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金沢散策 (H21.11.29)

ひがし茶屋街


ひがし茶屋街



ひがし茶屋街


1日目は兼六園や金沢城公園の紅葉を楽しみました。


2日目は金沢市内を散策しました。

宿泊したホテルが金沢城公園大手門口のすぐそばでしたから、市内観光はすべて徒歩で楽しむことができました。



ひがし茶屋街

天正11年(1583年)、前田利家が入城し、金沢城下は城下町として栄え、江戸時代には、城下町近郊を流れる犀川、浅野川両界隈には多くの茶屋が立ち並びました。

文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得て、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ大いに賑わいました。


ひがし茶屋街



ひがし茶屋街



ひがし茶屋街


この時、旧来の不整形な町割りは改められ、整形な街区が形成されました。


茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残しているとして、2001年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。



ひがし茶屋街


ひがし茶屋街



ひがし茶屋街は、かつての東の郭ですが、郭といっても、伝統と格式を誇り、文人や裕福な商人たちの社交場で、芸妓たちも琴や謡曲、茶の湯など京都の祇園に並ぶ洗練された芸を身に付けていました。

石畳の通りの両側には細かい木虫籠格子のはまった家々が軒を連ね、情緒たっぷりです。

一見(いちげん)さんはお断りですが、今も営業している料亭があり、夕方になると三味線や太鼓の音が静かに流れてくるとのことです。


ひがし茶屋街


主計町茶屋街


主計町茶屋街



主計町茶屋街


主計町茶屋街


浅野川沿いに続く茶屋街で、ひがし茶屋街、にし茶屋街と並ぶ、金沢三茶屋街のひとつです。

現在は料亭やバーなどが多いですが、紅殻格子が続く町並みはなごみのひとときといえます。

夕暮れからは、街の光が浅野川の水面に映し出され、さらなる風情を醸し出されます。



なお、主計町という町名は、昭和45年に「住居表示に関する法律」により「尾張町2丁目」に変更され消失しましたが、金沢市と住民の強い希望で、平成11年に旧町名「主計町」が復活しました。


このように旧町名が復活したのは全国初の事例とのことです。


主計町茶屋街



主計町茶屋街



主計町茶屋街


ひがし茶屋街は道の両側に茶屋が並んでいますが、主計は片側に並んでおり、反対側は浅野川になります。


茶屋の窓から浅野川の流れを愛でることができます。



主計町茶屋街


主計町茶屋街


泉鏡花記念館


久保市乙剣宮神社


泉鏡花記念館

主計町茶屋街のすぐ隣りに泉鏡花記念館があります。

泉鏡花記念館は1999年に鏡花の生家跡に開館しました。

展示は観光地にある事を考慮して泉鏡花に対する予備知識を持たない者を想定した展示となっています。

所蔵品は鏡花の遺品、自筆原稿、鏡花作品の演劇、映画等の資料が中心です。


泉鏡花記念館



鏡花父子像

久保市乙剣宮神社

もと真言宗金剛寺の別当だった古社です。

明治時代の神仏混淆禁止以後は卯辰山から新町に戻ってきました。

祭神は白山比咲の第四子乙剣大明神とあります。

泉鏡花が少年時代に境内で遊んでいたので、石碑が建っています。


近江町市場


近江町市場



近江町市場

近江町市場は、金沢市の中心部にある、おもに生鮮食料品などの食品と生活雑貨を扱う小売店が主体の市場です。

280年の歴史を誇るこの市場は、「金沢市民の台所」と位置付けられ、市民からは「おみちょ」と呼ばれ親しまれています。


近江町市場



近江町市場


約2.8ヘクタールの敷地に約170店の商店・飲食店が軒を連ねています。


近江市場の名前の由来は、近江商人が作ったことによります。

近年、観光客が増加しており、商店側も宅配サービスなどそれにあわせた対応も増えてきているとのことです。



市街地開発事業により2009年4月16日に、近江いちば会館が開業して、現在73店舗が入居しています。


近江町市場


武家屋敷跡


武家屋敷跡



武家屋敷跡


武家屋敷跡(長町武家屋敷)


長町武家屋敷は金沢の中心商店街香林坊のすぐ近くにあります。

長町は前田八家の1つ長氏の屋敷があったことから名付けられました。

実際の長氏の屋敷は現在の玉川町にあたり、若干違っているとのことです。

長氏の屋敷跡は、現在、玉川公園や玉川図書館になっているとのことです。



長氏の屋敷の隣には同じく前田八家の1つ村井氏の屋敷がありました。

現在は金沢市立中央小学校となっています。

廃藩置県により、金沢県ができ、その県庁が長氏の屋敷に置かれました。


武家屋敷跡



武家屋敷跡


現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいました。

現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていないとのことですが、その中で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができるとのことです。


今回は時間がなくて野村家邸に入ることができませんでした。



武家屋敷跡 長町二の橋



武家屋敷跡に沿って、かつては藩主の荷を運んだ水路で、大野庄用水が流れています。

この大野用水に架かる橋を渡って、長町武家屋敷跡のエリアに入ると、江戸時代に逆戻りしたような古い屋敷が並んでいます。

両側に土塀が連なる細い道は、突き当たっては曲がる迷路のようになっています。

戦いの際に敵が一気に侵入するのを防ぐための構造です。


武家屋敷跡



武家屋敷跡


土塀の続く町並みの中では今も市民生活が営まれています。

土塀に載った光沢ある瓦は雪や雨の多い北陸地方独特のもので、釉薬をかけて焼いてあるとのことです。

武家屋敷跡には休憩室や観光案内コーナーがあります。



武家屋敷跡 長町三の橋



野村家


天承11年(1583年)前田利家が金沢城に入城した際、直臣としてしたがった野村伝兵衛信貞家は、禄高1200石と累進し、10代に渡って御馬廻組々頭、各奉行職を歴任しました。

1000坪余りの屋敷を拝して連綿と明治3年の廃藩まで続いた由緒ある家柄です。


前田土佐守家資料館



金沢市老舗記念館



 兼六園の紅葉へ


 金沢城公園の紅葉へ


       風来坊


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