散策スポット目次
HOME
前ページ
京都御所・紫宸殿
一般公開は参入する宜秋門からすでに混雑
延暦13年(794年)桓武天皇が遷都された平安京の大内裏の中程に天皇のお住まいである内裏(皇居)がありました。 内裏が火災にあった際などには、天皇は貴族の邸宅を仮皇居とされました。 これは里内裏と呼ばれましたが、平安時代の終わり頃になると、再三の火災や相次ぐ戦乱のため、元の内裏は使用されなくなり、里内裏が日常の皇居とされるようになりました。
現在の京都御所は、土御門東洞院殿といわれた里内裏の一つです。 光厳天皇が、元弘元年(1331年)ここに即位されて以来、明治2年(1869年)の東京遷都までの永きにわたり皇居とされました。 その間には火災による焼失と再建が繰り返され、現在の建物の殆どは、安政2年(1855年)に再建されたものです。
諸大夫の間
諸大夫の間は各「控えの間」を覗く人で混雑
京都御所を参観する場合は、事前に宮内庁の許可を得る必要があります。 ただし、春と秋の年2回、一般公開が行われ、このときは申し込みの手続きなしで、見学することができます。 今年は、4月5日(火)〜4月9日(日)までの5日間、一般公開が行われました。 一般公開時、参観者は宜秋門から参入し,清所門から退出することになります。
「宜秋門」は、宮・摂家その他の公卿が参内するときに用いられたことから「公卿門」とも、また長い間の習慣の名残から「唐御門」とも呼ばれていますが、檜皮葺、切妻屋根に四脚門で、唐門の様式は備えていません。 宜秋門は親王、摂政関白あるいは老年の大臣のほかは、牛車で通ることができませんでした。 5月15日の葵祭の時には、牛車はこの門から出発するそうです。
新御車寄
月華門
宜秋門を入るとすぐに「御車寄(おくるまよせ)」があります。 御車寄は昇殿を許された者が正式に参内する場合の玄関です。屋根の修復工事中で見学はできませんでした。 「諸大夫の間」は正式に参内した者の控えの建物で、身分の上下によって控える部屋が異なっています。 3室よりなり、それぞれの室の襖絵にちなんで、「虎の間」(岸岱筆)、「鶴の間」(狩野永岳筆)、「桜の間」(原在照筆)と呼ばれています。
「新御車寄(しんみくるまよせ)」は1915年の大正天皇の即位に際し、建てられたもので、天皇、皇后のみが昇降される、大正以後の天皇、皇后両陛下の玄関です。 ここにはもともと新嘗祭が行われる神嘉殿がありましたが、現在は取り払われ橿原神宮の拝殿として移築されました。
丹塗の回廊と承明門
承明門
紫宸殿から延びた丹塗の回廊の南正面に「承明門」、東側に「日華門」、西側に「月華門」があります。 承明門は瓦葺き、切妻屋根で、門の中央部は天皇行幸や上皇後譲位後の出入りに用いられています。 また、節会、御即位、御元服、立后、立太子などの厳儀の際にも開かれています。 日華門、月華門は東西に相対して位置し、ともに瓦葺き、化粧屋根裏、丹塗りの八脚門です。
これらの諸門は築地の諸門とは異なり、いずれも瓦葺きに丹塗りの円柱を用いた唐様の門で、平安の古制を伝えています。 「建礼門」は京都御所の正門で南面中央にあります。 桧皮葺き、切妻屋根に角柱を用いた四脚門で、内郭にある承明門と向かい合っています。 南御門ともいい、現在は外国元首などの国賓来訪をはじめとし、天皇が臨幸される時に開かれます。
建礼門
紫宸殿と左近の桜
「高御座」と「御帳台」
「紫宸殿」は即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿で、「南殿(なでん)」「前殿」とも呼ばれる京都御所の象徴的な存在です。 大正天皇・昭和天皇の即位礼もここで行われました。 入母屋桧皮葺の高殿式宮殿建築です。
