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御茶ノ水駅(お茶の水橋口)駅前
JR東日本の「駅からハイキング&ウォーキングイベント」の「専門店が連なる街、お茶の水界隈をぶらり歩く」に参加しました。 サブタイトルは「古書店街、楽器店街など、見ているだけで楽しめます。あなただけのお気に入りの店を、見つけてはいかがですか」です。 細部説明は「国民栄誉賞の選手達の勇姿を野球殿堂博物館で見られます。また、博物館や資料館など新たな発見があるかも。」です。
コースの概要は次のとおりです。 JR御茶ノ水駅→東京都水道歴史館(受付)→金刀比羅神社→野球殿堂博物館→カトリック神田教会(登録有形文化財)→奥野かるた店→京都 便利堂→明治大学博物館→東京復活大聖堂(ニコライ堂)→2K540 AKI−OKA ARTISAN→アーツ千代田331→下町風俗資料館→旧岩崎邸庭園→湯島天満宮(湯島天神)→おりがみ会館→神田明神→JR御茶ノ水駅(ゴール)
御茶ノ水橋から
歩行距離約11km 歩行時間約2時間40分(施設での見学時間を除く) 所要時間約3時間40分(施設での見学時間を含む) 所要時間は4時間30分 約17,000歩でした。 このコースは、少し長いですが、ニコライ堂から後半のみ(約6km)でも見所が随所にあって楽しめます。
受付場所の「東京都水道歴史館」は、JR御茶ノ水駅から少し離れた順天堂大学の北側にあります。 JR御茶ノ水駅の「お茶の水橋口」を出て、お茶の水橋を渡り、正面に聳える東京医科歯科大学の手前を左折し、「順天堂前」の交差点を右折し、次の「順天堂横」の交差点を左折し、100mほど進んだ右手が「東京都水道歴史館」です。
東京都水道歴史館
本郷給水所公苑
「東京都水道歴史館」では、東京水道400年の歴史を江戸時代と明治以降に分けて実物大模型や歴史資料、映像を用いて紹介しています。 天正18年(1590年)、徳川家康の江戸入府と同時に、良質な飲料水を得るために上水が造られたと伝えられています。 この上水は、神田上水へと発展し、そして承応3年(1654年)には玉川上水が完成し、世界有数の100万都市江戸の人々の暮らしを支えました。
明治時代に入ると、コレラの大流行などが近代水道の建設を促しました。 明治31年(1898年)には淀橋浄水場が通水を開始し、東京近代水道の始まりとなりました。 東京水道歴史館では、玉川上水に関する歴史資料が非常に充実しており、貴重な一次資料や二次資料を閲覧することができます。
江戸時代の神田上水が復原展示
「東京水道歴史館」で受付を済ませて外に出て右折し、50mほど進んだ四叉路を右折して「東京水道歴史館」に沿って50mほど進んだ右手の階段の上が「本郷給水所公苑」です。 「本郷給水所公苑」は、東京都水道局が管理する本郷給水所の上部の人工地盤上に造成された公苑です。
本郷給水所公苑バラ園
苑内は2つの区画に分かれ、和風庭園では池と四阿を中心として雑木林と流れ、沼を配し、武蔵野を散策するイメージを味わうことができます。 また、和風庭園の奥の一角には、江戸時代の神田上水が復原展示されています。ここは隣接する水道歴史館の野外展示場ともなっています。
洋風庭園は、フランス式の幾何学的模様でデザインされ、彫刻を中心に両側にあるパーゴラや地球儀、時計に囲まれた色とりどりの花が咲き誇るバラ園となっています。 芝生地を石で囲って一段高くなった4ヶ所の花壇と、その中心にある円形の花壇とがあり、53品種、約300株の色とりどりのバラが植えられています。 毎年、5月の中旬と10月の中旬が見頃となります。 バラ園や黄菖蒲の写真は、平成26年5月14日に撮影したものです。
「本郷給水所公苑」の西側の階段を降りた丁字路を、西方向(公苑の反対方向)に200mほど進むと、右手が名門桜蔭中学校・桜蔭高等学校です。 その先の下り坂を道なりに100mほど進んだ三叉路を右折すると、右手が室生能楽堂で、その先に「金刀比羅神社」があります。
金刀比羅神社
「金刀比羅神社」は、讃岐(香川県)にある金刀比羅宮の東京分社で、昭和39年(1964年)に讃岐高松藩の邸内社「水道橋金比羅神社」と「深川のこんぴらさん」を合祀し、現在地に遷座したものです。 以来、「水道橋のこんぴらさん」として親しまれています。
東京ドーム
「金刀比羅神社」から道なりに北方向に200mほど進むと広い道路にぶつかります。 左折して「壱岐坂下」の交差点で白山通りを横切り、「東京ドームアトラクションズ」のゲートをくぐって進み、階段を上ると左手が東京ドームで、その正面付近に「野球殿堂博物館」があります。
野球殿堂博物館
往年の名選手! ご存じの方おられますか?
