
野中の湯
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熱海梅園を訪問した際に、熱海を散策してきました。
第1回目は1月24日、第2回目が2月7日です。2回分をまとめてのレポートです。
熱海梅園の最寄りの駅は来宮駅ですが、「こだま」との連絡が悪いため、散歩を兼ねて熱海駅から来宮駅経由梅園まで歩くこととしました。
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散策の途次、熱海七湯(七つの源泉)の一つ「野中の湯」に出会いました。
また、来宮駅の手前で立ち寄った「来宮神社」には樹齢二千年を超える天然記念物の大樟がありました。
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来宮神社
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天然記念物の大樟
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一周すれば寿命が1年延び、願い事も叶えられるとか!
もちろん風来坊も一周しました。右廻りor左廻り?
観光案内には詳述されていないスポットでした。
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海蔵寺
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第2の大樟
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熱海梅園からの帰路もバスに乗ることなく、来宮駅の少し梅園よりの急な坂道を海辺に向けて下りました。
坂の途中の海蔵寺には坪内逍遙の墓所がありました。
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坪内逍遙の墓所
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起雲閣
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海蔵寺から坂を少し下った三叉路を右手に進んでいくと、「起雲閣」があります(入場料は310円)。
「起雲閣」は、政・財界で活躍し「海運王」とも呼ばれた内田信也により1919年に別荘として建てられました。
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日本の伝統的な建築美を伝えるその姿には大正の浪漫が薫り立っております。
非公開の岩崎別荘、今はなき住友別荘と並び、「熱海の三大別荘」と賞賛されました。 |

起雲閣
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起雲閣庭園
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緑豊かに庭園は昭和の時代、「鉄道王」の異名を持つ実業家、根津嘉一郎の手により整えられました。茶人としても知られた根津し自らが采配を揮ったと言われております。
庭を取り巻く回廊式の建物であり、庭の趣は各部屋ごとに異なっております。
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1947年に旅館として生まれ変わり、熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎え、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、武田泰淳など、日本を代表する文豪たちにも愛されてきました。
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起雲閣庭園
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サンルーム
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市街地とは思えない緑豊かな庭園。
日本家屋の美しさをとどめる本館と離れ。
日本、中国、欧州などの装飾、様式を融合させた独特な雰囲気を持つ洋館。
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優雅な気品を醸し出すこれらの施設は、歴史的・文化的遺産として貴重なものといえます。
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玉渓の間
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金剛の間
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ローマ風浴室
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熱海桜(1月24日)
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糸川沿いの熱海桜は、1月24日は咲き始めでしたが、今回は満開に近く見頃でした。
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熱海桜は早咲きで有名ですが、早咲き梅よりも早いとは・・これも異常気象の影響でしょうか?
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熱海桜(2月7日)
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坪内逍遙の記念碑
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熱海をこよなく愛した坪内逍遙は、明治45年に糸川べり荒宿に別荘を新築し、大正9年に水口に移住するまで、この地で文筆に励んだと伝えられています。
その別荘のあった近くに記念碑が建立されていました。記念碑の廻りの熱海桜も満開でした。
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海岸に出ると、熱海の大きな変化が感じられました。
渚親水公園には素晴らしい散歩道が設けられており、それに続くサンビーチも大々的な工事が進められています。
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渚親水公園
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歯抜けのホテル群
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また、渚親水公園の対岸で、3月18日〜5月23日の間に開催される、「熱海花の博覧会」に向けての建設工事が進んでおります。
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海辺を利用しての新たな取り組みの一方で、ホテルを解体しリゾートマンションを建設する工事が目抜き通りのあちこちで見られました。
ホテルは団体旅行客から個人客へと脱皮を図っているようですが、不景気の影響で多くのホテルが閉業に追い込まれているようです。
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解体で歯抜けの目立つホテル群
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ホテルの跡地にマンションが
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ホテルとホテルの間が歯抜けになっている熱海の姿を見るに、寂しい限りです。
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金色夜叉の碑
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サンビーチの噴水
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最後に金色夜叉のお宮の松を訪問して熱海散策を終えました。
約1万7千歩の旅でしたが、海岸地域以外はどこへ行くにも坂道ばかりで、日頃の足腰の鍛錬が不十分な風来坊には厳しい散策でした。
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貫一お宮の碑
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お宮の松
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関連のホームページ
熱海花の博覧会 熱海七湯
来宮神社 起雲閣
風来坊
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