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東海七福神に関するしながわ観光協会のパンフレット
弁財天:磐井神社
品川は平安朝の時代よりその地名があり、鎌倉、室町時代には江戸湾の重要港湾として栄えてきました。 太田道灌も品川に居た時代があったとのことです。 慶長6年(1601年)に東海道五十三次が定められ、品川は第一の宿場となりました。 旧東海道の沿道には由緒ある社寺が多く、古くから七福神が祀られていましたが、昭和7年に品川が大東京に編入された記念として東海七福神初詣が定められ、現在に至っています。
東海七福神のパンフレットに記載されている、徒歩で巡る場合の所要時間は次のとおりです。 約2時間で巡ることができます。 品川神社〜5分〜養願寺〜1分〜一心寺〜3分〜荏原神社〜12分〜品川寺〜20分〜天祖諏訪神社〜25分〜磐井神社 地図は下記の「東海七福神」のサイトで「地図から巡る七福神」をクリックして下さい。 東海七福神
磐井神社手水舎
磐井神社本殿
品川神社は京浜急行「新馬場駅」の近く、磐井神社は京浜急行「大森海岸駅」の近くにあります。 風来坊は、磐井神社から東海七福神を巡りました。 京浜急行「大森海岸駅」の改札口を出ると正面が道路で、すぐ左手に横断歩道橋があります。 この横断歩道橋を渡り、第一京浜国道に沿って川崎方向に5分ほど行ったところが、磐井神社です。
弁財天:磐井神社 磐井神社の創建は、敏達天皇の2年8月(573年)と伝えられ、1400余の歴史を誇っています。 延喜式神名帳(927年作成)に記載されている官社です。 幾度かの戦火をくぐってきており、現在の神社は昭和29年9月に再建されたものです。 弁天の社は境内の左手にあります。
弁天の社
鈴ヶ森の旧東海道入口 八ツ山橋まで一方通行です
弁財天はインドの神です。 七福神中、唯一の女神で、愛敬をしめし、音楽の神・弁舌才知の神・学芸の神・水の神などとして広く信仰されています。 琵琶を弾く妖艶な姿を現わしており、また弁財天と記して蓄財の神としても知られています。 日本の市杵島姫命と同一視され神社の祭神となり、水神としての神格を備えることから、池や海の水辺に奉られています。 巌島・江ノ島などの祭神です。
磐井神社から元来た道を戻り、大森海岸駅を通り過ぎてさらに10分ほど行ったところで、第一京浜国道と旧東海道に分かれます。 この第一京浜国道と旧東海道が分岐する三角地帯に鈴ヶ森刑場遺跡があります。
鈴ヶ森刑場遺跡
鈴ヶ森刑場遺跡は、慶安4年(1651年)に開設された江戸時代の御師置場跡です。 江戸の北の刑場である小塚原刑場に対して、南の刑場として設置されました。 鈴ヶ森刑場は、東海道に面しており、元禄8年(1695年)に実施された検地では、間口40間(74m)、奥行9間(16.2m)の規模だそうです。
歌舞伎の舞台でお馴染みのひげ題目を刻んだ石碑は、元禄6年(1693年)池上本門寺日の記した題目供養碑で、処刑者の供養のために建てられたものです。 鈴ヶ森刑場遺跡には、火あぶりや、はりつけに使用されたという岩石も残されています。 ここで処刑された者のうち、丸橋忠弥、天一坊、白井権八、八百屋お七、白木屋お駒などは演劇などによってよく知られています。 鈴ヶ森刑場遺跡は、現在は大経寺の境内になっています。
ひげ題目石碑と鈴ヶ森刑場受刑者之墓
旧東海道 左は鈴ヶ森刑場遺跡と大経寺
鈴ヶ森刑場跡から約10分進んで信号を渡ると、道路の両側が褐色に変わり、立会川に入ります。 信号から約50m進んだところが立会川に架かる浜川橋です。 江戸時代には、鈴ヶ森刑場に送られる罪人と家族がここで涙を流して別れたというので涙橋とも呼ばれています。 浜川橋の手前の左奥に天祖諏訪神社があります。
