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京都の紅葉04−南禅寺 (H16.11.19)

南禅寺


南禅寺三門から天授院を望む


南禅寺三門

南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山で、正式名称は瑞龍山大平興国南禅禅寺です。

鎌倉時代の正応4年(1291年)に、亀山上皇が離宮を施捨して禅寺とし、大明国師を開山にしたのが始まりです。

歴史上の特色としては、五山制度の中で五山を超える「五山之上」という禅宗寺院最高の寺格を賜ったこと、当時最も傑出した禅僧が歴代住持として住山したこと、その結果として五山文学の中心地として栄えたことがあげられます。

三門

南禅寺の三門は、石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」と見得を切る話の舞台になっている場所として有名です。

三門は、別名「天下竜門」と号し、2層からなる高さ22mの壮大な楼門で、上層の楼は五鳳楼と呼ばれており、日本三大門の一つに数えられています。



南禅寺三門から望む京都市街


南禅寺法堂

現在の三門は伊勢伊賀の領主、藤堂高虎が寛永5年(1628年)に、大阪夏の陣に戦没した藩士の霊を弔うために建立寄進したものです。

楼上には大仏師左京の作による釈迦像、十六羅漢像が安置されております。


拝観料500円を支払って楼上に上ることができます。楼上からは、石川五右衛門と同様の気分を味わうことができます。

絶景かな絶景かな 春の眺めは値千金とは小さなたとえ この五右衛門の目からは値万両

法堂(はっとう)

三門の後方に建っている伽藍が法堂です。

豊臣秀頼の寄進した法堂は明治28年に焼失し、明治42年に現在のものが建立されております。

内部には中央に釈迦如来像、獅子に騎った文殊菩薩、象王上の普賢菩薩の三体がまつられております。


南禅寺・本坊


大方丈(国宝)

本坊・方丈

法堂の後方の一段高いところに建っているのが本坊及び方丈です。

本坊は常住とも呼び衆僧生活の場であり、正面を入ると照顧脚下(足もとを見よ)と禅の教えを示す文字が目に写ります。

本坊に入るには拝観料300円が必要です。

大方丈は前庭に面したこけら葺の建物で、天正年間に豊臣秀吉が建造寄進した御所の清涼殿を、慶長16年(1611年)御陽成天皇より拝領移建したものです。

日本建築
(寝殿造り)の最も美しい豊かさをもった構築が見られ、小方丈と共に国宝に指定されています。

内仏は重文の平安時代作の聖観世音菩薩立像であり、襖絵は狩野元信、永徳の作です。


小方丈(国宝)

方丈庭園

方丈庭園

大方丈(清涼殿)の広縁の前に広がっているのが、代表的な禅院式枯山水の方丈庭園です。

清涼殿、庭園、借景の羊角嶺大日山等の山並と3者がよく調和した、優雅枯淡で品格のある庭園です。

巨石の姿から、俗に「虎の児渡し」と呼ばれ、江戸初期以降に見られる樹木と石組みを1ヶ所にまとめた有数の名園であり、慶長年間小堀遠州の作庭といわれています。


南禅寺・天授院



天授院の紅葉 右は本堂


本堂前庭(東庭)の紅葉

天授庵は南禅寺の開山第一世の大明国師をお祀りする南禅寺の開山塔であり、山内で最も由緒ある寺院だそうです。

約700年前の正応4年(1291年)に、亀山法皇は離宮を施捨して禅寺とされ、当時の東福寺第3世大明国師を奉じて開山とされました。これが、南禅寺の開創です。

しかしながら、大明国師は離宮を賜って禅寺とされましたが既に老境にあり、未だ寺としての構造が整わない、正応4年12月に東福寺で80才の生涯を終えられました。


離宮を改めて禅寺としての構基を整備したのは、その殆どが第2世の南院国師の功績であったため、大明国師の没後数十年間は開山塔の建設もされませんでした。

南禅寺第15世の虎関師錬がこの状態をいたく嘆き、朝廷の勅許を得て、暦応3年(1337年)に始めて南禅寺に開山塔が建立されました。

これが天授庵の開創です。


本堂前庭(東庭)の紅葉


書院南庭の紅葉


南禅寺大火が類焼し、幾ばくもなく再び応仁の兵火に見舞われ、その後は復興されることもなく興廃のまま130年余を経過しました。

慶長7年(1602年)に細川幽斎の寄進によって、現存する本堂、正門、旧書院を始め諸堂尽く重建せられ、旧時の面目を復興し今日に至っております。

本堂

優雅な柿皮葺屋根を持つ建築であり、光厳帝御銘の霊光塔を復興したものです。

中央に開山大明国師等身大の木像を安置し、一隅に幽斎夫妻を始め細川家歴代の位牌所があります。


書院南庭の紅葉


天授院から南禅寺三門を望む


書院

本堂襖絵は長谷川等伯の筆であり、32面全てが重要文化財に指定されていますが、残念ながら非公開です。

庭園

本堂前庭(東庭)と書院南庭の2つがあります。

東庭は枯山水で正門より本堂に至る幾何学的な石畳を軸としているそうです。

書院南庭は池泉廻遊式庭園です。南禅寺三門のすぐ隣ですが、比較的訪れる人も少なく、静寂そのものです。

拝観料300円


 

書院南庭


水路閣


水路閣

疏水は、琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路です。

滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通り京都市東山区蹴上までの区間です。

疏水の工事は明治14年(1881年)4月に初めての測量が行われ、明治18年
(1885年)6月に起工、明治23年(1890年)4月に竣工した、9年にも及ぶ大事業です。


水路閣



水路閣


水路閣は、この疎水事業の一環として施行された水路橋で、延長93.17m、幅4.06m、水路幅2.42mです。

赤レンガのアーチを思わせる水路橋は、南禅寺の古めかしさになじんで、今では一種の美を湛えており、京都を代表する景観の一つとなっています。


南禅寺・南禅院



南禅院は、赤レンガのローマ風な水路をくぐって石段を上った一段高いところにあります。

亀山天皇は、正応2年
(1289年)離宮で出家して法皇となられ、離宮を寄進して禅寺として大明国師を開山とされました。

南禅院は離宮の遺跡であり、南禅寺発祥の地です。


水路閣の奥が南禅院


南禅院庭園


庭園は離宮当時の面影を残しているそうです。

鎌倉時代末の代表的池泉廻遊式庭園で、周囲を深い樹林で包まれた幽玄閑寂の趣は格別です。

作庭は夢窓国師といわれ、早くから天竜寺庭園、苔寺庭園と共に京都の3名勝史跡庭園の1つに指定されています。


庭園に向かって左の奥に滝口の石組みが組まれ、これに続く上池は曹源池と呼ばれ竜の形に作られ中央に蓬莱島があり、下池には心字島が設けられています。

記録によれば築庭当初には、吉野の桜、難波の葦、竜田の楓等が移植され、井手の蛙も放たれたと記されています。

心静かに鑑賞することのできる庭園です。


南禅寺方丈を望む


南禅院方丈


建物は、初めは離宮の遺構でしたが、火災や応仁の兵火で焼失しております。

現存の建物は、元禄16年
(1703年)5代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の寄進によって再建された、総桧の入母屋造こけら葺です。


庭園の東南隅には亀山法皇のご遺言により御分骨を埋葬した御陵があります。


拝観料300円





              風来坊


庭園の紅葉


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