神奈川宿は、東海道五十三次の日本橋より数えて3番目の宿場です。
この神奈川宿の地名が、県の名前や区の名前の由来となっています。
またここが、近代都市横浜の母体でもありました。
この神奈川が一躍有名になったのは、安政元年(1854年)の日米和親条約(神奈川条約)締結の舞台となってからです。
その4年後に結ばれた日米修好通商条約では神奈川湊が開港場に決められましたが、実際の開港は横浜になりました。
開港が神奈川に決まった当時、本覚寺がアメリカ領事館、長延寺がオランダ領事館になるなど神奈川宿付近の多くの寺が諸外国の領事館などに充てられました。
しかし、関東大震災と第2次世界大戦とによって、歴史的遺産の多くを失い、現在では地元の人でさえ、東海道がどこを通り、宿場町の様子がどうであったかを知る人は少なくなっているとのことです。
「神奈川宿歴史の道」は、「歴史や伝説の残る街は、その街そのものが生きた資料館なようなもの」との考えから、歴史や伝説を残す要所にガイドパネルを設けるとともに、道づくりと景観整備を行い、横浜市のルーツを楽しく訪ね歩くことができるようにした歴史の散歩道です。
ルートを示す案内板が設置されるとともに、主要ルートの歩道にはこげ茶色のレンガが敷かれ、この道に沿って歩くと自然にガイドパネルが立つ歴史的な場所に行くことができるようになっています。
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