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北国街道小諸宿を歩く その2 (H23.9.8)


与良町の街並み



与良町の街並み

「荒町交差点」から150mほど進んだところが「荒町・与良町交差点」で、ここから「与良・俳句のまちエリア」となります。

与良町は江戸時代の庄屋や豪農の屋敷が残る町です。

戦争中に疎開していた高浜虚子が暮らしていた家が保存され、高濱虚子記念館もあります。

また、街道から一歩入った虚子の散歩道には、田園風景が広がっており、お堂や石仏が点在しており、長閑な雰囲気を味わうことができます。



与良町の街並み


与良町の街並み


「荒町・与良交差点」から200mほど進んだ右手が「小山家/旧庄屋宅」です。

小山家は近世に庄屋を務めた家で、江戸初期の建物です。

江戸時代には小諸藩主がときおり訪れたというこの屋敷には、当時のままの立派な玄関、庭に面した屋敷があり、床の間にはいざという時に殿様が身を隠すための隠し扉が現在も残されています。


与良町の街並み



小山家/旧庄屋宅

建物の規模や、切妻屋根の波風を見せた外観、幅2間の大床を備えた客間、農家に似た部屋割りの形式などの点で、江戸時代初期の城下町の有力町人の住居形式をよく伝える貴重な建物です。

個人住宅のため見学することはできません。

向かい側の斜面に「小山家」の家並みがあります。



こもろ高濱虚子記念公園及び北国街道与良館


「小山家」から50mほど進んだところが「こもろ高濱虚子記念公園」です。

公園の入口に「北国街道与良館」があります。

「北国街道与良館」は旧北国街道沿いの旧松屋(江戸時代漆器屋、その後家具問屋)を整備した地域交流の拠点施設です。


小諸城銭蔵



小諸高濱虚子記念館

「北国街道与良館」の裏手に「小諸城銭蔵」があります。

江戸時代、小諸城内に設けられており、享保11年(1726年)の建築です。

明治5年(1872年)、他の建造物とともに民間に払い下げとなり、民間所有としてこの地に移築されています。

小諸城の建造物の一つで当時を知る上で重要な物件として、小諸市重要文化財に指定されています。


銭蔵の横を通ってさらに奥に進むと俳小屋、虚子庵、小諸高濱虚子記念館などがあります。

高浜虚子は、正岡子規に師事し、新派俳句の俊秀として活躍し、俳誌「ホトトギス」を主宰しました。

戦争中の昭和19年から、3年1ヶ月この地に疎開しました。

小諸高濱虚子記念館」は、高濱虚子の小諸時代の偉業を顕彰し、あわせて虚子文学研究に資するため、作品や資料を展示・保存する目的で、平成12年に開館したものです。


小諸高濱虚子記念館



俳小屋

「こもろ高濱虚子記念公園」の周囲に「虚子の散歩道(コースタイム20分)」の散策コースがあります。

高濱虚子が小諸にいた頃、朝に夕に散歩し俳句を詠んだ小道が昔の雰囲気のまま残っています。

街道から一歩入ると、お堂や石仏、りんご畑、清らかなせせらぎに癒される小径があります。

坂の上には、虚子の愛した浅間や蓼科の山並みが広がります。



海応院


「こもろ高濱虚子記念公園」から北国街道を荒町まで戻ると、酢久商店の反対側に「海応院山門」があり、100mほど奥に進んだ左手が「海応院」です。

天文5年(1536年)に創建された曹洞宗の古刹です。

戦国時代の昔は小諸城内にありました。


海応院参道



海応院三門

関ヶ原の合戦の時、徳川秀忠の率いる東軍が、上田城に籠城する真田氏の抵抗にあって小諸に足止めされた際に、海応院住職が間に入って和睦が成立したといわれています。

秀忠は礼として寺に「下馬札」などの品を贈りました。このため、参勤交代の大名といえども駕籠や馬から降りて寺の前を通ったとのことです。

5月上旬に海応院で発見されたコモロスミレは小諸市の花となっています。

また、境内には樹齢370年の「潜龍の松」もあります。


「海応院」から北国街道に戻り、本町の方向に300mほど進んだ「荒町一丁目」の交差点を左折すると「相生町商店街」です。

200mほど進んだ「小諸相生郵便局」の前を右折して路地を100mほど進んだところが、「島崎藤村の住んでいた場所」です。

そのまま50mほど進むと右側が「そば七」です。


海応院



藤村奮栖地

島崎藤村は明治32年(1899年)、小諸義塾塾長・木村熊二の招きにより小諸義塾に教師として赴任しました。同年4月に冬子と結婚し、ここ馬場裏に居を構えました。

近隣との交際も深く、その婦人たちがここで産まれた3人の子女の出産を手伝ったとのことです。


藤村は明治38年(1905年)4月、小説「破戒」完成への熱意に燃え、約7年間過ごしたこの地を去り上京しました。

現在はこの屋敷跡に有馬生馬氏の筆で「藤村奮栖地」の碑が建てられています。

この場所は本町の「大塚本店」の裏手にあたり、藤村が毎日通った馬場裏通りには、「大塚酒造」の酒蔵があります。


藤村ゆかりの井戸



藤村が通った馬場裏通り

「藤村ゆかりの井戸」も残されています。

この井戸は藤村小諸在住当時に大勢の人が飲料水として使っていました。

藤村も当時はつるべ式のこの井戸で毎朝洗顔して一日の生活を始めました。

また、冬子夫人も水汲み、洗い物などに通い。近隣との交わりを深めた由緒ある井戸です。



懐古園からの千曲川の展望


また、懐古園内には「小諸なる古城のほとり・・・・」の藤村詩碑と藤村記念館があり、文豪藤村の人となりや藤村文学を学ぶ研究の基地となっています。


懐古園 藤村記念館



懐古園 藤村の像

馬場裏通りを抜けたところにも数軒のレトロな街並みがあります。

この街並みから「懐古園」への案内にしたがって路地を入ったところが、大手門のある「小諸城址大手門公園」です。

今回の散策のゴール地点です。



関連するホームページ


 小諸観光協会



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        風来坊


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