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上野恩賜公園は人の波です
上野恩賜公園入口
上野恩賜公園は、江戸時代は東比叡山寛永寺の領地で、明治維新後に公園、文教施設、寛永寺に分割されました。 東比叡山寛永寺は、3代将軍家光の命により、天界僧正によって寛永2年(1625年)に建立されています。
戊辰戦争において、徳川慶喜が謹慎していた上野寛永寺は彰義隊が終結して反政府軍の拠点になり、しばしば新政府軍の兵士と衝突していました。 慶応4年5月15日、大村益次郎指揮の官軍は、彰義隊を総攻撃し、壊滅させました。 のちに、『上野戦争』と呼ばれている戦いです。
この戦いの主戦場となった上野寛永寺は官軍の攻撃により焼失し、明治維新以降、上野の山一帯は焼け野原となり放置されていました。 明治6年の太政官布達によって、上野恩賜公園は、芝、浅草、深川、飛鳥山と共に日本で初めて公園に指定されました。
当初は寛永寺社殿と霊廟、東照宮それに境内のサクラを中心にした公園でしたが、その後整備が進められ、総面積54万平方メートルの公園敷地内には、不忍池、上野東照宮、上野動物園、東京国立博物館、国立科学博物館、東京都美術館、国立西洋美術館をはじめとした文化施設が建てられ、四季には数々の催し物が開催され、文化の香り高い公園へと衣替えしました。
大噴水と国立博物館
上野恩賜公園には約1200本の桜があり、約半分をソメイヨシノが占めています。 当初の開花予想では、東京の桜は、昨年よりも1週間程度遅いとのことでしたが、その後開花予想が逐次早まって、3月22日に開花宣言が出ました。 昨年に続き、今年も全国で一番早い開花宣言です。
桜は開花してから満開までは1週間程度ということですが、3月26日に上野の東京都美術館に行ったネットの友人から「桜が思いのほか咲いていて綺麗でした。今週末には満開ですね」との情報が提供されました。 アップされたアルバムを見ると満開に近い状況です。
満開の桜
3月27日に六義園の枝垂れ桜、小石川後楽園の枝垂れ桜を見に行く予定でしたので、上野恩賜公園にも立ち寄ることにしました。 上野恩賜公園は、例年、桜の時期の土・日には30万人近い人が訪れる、サクラの名所です。
本日は平日ですが、午後になると上野恩賜公園は大混雑になると思い、六義園→上野恩賜公園→小石川後楽園の順番で廻ることにしました。 JRを利用して駒込駅から上野駅に着きました。 この時期「公園口」の改札口は大変混雑するため、「不忍口」から上野恩賜公園に向かいました。
夜の宴会のため、朝早くから席取りです
早くも宴会をはじめたグループも?
平日ですし、10時を少し過ぎた時刻に上野駅に到着しましたので、上野恩賜公園はまだ空いているのではないかとの期待を抱きつつ桜並木に向かいました。 上野恩賜公園にはいると、桜は思ったよりも咲いていて、満開に近い状態です。
しかしながら、散策路以外は、夜の宴会のために一面ビニールシートで埋め尽くされていました。 幹事さんは、朝早く上野恩賜公園に出勤し、朝から数人でお酒を飲みながら、宴会の開始時刻まで待つのです。 多分、幹事さんグループは宴会開始までに酔っ払うのでは!
不忍池・蓮池の桜
上野恩賜公園のもう一つの桜の見どころが不忍池です。 不忍池は周囲約2kmで蓮池、ボート池、水上動物園(上野動物園の一部)の3つの池から構成されています。
不忍池の桜並木
不忍池・弁天堂
不忍池・ボート池
上野の山を今日の比叡山に、不忍池を琵琶湖に見立てて、竹生島(ちくぶじま)にならって弁天島を作ったといわれています。 また、竹生島宝厳寺の弁財天を勧請し弁天堂を建立しました。
上野恩賜公園の桜並木から坂を下りて、天龍橋、弁天堂を経由して不忍池の桜並木に出ることができます。 天龍橋から弁天堂までの道の両側も屋台がぎっしりと並んでおります。 ここも弁天堂に行き来する人、不忍池の桜並木に行き来する人で大混雑です。
陽光
大島桜
3月下旬になって4月中旬から5月上旬並みの陽気が続いたためか、随分開花が進んでいるようで、今年は不忍池の桜も満開に近い状態でした。 不忍池の桜並木は上野恩賜公園の桜並木よりも随分と空いていて比較的ゆっくりと散策できます。
ボート池では多くの人が水の上からの景観を楽しんでいました。 上野公園の桜を見て帰宅してびっくりです! 本日東京では満開宣言が出たとのことです。 開花宣言から5日目での満開宣言は、史上2番目の早さだそうです。 風来坊