散策スポット目次
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放生池を望む 右は弁天島
永観堂入り口付近
永観堂は、南禅寺から北の方向に5分程度歩いたところです。 南禅寺から永観堂に抜ける道路は相互に行き来する人で、タクシーが通行するのにも苦労するほどの混雑でした。 道行く観光客の話では、話では、永観堂の紅葉の様子がテレビで放映されたとか・・・もしかして、紅葉の見頃では? との期待を胸に拝観券売り場の長い行列に並びました。
大玄関(諸堂入口) 右上は多宝塔
放生池を望む 左は弁天島
永観堂境内
釈迦堂(方丈)前庭 右は唐門
永観堂は、平安時代初期に、文人・藤原関雄の閑居だった地を、彼の没後、弘法大師の弟子、真紹僧都が寺に改めたもので、正式名は禅林寺といいます。 おく山の岩がき紅葉散りぬべし、 照る日の光、見る時なくして と「古今集」に歌われ、「モミジの永観堂」と呼ばれているように、東山随一の紅葉の名所で、全山が錦に染まる晩秋の頃は、美しい景観を見せてくれるそうです。
多宝塔
唐門
創建にあたって、真紹僧都は「禅林寺清規(しんき)」に、 「仏法は人によって生かされる、従って、我が建てる寺は、人々の鏡となり、薬となる人づくりの修練道場であらしめたい。」 と照り映えるモミジ葉の輝きにも負けぬ、智徳ともにすぐれた人材養成を理想の旗印に掲げられたそうです。 このため、風光の美しさとともに、伝統的に各時代の指導的人材の輩出を数多く見たそうです。
多宝塔からの展望
茶店は大賑わい
御影堂(大殿)
みな人を渡さんと思う心こそ 極楽にゆくしるべなりけれ と「千載集」に詠まれた永観律師(ようかんりっし 1033−1111)はことに高名です。 永観堂の名は、永観律師の施療活動への報恩を意味するものだそうです。
極楽橋から放生池を望む
放生池及び極楽橋
茶店付近の紅葉
境内の紅葉
これは永観律師が念仏行道をしていると、阿弥陀仏が先に立ってともに行道をはじめ、驚いた永観に向かって振り向き「永観遅し」と言われたとか・・・。 とても愛らしい御姿で京都六阿弥陀仏のひとつです。 関連のホームページ 永観堂 風来坊