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建長寺総門
天園ハイキングコースを散策するために、JR北鎌倉駅に午前10時前に降り立つと、駅前はさまざまな服装をしたグループで賑わっていました。 鎌倉は点在している名所・旧跡を歩いて回ることができるため、日頃から軽装の方が多いです。 しかし、気候が良くなったためでしょうか? 本日はリュックサックを背にしたハイキング姿の方が多かったです。 その一方で、優雅にお茶席に向かう着物姿の方も随分見かけました。
建長寺三門
仏殿と柏槙(びゃくしん)
三門は三解脱門(さんげだつもん)の略で、空・無相・無作を表し、この三門をくぐることによってあらゆる執着から解き放たれることを意味するといわれております。 仏殿には建長寺の本尊・地蔵菩薩が安置されています。北条時頼公と開山大覚禅師(蘭渓道隆)の衆生済度の願いが込められているそうです。 現在の建物は、創建当初より4代目のものだそうで、東京・芝・増上寺にあった徳川2代将軍秀忠公夫人(お江の方、家光の母)の霊屋を建長寺が譲り受けたものです。
仏殿前の庭園の柏槙(びゃくしん)は開山禅師のお手植えで、古木は樹齢750年です。 樹高13m、胸高周囲6.5mで、神奈川の名木百選に選ばれています。 イブキはビャクシンとも言い、東北南部から九州の海岸に生える常緑高木で、社寺や庭園に良く植えられるほか、生垣などに用いられます。 樹高27m、胸高周囲8m、樹齢約1500年に達するものもあるといわれています。
神奈川の名木百選の柏槙
法堂(はっとう)
昔は、建長寺全体が修行道場であり、僧侶全員がこの法堂(はっとう)に集まって、住持の上堂説法を聞き、修行の眼目としました。 388人の僧侶がいた記録があるそうです。現在の道場は、開山堂のある西来庵に移っています。 この建物は、江戸時代・文化11年(1814年)に再建されたものです。関東最大の法堂で、現在は千手観音を本尊としています。 天上の雲龍図は創建750年を記念して、小泉淳作画伯によって描かれました。
本来は住持が居住する場所です。 現在は法要・座禅・研修の場所として使われています。 この建物は享保17年(1732年)の建立ですが、総門と同様に、京都・般舟三昧院より昭和15年に移築したものです。 毎年10月23日は方丈で「四ツ頭茶会」が開催されるそうで、当日も多くのご婦人方で賑わっておりました。
大庫裡 方丈はこの奥です
唐門 この奥が方丈です
さんぺき池を中心とする庭園は開山大覚禅師の作庭で、創建当時よりあります。 寺院の庭園は寺の前にあるのが普通ですが、建長寺は最奥に位置しております。
この池の周りには当初、得月楼、・大客殿・方丈などがあり、檀那や貴賓の応接に用いられました。 創建750年を記念して平成15年に大改修を行い現在に至っています。 右側の総2階の建物は得月楼と称し、創建750年を記念して平成14年に建設されたものです。 さんぺき池とは、緑の木々の色が青にひたって輝いていることを表しているそうです。 天園ハイキングコースは、この庭園の左手を奥へ進みます。
建長寺庭園 右は得月楼
瑞泉寺総門
北鎌倉から登山した場合の天園ハイキングコースの終点は瑞泉寺です。 ハイキングを終了して、その脚で瑞泉寺を訪問しました。 入口で拝観料100円を支払い、長い石段を登ったところが総門です。
瑞泉寺は臨済宗円覚寺派の寺です。 嘉暦2年(1327年)に夢想国師(夢想疎石)が開山しました。 鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊が創建した瑞泉院を、初代鎌倉公方(関東管領)の足利基氏(足利尊氏の4男)が中興開基して瑞泉寺と改名し、以後、足利氏の菩提寺として栄え、鎌倉公方足利氏4代の墓の五輪塔があります。
瑞泉寺境内 白とピンクはシュウメイギク
鎌倉五山に次ぐ関東十刹の第一位の格式を誇った寺で、5万坪に及ぶ広大な境内全域は、往時の規模をそのまま保持しています。 本堂、客殿、庫裡、書院などの堂宇が点在しますが、これらは殆ど大正時代以降に再建されたものです。
シュウメイギク
瑞泉寺は花の寺としても親しまれており、今回はシュウメイギクが見頃でした。 また、芙蓉や冬桜も咲いていました。 瑞泉寺の芙蓉は酔芙蓉か否かは不明です。この芙蓉の撮影時刻は12時40分です。 瑞泉寺では1年中花を楽しむことができますが、特に水仙、梅、紅葉が有名です。
本堂前の芙蓉
仏殿の背後にある岩庭は、夢想国師が作った襌の庭園です。 鎌倉に現存する鎌倉期唯一の庭園として、国の名勝に指定されています。
夢想国師は京都の苔寺・西芳寺や天竜寺の庭園も、後に作っています。
鎌倉は多くの文人墨客が活躍したところで、境内には高浜虚子、吉野秀雄、久保田万太郎などの文学碑や、大宅壮一、久米正雄などの墓もあります。 拝観料 100円 天園ハイキングへ 風来坊