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湘南スターモールの竹飾り
湘南スターモール入口付近
年に一度、天の川をわたってふたつの星が出逢う・・・・・ そんなロマンチックな伝説を今に伝える平塚の七夕まつりは、湘南に夏の訪れを告げる風物詩です。 さまざまな想いが込められた幾多の豪華絢爛な竹飾りが、満天の夜空を美しく彩ります。
ロマンに出会う4日間! 今年も湘南ひらつか七夕まつりが7月6日から9日まで開催されています。 風来坊、当初の天気予報では週末は雨の予想だったため、今年は諦めていましたが、7月8日(土)は曇模様となったため、今年も出かけてきました。
今年は昨年よりも1日短いです。
平塚の七夕まつりは、昭和26年に平塚商人の心意気を吹き込んだ第1回の七夕まつりが開催されてから、今年で56回目になります。 毎年300万人を越える人出があり、現在では仙台と並ぶ日本を代表する七夕まつりです。
湘南ひらつか七夕まつりの竹飾りは、その時その時の世相が反映されます。 今年の飾り付けの一番人気はトリノオリンピックで金メダルに輝いた荒川静香さんのイナバウアーでした。その次はこれも金メダルの王ジャパンでした。 その次がサッカー日本代表のようで、今年はスポーツ全盛でした。 もちろん、地元ベルマーレも健在です。
七夕まつり 七夕まつりは、中国の牽牛織女の伝説に基づいて始まり、日本へは星まつりとして伝えられました。 はじめ宮廷貴族を中心とする都の生活のうちに受け継がれ、書道の上達や恋愛の成就を祈る風習となりました。 江戸幕府はこれを年中行事に取り上げ武家の風習となり、しだいに庶民へも普及するに至り、各地域によって特色のある七夕まつりとして今日に至っています。
湘南ひらつか七夕まつりの特色 平塚の七夕まつりは、戦後商業振興策として始められたもので、活発な商業力に裏づけられた日本一といわれる竹飾りの豪華さに特色があります。 期間中は竹飾りのコンクールをはじめ、パレード等各種催物がくりひろげられ日本を代表する夏の風物詩として発展してきています。
湘南ひらつか七夕まつりの歩み 平塚は海軍火薬廠があったことから昭和20年7月の大空襲で壊滅的打撃を受け、全市が焼野原と化してしまいました。 しかし、復興は早く、「戦災復興五ヶ年計画」も一段落した昭和25年7月“復興まつり”が開催されました。 そしてちょうどこの時期が近隣農家の野上りの時期とも重なり非常に多くの人出を見ました。
そこで、平塚商工会議所、平塚市商店街連合会が中心となって昭和26年7月には仙台の七夕まつりを範とし、平塚商人のたくましい心意気を吹き込んだ第1回七夕まつりを行いました。 昭和27年と28年には「平塚七夕音頭」「紅谷町音頭」「平塚恋しや」が発表され七夕まつりに色をそえました。
荒川静香のイナバウアー
そして、昭和32年の第7回七夕まつりからは、平塚市の主催となり、諸産業発展を願い、また平塚を広く全国に紹介する場として重要な役割を果たしており、今日では、仙台と並ぶ日本を代表する七夕まつりに成長しています。
七夕の伝説 7月7日七夕の夜、天の川を隔てて輝く、わし座の1等星アルタイル(牽牛星)彦星とこと座の1等星べガ(織女星)織姫が 一年に1度だけ逢うことを許された夜・・・・・ このお話は中国で生まれ日本に語り伝えられた伝説です。
世界一の王ジャパン
やはり平塚はベルマーレです!
特選:滝口カバン
夜空に輝く天の川のほとりに、天帝の娘で織女と呼ばれるそれは美しい天女が住んで居ました。 織女は、天を支配している父天帝の言いつけをよく守り、毎日機織りに精を出していました。 織女の織る布はそれはみごとで、五色に光り輝き、季節の移り変わりと共に色どりを変える不思議な錦です。
天帝は娘の働きぶりに感心していましたが、年頃の娘なのにお化粧一つせず、恋をする暇もない娘を不憫に思い、天の川の西に住んでいる働き者の牽牛という牛飼いの青年と結婚させることにしました。
特選:平田人形専門店
紅谷パールロードの入口
紅谷パールロードの七夕飾り
こうして織女と牽牛の二人は、新しい生活を始めました。 しかし、結婚してからの織女は牽牛との暮しに夢中で毎日はしゃぎまわってばかり。 機織りをすっかり止めてしまったのです。 天帝も始めはこんな二人の様子を新婚だからと大目にみていましたが、いつまでもそんな有様が続くと眉をひそめざるを得ません。
天帝はすっかり腹を立ててしまい、2人の所へ出向くと、 「織女よ、はたを織ることが天職であることを忘れてしまったのか。心得違いをいつまでも放っておく訳にはいかない。再び天の川の岸辺に戻って機織りに精を出しなさい」 更に付け加えて・・・・「心を入れ替えて一生懸命仕事をするなら1年に1度、7月7日の夜に牽牛と会うことを許してやろう」と申し渡しました。
紅谷パールロード・歌舞伎
紅谷パールロード・竹取物語
紅谷パールロード・武田信玄
紅谷パールロード・戦国武将
織女は牽牛と離れて暮すのがとても辛く涙にくれるばかりでしたが、父天帝に背く事もできず、牽牛に別れを告げると、うな垂れて天の川の東に帰って行きました。
それ以来、自分の行いを反省した織女は年に1度の牽牛との再会を励みに、以前のように機織りに精を出すようになりました。 牽牛も勿論思いは同じ、働いて働いて...7月7日を待ちました。 こうして、牽牛と織女は互いの仕事に励みながら、指折り数えて7月7日の夜を・・・・
紅谷パールロード・紫式部
ところが、2人が待ち焦がれた7月7日に雨が降ると、天の川の水かさが増して、織女は向こう岸に渡ることができなくなります。 川下に上弦の月がかかっていても、つれない月の舟人は織女を渡してはくれません。 2人は天の川の東と西の岸辺にたたずみ、お互いに切ない思いを交しながら川面を眺めて涙を流すのでした。
功名が辻
7月7日に雨が降れば・・・・そんな2人を見かね何処からともなくかささぎの群が飛んできて、天の川で翼と翼を広げて橋となり、織女を牽牛のもとへ渡す手助けをしてくれるのだそうです。
露店も大賑わいです
アクセス 七夕まつり会場までは、JR平塚駅から歩いて1分です。しかし、300万人以上の人出がある一大イベントです。 北口改札口は大変混雑しますので、「SUICA」をご利用でない方は、出発駅で往復乗車券を購入することをお勧めします。 西口は比較的空いており、こちらを利用することをお勧めします。
10時前は空いています
七夕まつり開催期間中の周辺道路は、全面交通規制となります。 通行許可証がないと会場付近に近付けないようです。 電車・バスが無難です。 関連するホームページ 湘南ひらつか七夕まつり 風来坊