「野球殿堂博物館」は1959年6月に、日本初の野球専門博物館として開館し、1988年に東京ドーム内に移転しました。 野球界の発展に貢献した功労者として表彰された「野球殿堂入りに人々」の肖像レリーフを飾っているほか、プロ・アマを問わず、国内外の野球に関する多くの資料を収集、保管・展示しています。
収蔵品は、実物および写真を含め約3万点を数え、その中から、常時2千点あまりを館内に展示しています。 また、野球その他のスポーツ関連図書を5万点所蔵しています。 展示コーナーは、エントランスホール、プロ野球コーナー、野球の歴史コーナー、アマチュア野球コーナー、企画展示室、イベントホール/野球の科学のコーナーに分かれています。
野球殿堂入り口
野球殿堂の表彰レリーフ
川上哲治選手
杉下茂選手
王貞治選手
野球殿堂は、日本の野球の発展に大きな貢献した方々の功績を永久に讃え、顕彰するために1959年に創設されました。 野球発祥の地である米国では、1939年に野球殿堂が創設され、日本の殿堂の20年先輩になります。 殿堂入りした方々の表彰レリーフ(ブロンズ製胸像額)を、殿堂ホールに掲額して、永久にその名誉を讃えています。
JR水道橋駅付近
「野球殿堂博物館」から白山通りに戻り、南に200mほど進むとJR水道橋駅です。 水道橋駅からさらに白山通りに沿って南に200mほど進んだ「三崎町」の信号の次の信号を左折し、50mほど進んだ右手が「カトリック神田教会」です。 「カトリック神田教会」は、明治7年(1874年)に創建され東京の教会でも有数の歴史を持つ教会です。
水道橋
カトリック神田教会
現在の聖堂はフランス人宣教師シェレル神父の構想により、昭和3年(1928年)に完成したもので、当時の面影がそのまま残って います。 マックス・ヒンデル氏の設計によるロマネスク様式とルネッサンス 様式を融合させた建築です。 国の登録有形文化財に指定されています。 教会の中に入ると、外観とは全く異なる、厳かな雰囲気が醸し出されています。
奥野かるた店
「カトリック神田教会」はから白山通りに戻り、南方向に200mほど進んだ右手が「奥野かるた店」です。 「奥野かるた店」は、大正10年(1921年)に「奥野一香商店」として創業しました。 昭和54年(1979年)に、神田・神保町の現店舗に移転しました。 最近では、一般消費者への販売も拡充しており、店舗の2階には展示スペースが設けられています。
神田古本まつり
「奥野かるた店」の店舗では、かるたや百人一首、トランプを始めとする国内外のカードゲーム、囲碁、将棋、麻雀牌、チェスやパズルといった室内ゲーム、またTVゲームなど、 広範囲に室内ゲーム品を取り揃えています。 商品を眺めるだけでも、昔を思い出すことのできる、楽しいお店です。
「奥野かるた店」から白山通りに沿って200mほど進むと、「神保町」の交差点で、左右の通りが靖国通りです。 「神保町」の交差点一帯では、「神田古本まつり」が開催されていました。 「神田古本まつり」は、「特選古書即売展」「しんぼうチャリティオークション」「神保町ブックフェスティバル」「神田スポーツ祭り」「蔵書印まつり」「青空掘り出し市」などさまざまなイベントに分かれており、それぞれのイベントの開催期間や開催場所が異なっています。
風来坊が訪ねたときに行われていたのは、「青空掘り出し市」のようで、付近の道路では、所狭しと本が並べられ、多くの方が古本まつりを楽しんでいました。
京都便利堂
神保町交差点を渡り、右に50mほど進んだ建物の2階に「京都 便利堂」があります。 「便利堂」は、明治20年(1887年)創業で、以来今日まで、わが国の国宝、重要文化財をはじめ、内外の優れた文化遺産を、図録や図書、さらに複製品等として世に送り続けています。