中央に天皇の御座「高御座(たかみくら)」、その東に皇后の御座「御帳台(みちょうだい)」が置かれています。 現在の高御座と御帳台は、大正天皇の即位礼に際し、古制に則って造られたものです。 今上階下の即位礼の際には、東京の宮殿に運ばれて使用されました。
向かって右側に「左近の桜」、左側に「右近の橘」があります。 前面には白砂の平庭(南庭)が広がっています。 儀式に際しては平庭は建物と同様に重要な役割を果たし、建物と平庭は一体のものとして機能しております。
「清涼殿」は、平安時代、天皇が日常の御生活の場として使用された御殿で、入母屋桧皮葺の寝殿造りです。 四方に廂(ひさし)を持ち、日常の御殿であるため内部は襖などによる間仕切りが多くなっています。 中央を母屋といい、御休息の御帳台が置かれ、手前の厚畳は御坐で「昼御坐(ひるおまし)」といわれます。
清涼殿 左が漢竹 右が呉竹
清涼殿 御帳台及び昼御座
清涼殿は清少納言の『枕草子』をはじめ、平安文学や古い絵巻にもしばしば描かれています。 清涼殿の東側に広がる東庭には、殿前に2株の「呉竹(くれたけ)」「漢竹(かわたけ)」があり、『年中行事絵巻』などに描かれた平安の趣をそのままに伝えております。 現在の建物は平安時代のものより小さくなっていますが、比較的よく古制を伝えているといわれています。
「小御所(こごしょ)」は皇太子の元服などの儀式に用いられ、また将軍や諸侯と対面される場所としても使用されました。 寝殿造りから書院造りへ移行する時期の建築様式とされ、両様式が織り交ざっています。 慶応3年(1867年)12月9日の王政復古の大号令が発せられた夜、有名な「小御所会議」が天皇出御のもとに、この御殿で開かれました。 1954年に焼失し、1958年に復元されています。
小御所
「管絃」とは、雅楽の一つで、楽器による奏楽です。 「三管両舷三鼓」の楽器編成で演奏します。 三管とは笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)の3種の管楽器(吹き物)を、両舷とは琵琶(びわ)・箏(こと)の2種の絃楽器(弾き物)、三鼓とは鉦鼓(しょうこ)・鞨鼓(かっこ)・太鼓(たいこ)の3種の打楽器(打ち物)をいいます。
代表的な曲に「越殿楽」があります。 その奏楽の様子を楽器及び人形6体を用いて表現しています。
太鼓
御学問所
「御学問所」は天皇の御学問のための建物として、慶長年間にはじめて建てられましたが、学問だけでなく、親王宣下、月例の和歌の会などにも使用されました。 入母屋桧皮葺の書院造りの建物です。
小御所の東側には回遊式庭園の「御池庭」があります。 前面は州浜で、その中に舟着への飛び石を置いています。 右手に欅橋が架かり、対岸には樹木を配し、苑路を廻りながらさまざまな景色を楽しむことができます。 一般公開では苑路への立ち入りはできません。
御池庭
御常御殿のふすま絵
「御常御殿」は室町時代以降、天皇が日常のお住まいとして使用された御殿で、内部は15室からなる入母屋桧皮葺の書院造りの建物です。 この御殿から北側は、奥向きの御殿といわれています。 御所の中で最も大きな御殿です。 明治天皇もしばらくここで生活されました。
御内庭
御常御殿の東側に拡がる庭が「御内庭(ごないてい)」です。 「御内庭」は曲折した遣り水を流して、土橋や石橋を架けた趣向を凝らした庭で、奥に茶室を備えています。
御三間
御三間その奥が御常御殿
御常御殿の南西に接して「御三間(おみま)」があります。 「御三間」は宮中御内儀の行事が行われた場所です。
京都御所の一般公開通路の最後に休憩所があります。 その付近の数本の枝垂桜が満開で、多くの人が記念写真を撮っていました。 退出は「清所門」からとなります。
御所内の枝垂桜
退出は清所門からです
一般公開の参観料は無料です。 アクセス 京都市営地下鉄烏丸線今出川駅から徒歩5分 関連するホームページ 京都御所 京都御苑 風来坊