散策スポット・北海道東北

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猿島散策 その2 (H22.5.9&6.5)


日蓮洞窟への急な階段



東京湾 遙か前方は房総半島



砲台跡


愛のトンネルを抜けた右手は第一砲台関連施設ですが、左手にあるトンネルを抜けると四差路があります。


左手に行くと日蓮洞穴、右前方に行くと台場跡、右手に行くと展望台です。



日蓮洞窟付近の岩場



日蓮洞窟付近の岩場



日蓮洞窟のほうに進むと砲台跡があります。


砲台跡の先は急な階段になっており、階段を海辺まで下りたところに日蓮洞窟があります。

この付近の岩場は釣りの名所とのことです。

岩礁の上で何人かが釣りを楽しんでいました。


日蓮洞窟付近の岩場



日蓮洞窟付近の岩場


日蓮洞窟付近の岩場



日蓮洞窟



日蓮洞窟


猿島に伝わる伝説

日蓮上人上陸の地

日蓮上人が天候の悪化により沈没寸前となった時現れた白猿の導きによって現在の米ケ浜に無事上陸できたといわれています。

この伝説に因んで「猿島」と名づけられたようです。



猿島に伝わる伝説

角無しサザエ


日蓮上人が米ケ浜に上陸する際、漁夫がサザエの角で足を痛めているのを見た日蓮は、題目を唱え、サザエから角をとってしまいました。

今でも、この付近で採れるサザエには角がないそうです。


日蓮洞窟



台場跡から三浦半島を望む 左端が観音崎



三浦半島を望む 左端が観音崎



台場跡から岩場への階段


三叉路を右前方に進んだところが台場跡です。

この付近の斜面一帯には幕末に建設された砲台である卯の崎台場がありました。

江戸幕府が異国船の江戸湾侵入を抑えるために島の3ヶ所に建設した台場のうちの一つで、弘化4年(1847年)に完成しました。



この卯の崎台場には3門の大砲が据えられ、普段は雨覆いがかけられていました。


嘉永6年(1853年)にはペリー提督が黒船を率いて猿島の脇を通過し、その際に猿島を「ペリー・アイランド」と命名したと伝えられています。

台場跡から階段を下りると岩礁に出ることができます。

この付近も釣りの名所のようです。


台場跡下方の岩場 前方は東京湾



第1砲台関連施設へのトンネル入口


三叉路を右に進むと展望台を経由してスタート地点に戻ることができます。


三叉路を右に行くとここにも砲台跡があります。

その先にある直角に曲がったトンネルを抜けると第一砲台関連施設に行くことができます。



砲台跡


トンネルを抜けると第1砲台関連施設



展望台への散策路



展望台への急な階段


展望台への急な階段



砲台跡から散策路に沿って進み、急な階段を登ったところが展望台です。

展望台は猿島に残る5つの砲台とともに、第2次世界大戦時に観測所として造られたものです。

施設が老朽化しており展望台の上に登ることはできません。


展望台



展望台前の案内板



散策路

猿島に伝わる伝説
猿島春日神社の大蛇


現在、三春町にある春日神社は、明治17年までは猿島にありました。

7月下旬の大祭前後には毎夜のように上総の鹿野山から猿島へ、大蛇が泳いできたといいます。この大蛇は春日神社の守護神で、島へ来たときは北側の洞窟に住んでいました。

なお、この洞窟は、江ノ島の岩屋まで続いているといわれています。


豊島

むかしむかし、猿島は豊島(としま)と呼よれていたそうです。

そのころの海には、猿島のほかにも笠島、平島、蛸貝島など、島は前部で10あったので十島(としま)と名づけられていましたが、縁起をかついで豊島と呼ぶようになったそうです。

明治のころから、海はどんどん埋め立てられて、今では猿島だけが海に浮かんでいます。


発電所跡



洋上から見る猿島


タブの木の森

猿島を海上から眺めると、黒々とした色の森が目につきます。

これがタブの森です。

船着き場の北側崖上にはみごとなタブノキが多く見られます。

この景観は、三浦半島に残された数少ない原生林といえます。


アクセス

京浜急行横須賀中央駅から三笠桟橋まで徒歩15分。

JR横須賀駅から三笠桟橋まで徒歩20分。

三笠桟橋から猿島まで船で10分。


洋上から見る猿島



渡船


3月〜11月は定休日なし。

12月〜2月は土・日・祝日のみ運航

乗船料:1200円(往復)




関連するホームページ

 猿島の基本情報(横須賀観光協会)

 猿島への交通便



 猿島散策その1へ


         風来坊


三笠公園


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