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鎌倉宮
梅を求めて久し振りに鎌倉を散策しました。 今年は梅の開花が例年に較べて10日〜2週間程度も早く、鎌倉の梅はどうかなあと思いながら訪ねてみました。
今回のコースは、JR鎌倉駅⇒(バス乗車)⇒鎌倉宮⇒瑞泉寺⇒荏柄天神社⇒宝戒寺⇒浄光明寺⇒英勝寺⇒海蔵寺⇒浄智寺⇒東慶寺⇒明月院⇒JR北鎌倉駅です。
鎌倉宮の河津さくら
瑞泉寺本堂 本堂の手前は黄梅
境内の梅
瑞泉寺 JR鎌倉駅から「鎌倉宮」行きのバスに乗車し、約10分で鎌倉宮に到着です。 いつもはJR鎌倉駅から瑞泉寺まで歩くのですが、本日は訪ねる場所が多いため、最初の鎌倉宮まではバスに乗車し、時間を稼ぐことにしました。 瑞泉寺は鎌倉宮から徒歩約15分の、紅葉ヶ谷(もみじがやつ)とよばれる、奥まった場所にあります。
瑞泉寺は臨済宗円覚寺派の寺です。 嘉暦2年(1327年)に夢想疎石(夢想国師)が開山しました。 鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊が創建した瑞泉院を、初代鎌倉公方(関東管領)の足利基氏(足利尊氏の4男)が中興開基して瑞泉寺と改名し、以後、足利氏の菩提寺として栄えました。
鎌倉五山に次ぐ関東十刹の第一位の格式を誇り、疎石派の拠点として関東禅林に重きをなしたそうです。
本堂、客殿、庫裡、書院などの堂宇が点在しますが、これらは殆ど大正時代以降に再建されたもので、古建築は残っていません。 しかし、5万坪に及ぶ広大な境内全域は、往時の規模をそのまま保持しているそうです。
黄梅
瑞泉寺は花の寺としても親しまれていますが、特に水仙、梅、紅葉が有名です。 本堂の前の黄梅(おうばい)が見頃を迎えていました。
江戸時代から知られた梅の老木で、花弁は退化しています。 鎌倉市の天然記念物に指定されています。
冬桜
また、前庭には水戸黄門光圀公のお手植えと伝えられている冬桜が咲いていました。 推定樹齢300年で鎌倉市の天然記念物に指定されています。 拝観料:100円
荏柄天神社本堂
荏柄天神社 瑞泉寺から鎌倉宮に戻り、さらに鶴ケ岡八幡宮の方向に100mほど戻ったところに「天神前」のバス停があります。 ここから右手に100mほど入ったところに、荏柄天神社があります。
荏柄天神社入口の思いの儘
荏柄天神社は、長治元年(1104年)の創建で、御祭神は菅原道真公です。 荏柄天神社は、古くは荏柄山天満宮とも称され、関東を中心に各地に分社をもち、福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と称される古来の名社です。
治承4年(1180年)に鎌倉・大蔵の地に幕府を開いた源頼朝は絵柄天神社を鬼門の守護神として崇敬し、あらためて社殿を造立したそうです。 以後、歴代将軍家を始め、鎌倉幕府の尊社として篤く崇敬され、「吾妻鏡」には2代将軍頼家が大江広元を奉幣使として菅公300年忌を盛大に執行されたことなど、社名がしばしば記されています。
絵筆塚
思いの儘
このように中世より崇敬された絵柄天神社は、足利、北条、豊臣の各氏によっても守られ、さまざまな寄進を受けて現在に至っています。
関連するホームページ 荏柄天神社 参拝料 無料
臥龍梅
宝戒寺の枝垂れ梅
宝戒寺 宝戒寺は鶴岡八幡宮の南東側の金沢街道沿いにあります。 荏柄神社から鶴岡八幡宮の方向に戻り、途中から金沢街道を進みます。 鎌倉駅行きのバスが鶴岡八幡宮の方向に右折する信号を、逆方向の左手に入ったところです。
