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東京龍馬会第47回史跡探訪 その2 (H22.5.30)
『幼少の勝海舟を訪ねて〜両国から浅草を巡る・・・・東京スカイツリーを眺めながら』


江東橋からの大横川親水公園と東京スカイツリー



緑4丁目からの京葉道路の展望


「勝海舟揺籃の地」から「緑4丁目」の交差点に戻り、交差点を渡って右折して50mほど進んだところが「江東橋」です。

この橋の上が、本日の史跡探訪コースでの最初の東京スカイツリーのビューポイントです。

橋の下が大横川親水公園です。



大横川親水公園は、墨田区内を流れている大横川の多くの部分を埋め立てて造られた墨田区立の公園です。

総延長が約1800mの大規模な親水公園です。


大横川親水公園



大横川親水公園からの東京スカイツリー


大横川親水公園からの東京スカイツリー



大横川親水公園の散策路


大岡側の流れている一帯は、付近にあった工場などからの地下水の汲み上げにより地盤沈下の激しい地域でした。

このため低い土地では川から水が溢れると浸水する危険があったため、大横川を埋め立てて親水公園として整備されたものです。


河川の多くは埋め立てられ、せせらぎや樹木などが新たに生まれ、親水公園として生まれ変わりました。



今回の史跡探訪においては、江東橋から業平橋までの間、すなわち親水公園の大部分を新緑を眺めながら歩きました。

親水公園のところどころから東京スカイツリーを眺めることもできました。

また、親水公園は川を埋め立てた公園ですから、その上に多くの橋が架かっています。


大横川親水公園の散策路



大横川親水公園の散策路


江東橋から親水公園に入り、JR総武線高架下を潜り、清平橋、報恩寺橋を抜けると、水が湧き出る場所があり、自然石を巧みに組み合わされた間を清流が流れる、まるで渓谷にでも来たような雰囲気のエリアがあります。

このエリアの先が紅葉橋ですが、紅葉橋の手前を左手に上り、親水公園から離れて50mほど進んだ右手が能勢妙見堂です。



大横川親水公園の散策路


大横川親水公園の散策路



能勢妙見山を開基した能勢頼次は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍し、一時期滅びた能勢家を再興させた能勢中興の人として知られています。

清和源氏といわれるように、源氏は清和天皇から始まりますが、清和天皇の曾孫に当たる多田満仲の長子が大江山の鬼退治で有名な頼光、そしてその子頼国の時に能勢に移住し、以来能勢を氏としたと伝えられています。


大横川親水公園の散策路



能勢妙見山


多田満仲から数えて23代目が能勢頼次です。

能勢頼次は本能寺の変で明智光秀に味方し、秀吉に攻められて本拠地である能勢を奪われて落ち延びます。

その後、関が原の戦いにおいてにおいて能勢頼次は徳川軍として大きい戦功を立てて、家康から能勢の旧領を与えられます。



能勢頼次は、日蓮宗身延山久遠寺の法主日乾上人に帰依し、妙見大菩薩を為楽山の山頂に祀り、能勢妙見山を開山します。


妙見菩薩とは、北辰、すなわち北斗星、北極星を神格、信仰することに始ります。

能勢頼直の代に、江戸下屋敷内に能勢大菩薩の分体を祀ったものが、ここ本所の能勢妙見堂です。


能勢妙見山本堂



勝海舟の胸像



境内に海舟の胸像があります。

このような同寺との縁とともに、海舟の偉業を伝えるべく地元有志が1974年5月に境内に建てたもので、あごひげを蓄えた顔は全身立像とはまた違った印象で海舟の姿を伝えています。

勝海舟は7歳のときに、海舟が12代将軍家慶の5男初之丞の学友に選ばれて江戸城に上がりますが、9歳の時に奥向きを去り、田羅尾七郎三郎へ読書の勉強に通い始めます。

ところが、この帰宅途中に暴れ犬に噛まれて大怪我をします。

このため父・小吉は、能勢妙見堂に日参して水垢離をしながら看病し、九死に一生を得たといわれています。


大横川親水公園と東京スカイツリー



大横川親水公園の散策路


能勢妙見堂から再び親水公園に戻り、北の方向に進んでいくと左手に釣堀があり、その先で親水公園は終わりです。


釣堀の先を上に上がったところが業平橋です。



親水公園から業平橋に出ると、ワッと言う声が拡がりました。


眼前に大きな東京スカイツリーが現れたのです。

史跡探訪の2番目の東京スカイツリー撮影スポットです。


業平橋からの東京スカイツリー



源森橋からの東京スカイツリー



東京スカイツリーと東武鉄道の特急



「三つ目通り」を300mほど進んだところが「源森橋」です。


史跡探訪3番目の津峡スカイツリー撮影スポットです。


業平橋から広い浅草通りに沿って浅草方面に400mほど進んだ「吾妻橋交番前」の信号を右折すると「三ツ目通り」に入ります。

この交差点は都営浅草線の本所吾妻橋駅前です。


東京スカイツリーと東武鉄道の特急



勝海舟の全身像



この海舟像は、勝海舟生誕180年を記念して「勝海舟の銅像を建てる会」が募金活動を経て2003年7月に建立し、7月21日の海の日に墨田区に寄贈されたものです。

また、墨田区役所内1階には、勝海舟関連の展示コーナーがあり、その功績を詳しく知ることができます。


「源森橋」から30mほど戻り「源森橋」の信号を右折して道なりに200mほど進んだ左手が墨田区役所です。

墨田区役所に沿って緩やかな坂を登った隅田川に面する「うるおい広場」に勝海舟の像が建っています。




勝海舟の全身像



吾妻橋 前方は浅草


当初の計画では、隅田公園内の藤田東湖の「正気の歌碑」を訪ねる予定でしたが、時間の関係で割愛されました。

藤田東湖の「正気の歌碑」は隅田公園の一番墨田区役所寄りにあり、勝海舟の銅像から200mほどのところです。

また、隅田公園内からもスカイツリーを眺めることができます。



史跡探訪のあと、いつものとおり懇親会がありました。


懇親会の会場は浅草雷門の近くでしたので、勝海舟銅像から懇親会に行く途中の吾妻橋からのスカイツリーを眺めることができました。


浅草の遊覧船桟橋(改装中)



吾妻橋からの墨田区役所(左側)と東京スカイツリー


写真は5月30日及び6月6日に撮影したものです。


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関連するホームページ

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        風来坊


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