浜川橋
福禄寿:天祖諏訪神社
天祖諏訪神社本堂
福禄寿:天祖諏訪神社 浜川町と元芝の鎮守の御社・氏神様として仰ぎ親しまれる天祖神社・諏訪神社は、古くは神明宮・諏訪社と称し、かつては東京湾に面して、立会川をはさんで並び祀られていました。 天祖神社の創建は、建久年間の記録から西暦1100〜1190年頃と考えられ、諏訪神社は松平土佐守下屋敷の近くにあり、寛永8年(1631年)以前の創建と考えられます。 昭和40年に合祀されました。
福禄寿は中国の神です。 福禄寿・寿老人は南極星の化身(精)とされ中国の道教に由来しています。 人望をあらわし、その向上を祈れば霊験が得られるといわれています。 背丈が低く頭がきわめて長く、髪が多く白髪童顔で年齢は数千歳ともいわれています。 また福(幸福)・禄(高給)・寿(長命)の三つの福徳を授けてくれる神でもあります。
福禄寿
鮫洲商店街のシンプルな看板
鮫洲商店街
鮫洲商店街から青物横丁商店街へ
道路の色が変わり、車道がカラーになるとともに、歩道は石畳風舗装となります。 青物横丁商店街に入り、約5分で品川寺です。
青物横丁商店街の歩道は石畳風舗装
毘沙門天:品川寺
毘沙門天:品川寺 品川寺(ほんせんじ)は大同年間(806年〜810年)に弘法大師空海によって開山された品川で最も古いお寺です。 幾たびかの戦火をくぐり、承応元年(1652年)、弘尊上人によって中興され、真言宗海照山普門院品川寺と号しました。 本尊の観世音菩薩(水月観音・聖観音)は太田道灌の念持仏と伝えられています。
品川寺は、「品川観音」として親しまれており、また、寺宝の大梵鐘から、「鐘の寺」と呼ばれています。 安置されている毘沙門天は御丈三尺余、足利期のものと推察され、高野山伝来の由緒深き御尊像として信仰を集めています。
品川寺本堂
大梵鐘
毘沙門天はインドの神です。 多聞天ともいい、東方を守る持国天・西方の広目天・南方の増長天とともに四天王の一尊として北方を守る武神です。 財宝富貴を守るといわれています。 甲冑を着け、片手の掌上に宝塔をのせ、片手に宝棒もしくは鉾を持つ姿は北方守護神にふさわしいものです。 宝塔は限りない財産を与えるという意味をもっています。
品川寺には大きなイチョウがあります。 幹周り5.35m、樹高25m、推定樹齢約600年という古木ですが、整然とした樹姿を見せております。 約600年という樹齢は、品川寺が歴史の古い寺であることを実証するものの一つです。
品川寺のイチョウ
地蔵菩薩座像
地蔵菩薩座像は江戸六地蔵の第一番に数えられています。 1708年に造立され、高さ2.75mです。 他の六地蔵と同様にかつては笠をかぶっていましたが、震災で失ったとのことです。 江戸六地蔵
品川寺から約5分進むとジュネーブ平和通りと交差します。 ここからが「品川宿場通り南会」です。 カラーの車道や石畳風舗装の歩道は、これまでの青物横丁商店街と同じです。
青物横丁商店街の表示
品川宿全体で見られる表示
品川宿場通り南会の表示
旧東海道品川宿では、訪問した観光客にわかるように、町名や街道名が表示されています。 それぞれの商店街でさまざまな工夫がされているようです。
品川宿場通り南会に入って約5分進むと、左手に「街道松の広場」があります。 小さな広場ですが、椅子などが準備されており、休憩することができます。 「街道松の広場」にある松は、旧東海道品川宿のシンボルとなる「街道松」として、東海道が取り持つ縁で、29番目の宿場があった浜松市の有賀氏から品川区に寄贈された樹齢約80年の黒松です。
「街道松の広場」から約5分進むと品川橋です。 東海七福神巡り その2へ 風来坊