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アプトの道を歩く その2 (H22.9.12)


トロッコ列車とうげのゆ駅 右は峠の湯 



トロッコ列車


峠の湯の裏手がトロッコ列車の「とうげの湯駅」です。

トロッコ列車は横川駅近くの「ぶんかむら駅」と「とうげのゆ駅」間で運行されており、「とうげのゆ駅」は折り返し駅になります。

アプトの道は、峠の湯の休憩施設と「とうげのゆ駅」の間にあります。


峠の湯を過ぎたところで、アプトの道はUターンする形でトロッコ列車の線路の下側をくぐり抜けて反対側に出ます。

反対側に出たところが、新線旧線の分岐点です。


碓氷新線跡 草の下には線路が残されています



アプトの遊歩道


かつてのアプト式旧線はここから前方にある刎石山の左裾方向に向かい、新線は刎石山の右裾方向に敷設されています。

ここから先の新線跡は立ち入り禁止となっています。



アプトの道はここから横川までトロッコ列車の線路と平行して進みます。


遊歩道には軌道がそのまま残されており、舗装がされています。

遊歩道は信越本線時代の上り線(横川方面)の線路で、トロッコ列車が走っているのは下り線(軽井沢方面)の線路です。


右側が霧積川橋梁



霧積川橋梁のレンガを熱心に撮影


現在は旧下り線にトロッコが走っているため遊歩道との間には柵が設置されています。

トロッコ列車の走っている旧下り線には信越本線時代の橋梁がそのまま残されております。

霧積川橋梁の軽井沢側に橋台のすぐそばに、アプト時代の第1橋梁跡を見ることができます。

レンガ造りの橋台のみが残されています。



旧丸山変電所



旧丸山変電所



霧積川橋梁を過ぎて暫く進むと旧丸山変電所です。

アプトの道の第3橋梁に次ぐ見所ということができます。

トロッコ列車も「まるやま駅」が設置されており、ここで5分程度停車し、乗客は列車を降りて写真を撮ることができます。


旧丸山変電所



旧丸山変電所


旧丸山変電所は、明治45年(1912年)碓氷線を走る機関車の電化に伴い造られたものです。


碓氷線は日本で唯一アプト式を取り入れて、日本一の急勾配である碓氷峠を越えていました。



旧丸山変電所



しかし、遅い速度、低い輸送力、トンネル内での煙などの問題で悩まされており、これを解決するために、日本で最初に電化されました。


丸山変電所の役割は、発電所からの電気を機関車に供給することでした。

昭和38年(1963年)の新線開通に伴い丸山変電所はその役割を終えております。


旧丸山変電所



おや! こんなところまでレンガ造り!


その後、丸山発電所は放置されて廃墟同然となっていましたが、日本の近代化に貢献した鉄道施設の様子をよく示すものとしての価値が認められ、平成6年(1994年)に国の重要文化財に指定されました。


平成14年(2002年)に修復工事が完了し、建物は建造当時の姿に復元されています。



旧丸山変電所とトロッコ列車のまるやま駅



丸山変電所は2棟の建物からなっており、向かって右側の建物が蓄電池室、左側の建物が機械室です。

蓄電池室には、機関車が峠にかかる時に必要な電力を補うために、312個の蓄電池が並んでいました。


まるやま駅もレンガ造りです



トロッコ列車は5分間停車します


機械室では、発電所から送られてきた交流電気を直流電気に変えて、蓄電池室内の蓄電池と機関車に送電していました。

レンガ造りの建築が盛んであった頃の建造物で、数少ない遺産といえるものです。



トロッコ列車


トロッコ列車と碓氷橋



アプトの遊歩道と碓氷橋



碓氷橋



旧丸山変電所から少し下がった遊歩道の上を横切っているのが上信越自動車道「碓氷橋」です。

碓氷橋は全長1267mで上信越自動車道の中で最長の橋で、1992年完成です。

信越本線と霧積川に架かる222mの区間は、景観を重視して斜張橋となっています。

逆Y字型の主塔の高さは113mで、橋全体が緩やかな曲線となっています。


碓氷橋



アプトの遊歩道



碓氷峠鉄道文化むら


さらに進むと前方に妙義山らしい景観も見えてきます。

アプトの道の終点の右側にあるのが、「碓氷峠鉄道文化むら」です。

碓氷峠の歴史や資料、碓氷峠で活躍した鉄道車両、国鉄時代の貴重な車両などを展示、公開しています。

トロッコ列車の運営も行っています。



横川駅の前に、信越本線の横川〜軽井沢間のシュルパとして平成9年9月30日まで活躍した、「EF63−3号」機関車の動輪が置かれています。

また、道路にはアプト式時代に使用されていたラックレール(歯車状のレール)が再利用されています。


EF63−3号機関車の動輪



EF63−3号機関車の動輪


ラックレール(歯車状のレール)



碓氷関所跡


アプトの道の終点近くの左手に碓氷関所跡があります。

碓氷関所は元和2年(1616年)、江戸幕府によって設置されました。

中山道は重要な交通路であったため、関東入国の関門として、幕府は「入鉄砲と出女」を厳しく監視しました。

東西に門があり、西を幕府が、東を安中藩が守っていました。



その東門が昭和35年、関所跡に復元されました。


また、関所資料館も建てられて、関所および交通に関する資料が展示されています。

門柱や門扉は当時使用されていたもので、総ケヤキ材の要所に金具を用いた堅固なものです。

安政遠足(侍マラソン)が行われる日、関所周辺では「碓氷関所祭り」が開催され、獅子舞や子供関所役人隊などが繰り出して賑わうとのことです。


おじぎ石



レンガ造りの水槽 下部は補強されています

諏訪神社に上る石段の傍に赤レンガ造りの水槽があります。

この水槽は碓氷線の蒸気機関車への給水などのため造られたものです。

東に流れる矢の沢から引水し、河原砂を使って浄水装置を設け給水していました。

後に横川駅の客車水槽への補給、鉄道官舎の生活用水にもなっていましたが、上水道の普及により役割を終えています。

一番下までレンガ造りですが、下部は外側がコンクリートで補強されています。


碓氷湖


夢のせ橋



夢のせ橋



夢のせ橋


碓氷湖は、碓氷川に建設された坂本ダムによって形成された人造湖(ダム湖)です。

昭和32年(1957年)に砂防事業の一環による砂防ダムとして建設されたものです。

当初の堤高は28.5mでしたが、昭和53年(1978年)に改修・補強工事が行われ、堤高を3mかさ上げしました。



このダム改築と同時に碓氷湖の周辺整備も行われ、湖岸を一周する遊歩道や駐車場の整備、坂本ダム上の橋や湖を渡る橋梁の整備が行われました。


橋梁については、碓氷鉄道施設遺産群に配慮して、明治風のデザインが採用されています。


ほほえみ橋



坂本ダム



坂本ダム


関連するホームページ


 碓氷峠観光案内所



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       風来坊


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