宝戒寺は、鎌倉時代の執権であった北条氏の屋敷があったところに建てられています。 後醍醐天皇が中心となって起こした倒幕、元弘の変において、元弘3年(1333年)の新田義貞の鎌倉攻めにより、鎌倉幕府が滅亡すると共に、北条一族も滅びてしまいました。
後醍醐天皇は北条九代の霊を慰めるために、建武2年(1335年)足利尊氏に命じて、北条氏の屋敷跡に寺を建て、天皇自らが開基となり、開山として恵鎮が招かれました。 境内には本尊を安置する本堂の他、聖徳太子像を祀り、職人の信仰厚い太子堂、後年建てられた北条氏を供養する宝篋印塔、鐘楼があります。 寺の門扉や本堂などには北条氏の三鱗の紋が見られます。 本尊の木像地蔵菩薩は国の重要文化財に指定されています。
9月上旬から中旬にかけて、参道や境内を被うように珍しい白萩が咲くことから、「萩」のお寺として有名です。 ちなみに白は源氏の旗色です。 また、2月には立派な枝垂れ梅が咲くことでも有名です。
無患子(むろくじ)
銘木 無患子(むくろじ) 境内の高い木の枝にいくつもの実がついていました。落ちている実を手にとって振るとカラカラと音がします。 殻を割ると中には真っ黒い種があるそうで、この種はお正月の遊びであった羽根つきの羽の錘に使われているのだそうです。 硬くて羽子板でつくとカチン、カチンとよく響きます。昔の人は自然の素材をうまく生かしたものだと感心します。
木の傍に銘木 無患子(むくろじ)と書かれていました。 患う子どもが無いのですから縁起がよいことになります。これも羽根つきにつながるのでしょうか。 また、まわりの茶色のところは、昔は石鹸(せっけん)の代わりに使われたそうです。 拝観料:100円
無患子(むろくじ)の実
浄光明寺
山門
浄光明寺(じょうこうみょうじ) 宝戒寺から鶴岡八幡宮の南側を通って西方に進み、JR横須賀線の踏切の手前を線路に沿って北側に沿って進みます。 暫く進むと踏切があり、左手が英勝寺、右手が浄光明寺の案内板があります。 案内板に沿って右手の方向(山の方向)に進んだ左側に浄光明寺はあります。
不動堂と白梅
初めは、浄土、真言などいくつかの宗派の道場となったり、後醍醐天皇の子成長親王の祈願所になったりしたようです。 また、建武2年(1335年)には、後醍醐天皇から謀反の疑いをかけられた足利尊氏が、この寺に籠もって反抗の意思がないことを示したとのエピソードもあります。
南北朝、室町時代において鎌倉公方の保護をうけて栄えたそうです。 庫裏裏手の石段を上ると、正面に阿弥陀堂、左手に本尊の阿弥陀三尊像が納められている収蔵庫があります。 衣に粘土で作った文様「土紋」が施された本尊は、いかにも鎌倉らしい仏像として人気が高い。 本尊の木造阿弥陀三尊像は国の重要文化財に指定されています。
境内の紅梅
鐘楼
英勝寺の境内は、太田道灌の屋敷跡です。 家康に寵愛されたお梶の方は、江戸を開いた大田道灌の曾孫・進六郎康資の娘です。 家康の死後、お梶は出家し、将軍・家光から道灌邸跡を貰い受け、寛永13年(1636年)にここに念仏堂を建てたのが英勝寺の始まりです。
その後、水戸家では、山門、仏殿、鐘楼などを造営しました。 そして、水戸頼房はお梶の法名をとって英勝寺とし、息女を出家させて開山としました。 以後水戸徳川家の姫君が代々住職をつとめ、現在鎌倉に残る唯一の尼寺として知られています。 水戸御殿と呼ばれた程の格式の高い寺で、三つ葉葵の紋を掲げた総門があります。
唐門
尼寺らしく清楚なたたずまいをみせ、仏殿、祠堂、唐門、鐘楼は県の重要文化財重文に指定されています。 鎌倉散策 梅を求めてその2へ 風来坊