれぞれ風車に彩られています。

全部で100体ほどの地蔵があります。



アクセス


最寄り駅京成電鉄柴又駅
帝釈天までは柴又駅から徒歩5分


関連するホームページ

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宝袋尊



良観寺



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       風来坊


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