中浜万次郎
土佐国中浜村(現在の土佐清水市中浜)の漁師の次男に生まれ、幼いころから良く働き家族を養った。天保12年(1841年)15歳の時に漁に出て遭難し、5日半漂流後、無人島の鳥島に漂着。143日後にアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助された。
船長に気に入られた万次郎はアメリカに渡り、船長の養子となって英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学び首席で卒業する。
帰国後はアメリカの知識を必要とした幕府に召還されて直参の旗本となる。万延元年(1860年)には日米修好通商条約の批准書を交換するための通訳として、咸臨丸でアメリカに渡る。船長の勝海舟が船酔いだったため、万次郎が船内の秩序維持に努める。
維新後は開成学校(現東京大学)の教授として活躍。明治31年(1898年)71歳で死亡。
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