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猿島散策 その1 (H22.5.9&6.5)


猿島要塞のトンネル



三笠桟橋からの戦艦三笠


猿島は東京湾唯一の自然島で、面積は横浜スタジアムのグランドの約4倍程度です。

終戦までは一般の人の立ち入りは禁止されていましたが、今ではエコミュージアム猿島として整備され、連絡船で気軽に訪れることができます。

島内には緑深い木々の中に、旧軍施設である要塞やレンガ積みのトンネルなどが残り、ちょっとした探検気分を味わうことができます。



また、釣り、バーベキュー、海水浴などを楽しむこともできます。


今回はネットの友人たちと猿島でバーベキュー&探検を楽しむことになり、5月9日に訪ねました。

この日はバーベキューを楽しむことに熱中して、島の散策が不十分だったため、6月5日に再度訪ねました。


猿島



2009年完成の猿島桟橋



猿島と桟橋


猿島への連絡船は、日露戦争の日本海海戦で活躍した戦艦三笠が復元保存されている三笠公園に隣接する三笠桟橋から出ています。

米軍基地や横須賀の町を眺めながら約10分で猿島に到着します。

猿島の桟橋は平成21年に完成したばかりの、真新しいものです。

着船部分は潮位にあわせて、常に船の乗降口と同じ高さに上下する浮き桟橋構造になっています。



桟橋の根元には砂浜が広がっており、この砂浜がバーベキューの会場となります。

猿島にはレンタルショップがあり、バーベキューの食材のみを持参すれば、コンロや必要物品はすべてレンタルショップでまかなうことができます。

船で重たいコンロを運ぶ必要もなく、機材は洗わずに返却OKです。

また、分別をしっかりすれば、ごみはゴミ捨て場に捨てることができます。


2009年完成の猿島桟橋



砂浜はバーベキュー会場です



ボードウォーク


砂浜より一段高い部分にボードウォークが設けられています。

ベンチやテーブルが備え付けられており、海を眺めながらの食事や休憩に最適なスポットです。

イベントの広場としても利用されています。



バーベキューを楽しむグループ


バーベキューを楽しむグループ



散策路入口の案内板 現在地の写真が↓です 



散策路入口 真っ直ぐ進みます



ボードウォークの傍の緩やかな坂を少し登ると猿島散策路の入口です。

散策路の右側に案内板が建てられています。

案内板は島内数箇所に建てられており、迷うことなく散策できます。


緩やかな登り道



緩やかな登り道


少しカーブのある緩い坂を登っていくと、直線の散策路が前方に開けてきました。

ここが露天掘り幹道で猿島要塞の入口です。

猿島は東京湾ののど元に位置するため、海の守りの要として、幕末、明治中期、昭和と3度にわたり砲台が築かれました。



猿島要塞



猿島要塞



黒船がたびたび姿を見せはじめた幕末の頃、江戸幕府は海上防備のため、全国初のお台場と呼ばれる砲台を、猿島に3ヶ所建設し、黒船に対する守りを固めました。

以来、猿島は「要塞の島」としての歴史を歩み始めました。


猿島要塞・弾薬庫&兵舎



猿島要塞・弾薬庫&兵舎


明治時代中期、明治政府は、猿島に砲台と要塞を設けました。

要塞は外敵を防ぐための防御施設です。

猿島の要塞は東京湾港の守りを固めることを目的として建造されました。

すべての施設が岸壁を掘り込んで造られているので、島の外からは全く見えない構造となっています。



猿島要塞



露天掘り幹道に沿っていくつかの部屋が並んでいます。

小窓のあるのが兵舎で、窓のない部屋は弾薬庫です。

弾薬庫のすみには、真上の砲台に弾薬を運ぶためのものと思われる、井戸のような穴が開いています。


猿島要塞



猿島要塞


さらに進むと幹道はトンネルに入ります。

トンネルの壁沿いにも壁を掘り込んで2階建ての部屋が作られています。

これらの部屋も兵舎や弾薬庫のほか、病室や司令室として設けられたと考えられています。

このように猿島の要塞は、数々の工夫がなされた見事な要塞でした。



猿島要塞


猿島要塞



反対側の散策路への連絡通路



しかし、関東大震災で一部が崩壊したことや、飛行機や長距離砲が急速に発達したことにより、実戦で使われることはありませんでした。


その後、第二次世界大戦の激化とともに戦雲が本土へと迫り、再び猿島は防衛施設として重視されることになります。


反対側の散策路への連絡通路



愛のトンネル



愛のトンネル



愛のトンネル


昭和16年頃より鉄筋コンクリート制の円形の砲座が5座造られ、その上には高射砲が配備されました。


高射砲は終戦とともに進駐軍に解体され、砲台だけが残されました。

猿島に現存する砲台跡は、この時期のものです。


フランス積レンガの要塞

日本でのレンガによる建築は、幕末の長崎に始まり、文明開化とともに全国に広がりました。しかしそのほとんどは地震や老朽化により失われてしまいました。

近年の日本建築学会の調査によると、明治20年以前のレンガ建造物は、現在22件が確認されているのみです。

猿島の要塞もその一つで、愛知県産の品質の高い赤レンガを用いて、明治時代中期に建造されました。


愛のトンネル



愛のトンネル


愛のトンネル



愛のトンネル



愛のトンネル



愛のトンネル


ところで、レンガの積み方は、大きくは「フランス積」と、明治20年ごろから主流となった「イギリス積」に分けられます。


猿島の要塞はフランス積によるもので、フランドル地方(ベルギー西部〜フランス北端にかけての北海沿岸)で発達したため、正式にはフランドル積といいます。



フランス積のレンガ建造物は、もともと数が少なかったこともあり、猿島要塞を含めて全国で4件しかなく、建築史上とても貴重な建造物です。

猿島要塞のトンネルは、日本で2番目に古いフランス積みレンガのアーチ造り洋式トンネルです。

中は薄暗くカップルが自然と手をつないで通るため、いつしか「愛のトンネル」と呼ばれるように・・・・


愛のトンネル



第一砲台の関連施設



第一砲台の関連施設


愛のトンネルを抜けた右手が第一砲台の関連施設です。

台地上の両側には27cm加農砲が1門ずつ設置され、砲台下には弾薬庫や弾を上げるための井戸が陸軍によって建設されました。

その後、海軍が高角砲を設置し、その通路として弾薬庫を貫いて通路とし、現在に至っています。



第一砲台関連施設の先にあるトンネルは、島の東側に抜けるトンネルで、出口が直角に曲がっており、海上から見えないように工夫されています。


第一砲台の関連施設



愛のトンネル



愛のトンネル


関連するホームページ


 猿島の基本情報(横須賀観光協会)

 猿島への交通便


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        風来坊


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