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日本庭園・上の池付近の紅葉
日本庭園の紅葉
今年の異常気象のためでしょうか? 12月10日に新宿御苑を訪ねましたが、まだ十分に紅葉を楽しむことができました。 新宿御苑は敷地が17万8千坪もある極めて大きな公園で、入口も新宿門、大木戸門、千駄ヶ谷門の3個所があります。 もみじを楽しむことができるエリアも、新宿門付近、日本庭園、紅葉山の3個所があります。
新宿門を入ると左手の道路の両側にもみじがあります。
新宿御苑のツール 新宿御苑の敷地は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた江戸屋敷の一部です。 東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な土地で、のちの甲州街道や青梅街道になる江戸から西にのびる街道と、鎌倉街道が交差する要所です。
上の池の紅葉
ことから、この一帯の警護など軍事的な目的で家康が信頼できる家臣に与えたとされています。
内藤氏7代清枚は元禄4年に三万三千石の信州高遠城主となりました。内藤家の屋敷地はその石高に比べてあまりにも過分であったため、その後かなりの部分を幕府に返上しましたが、明治5年にはまだ十万坪以上が残されていました。 新宿御苑は、この内藤家の九万五千坪余と、当時すでに私有地化していたものの、もとは内藤家の屋敷地であった隣接地を合わせた十七万八千坪(58.7ha)の土地に誕生することとなりました。
新宿門付近の紅葉
また、現在大木戸門を入った突き当たりにある玉藻池を中心とする日本庭園は、安永元年(1772年)に玉川上水の余水を利用して完成した内藤家の庭園『玉川園』の一部です。 このようなことから、新宿御苑のルーツは内藤家の江戸屋敷と言えます。
雑木林のようなもみじ山
明治5年、政府は内藤家から上納された土地と買収した隣接地を合わせた58.7haの敷地に、わが国の近代農業振興を目的とする「内藤新宿試験場」を設置し、欧米の技術や品種を含めた果樹・野菜の栽培、養蚕、牧畜などの研究が幅広く行われました。
もみじ山の入り口付近 左は下の池
下の池の紅葉
その後、明治35年から4年の歳月をかけて大改造が行われ、皇室の庭園としての新宿御苑が誕生しました。
新宿御苑が皇室の庭園としての道を歩きはじめた当初は、東京の街路樹に利用するプラタナスやユリノキの挿し枝、種子の供給の役割なども継続していましたが、大正6年からは観桜会、昭和4年からは観菊会の会場に定着したこともあり、桜と菊に関する内容及び体制の充実が図られたそうです。 昭和24年5月21日に「国民公園新宿御苑」として一般に開放されました。現在は環境省の所管となっています。
下の池
新宿御苑では水仙も綺麗に咲いていました。
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