神保町にあるのは、便利堂のアンテナショップ「美術はがきギャラリー 京都 便利堂」です。 ここでは、各美術館や博物館から特別に許可された名作・名品の美術はがきを中心に思いを込めて制作したミュージアム商品の数々を展示しています。 一枚の絵はがきを通して、美術の名品を楽しむことのできるお店です。
すずらん通り
神保町交差点の一つ南側の左右(東西)の通りが「すずらん通り」「さくら通り」で、「神保町ブックフェスティバル」の会場になります。 「神保町ブックフェスティバル」は11月2日〜4日ということで、この日は開催されていませんでした。 白山通りの左手(東側)の「すずらん通り」に沿って200mほど進むと「駿河台下交差点」です。
「駿河台下交差点」で靖国通りを横切り、斜め左方向に幅の広い道路に沿って200mほど進むと左手に、地上23階、高さ120mのビルがそびえ立っています。 「明治大学」のリバティータワーです。17階に学生食堂があります。 「明治大学」は、当時20代の青年法律家、岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操の3人が、フランス留学仲間の西園寺公望らを協力者に迎えて、明治14年(1881年)に設立した明治法律学校が母体です。 明治36年(1903年)の専門学校令により、明治大学と改称しました。
明治大学・リバティータワー
リバティータワーのとなりに聳えているのがアカデミーコモンでその地下1階に「明治大学博物館」があります。 生活文化を展示する商品部門、法と人権を考える刑事部門、人類の過去と多様性をテーマとする考古部門からなっています。 常設展は無料で見学することができます。
明治大学・アカデミーコモン
東京復活大聖堂(ニコライ堂)
「明治大学博物館」の傍の信号のある交差点で、道路を横切って南東方向に100mほど進むと「東京復活大聖堂(ニコライ堂)」です。 「東京復活大聖堂」は、イエス・キリストの復活を記憶する大聖堂です。日本正教会の首座主教座大聖堂で、ロシア正教会の聖堂ではありません。 俗称のニコライ堂は、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライにちなんでいます。
東京復活大聖堂の建築面積は約800平方メートルで、緑青を纏った高さ35mのドーム屋根が特徴です。 日本で初めてにして最大級の本格的なビザンティン様式の教会建築で、1891年の竣工です。 関東大震災で大きな被害を受けましたが、一部構成の変更と修復を経て現在に至っており、1962年に国の重要文化財に指定されています。石造りで最初の重要文化財です。 御茶ノ水駅南側の再開発で、ニコライ堂周辺の景観が全く変わりました。
ワテラス
ワテラスタワーレジデンス
「東京復活大聖堂」から東方向に50mほど進むと本郷通りです。右折して本郷通りを100mほど進んだ最初の信号を左折し、200mほど進むと「淡路町2丁目」の交差点です。 「淡路町2丁目」の交差点の左手前のエリアが、神田淡路町の街造りとして誕生したワテラスです。 その住居棟として建築された地上41階建てのワテラスタワーレジデンスは、千代田区最高峰の住まいとのことです。 御茶ノ水駅南側は再開発が進められていますが、ワテラスにはびっくりしました。
昔ながらの街並み
「淡路町2丁目」の交差点を横切って50mほど進むと変則5叉路です。 「六文そば」を左手に見て細い路地に入ると、底には昔ながらの街並みが残されており、現在も営業を続けています。 専門店が連なる街、御茶ノ水界隈をぶらり歩く その2へ 風来坊
六文そばの先を左方向に進む