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清水寺
清水寺本堂
4月3日と4日の2日間、京都の桜を楽しみました。 4月3日は午後から夜にかけて所要があったため、朝早く横浜を出発し午前中に清水寺を訪ねました。 4月4日は天候にも恵まれ夕刻の新幹線の乗車時刻まで1日楽しむことができました。
4月4日はどこに行こうかなと考えましたが、土・日は午後になると京都市内は大渋滞で車が動かなくなります。 このため地下鉄で移動できる場所が適当と考え、次のコースで散策しました。 京都霊山護国神社→高台寺→円山公園・八坂神社→知恩院→インクライン→南禅寺→岡崎公園→平安神宮→京都御所
清水の舞台からの展望
清水寺 清水寺は、京都東山の音羽山の中腹に建つ歴史ある寺院です。 1200余年前の宝亀9年(778年)に延鎮上人により開山されました。 平安遷都よりも古い、奈良時代末期の創建です。
清水寺は始め「北観音寺」と呼ばれていましたが、境内に湧き出る清水が観音信仰の黄金延命水として神聖化され、一般にも清めの水として「清水」が知られるようになり、名称が「清水寺」と改められました。 清水寺の由来となった清水が、現在でも「音羽の滝」の名水として、観光客に親しまれています。
清水の舞台は大賑わい
清水の舞台から
阿弥陀堂
清水寺は、寛永10年(1633年)に現在の規模に再建され、国宝の本堂、重要文化財の15建造物を中心とした堂塔伽藍の美は、見事なものがあります。 清水寺は、京都東山の中央にある音羽山を背景にした絶佳の場所に位置しており、京洛の街の大半を瞰下することができます。
約13万平方メートルの寺域は春は桜、秋は紅葉と、四季の景観も素晴らしく、観世音補陀洛の楽土と仰がれています。 清水寺では約1000本のソメイヨシノを楽しむことができます。
本堂
清水の舞台
本尊の十一面千手千眼観世音菩薩は、霊験あらたかな観世音として著名で、西国三十三所観音霊場第十六番の札所でもあります。 清水寺は1994年、世界遺産に登録されました。
清水寺の一番の見所は「清水の舞台」で有名な本堂です。 現在の本堂は、寛永10年(1633年)に再建されたものです。 正面36m強、側面約30m、棟高18mの大堂で、堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)、内陣、内々陣に三分され、最奥の内々陣の大須弥壇上の三基の厨子内に本尊千手観音と脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天が祀られています。
三重塔
境内の桜
経堂
そして錦雲渓の急崖に約190平方メートル、総桧板張りの「舞台」を懸造りにして張り出し、最高12メートル強の巨大な欅の柱を立て並べて支えています。 「清水の舞台から飛ぶ・・・・」の諺がありますが、舞楽などを奉納する正真正銘の「舞台」で、両袖の翼廊は楽舎です。 この舞台からの展望はまさに絶景といえるものです。
仁王門 清水寺の正門で西に面しています。 応仁の乱後の、15世紀末に再建されたものです。 正面約10メートル、側面約4.8メートル、軒高8.5メートルの、室町時代の特徴を示す堂々たる楼門です。 入母屋造り、桧皮葺きです。 昔ながらの丹塗りで「赤門」と呼ばれます。
仁王門
京都霊山護国神社の桜
京都霊山護国神社 京都霊山護国神社は、明治元年(1868年)5月に、明治維新の実現のために倒れた志士たちの霊を慰めるために、明治天皇の発案で創建された神社です。 この地に築かれたのは、既に幕末期において尊王派の志士達の聖地とされていたためです。 ここには、1043の志士たちの御霊が祀られています。
主な志士は、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村寅太郎、武市半平太、木戸孝允、久坂玄瑞、梁川星巌、徳川斉昭、梅田雲浜、真木和泉守、平野国臣、橋本左内、頼三樹三郎、中山忠光などです。 拝観時間は7:30〜17::00で、拝観料は300円です。
京都霊山護国神社
坂本龍馬
維新の道
この京都霊山護国神社に向かう参道が「維新の道」です。 京都霊山護国神社では大政奉還の記念日である10月14日に大祭が行われていましたが、第2次世界大戦でそれが途絶え、この付近は荒廃したままになっていました。
明治百年にあたる昭和43年(1968年)、有志によって発足した霊山顕彰会の手で付近一帯が再整備され、昭和45年(1970年)10月14日を期して、この付近が維新変革の原点と現代を結ぶ精神の道として「維新の道」と称されることになりました。 石碑の文字は、霊山顕彰会初代会長の松下幸之助の揮毫によるものです。
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓
坂本龍馬と中岡慎太郎の像
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓は霊山の中腹にあります。 明治維新の実現に大きな働きをしたこの土佐の二人の英傑は、慶応3年(1867年)11月15日に近江屋において襲われ、相次いで亡くなりました。 今年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放映されており、連日大勢の方が訪れているとのことでした。 毎年11月15日には、墓前祭が開かれています。
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓の前に、二人の銅像が建っています。 昭和37年(1962年)に、京都高知県人会によって建てられたもので、これと同じデザインで円山公園にも建てられています。 龍馬が立って慎太郎が座っているのは、両者の身長差がありすぎて、立って並ぶとバランスが悪いからとか。 龍馬の身長は174cmあったそうです。
池田屋事変の志士
霊山からの展望
霊山
坂本龍馬の墓の近くには「池田屋事変」で新撰組の襲撃により亡くなった尊王攘夷派の志士たちの墓もあります。 霊山の中で、最も高い場所に桂小五郎(木戸孝允)と幾松の墓があります。 桂小五郎は維新三傑の一人といわれており、勤王芸芸妓の第一人者、幾松とのロマンスは有名で、後に結婚します。
桂小五郎の墓
幾松の墓
高台寺の枝垂れ桜
高台寺 高台寺は、京都霊山護国神社のある東山霊山の麓にあり、「ねねの寺」として親しまれています。 高台寺は豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね)が慶長11年(1606年)に開創した寺です。
寛永元年(1624年)、建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号しました。 造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行いましたので、寺観は壮麗をきわめたといわれています。
開山堂と霊屋
開山堂、霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等が国の重要文化財に指定されています。 霊屋は北政所の墓所であり、秀吉と北政所をお祀りしている所でもあります。 厨子内左右に秀吉と北政所の木像が安置されており、北政所の木像の下がその墓所です。 須弥壇や厨子には、華麗な蒔絵が施され世に高台寺蒔絵と称され、桃山時代の漆工芸美術の粋を集めています。
方丈
開山堂
開山堂を中心に東西に広がる池庭は小堀遠州作と伝えられています。 春には方丈庭園のシダレザクラが美しく咲き誇ります。 開花期にはライトアップされ、夜間特別拝観ができます。 境内には約50本のシダレザクラ、ヤマザクラ、ソメイヨシノが植えられています。
時雨亭
傘亭
霊屋
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