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三渓園正門付近からの光景
月影の茶屋からの光景
今年最後の紅葉を求めて12月10日に横浜の三渓園を訪ねました。 三渓園は、横浜市の南東部、本牧海岸に沿った山や谷などの美しい自然をそのまま生かした、ひときわ異彩を放つ庭園です。 この庭園は、生糸貿易で財をなした横浜の実業家 原 三渓(本名:富太郎)の元邸宅です。
17万5千平方メートル(約53,000坪)にも及ぶ広い庭園は、原三渓の手によって精魂込めて造られ、明治39年(1906年)に「三渓園」として一般に公開されました。 原三渓は新芸術の育成に力を注ぎ、日本美術院の才能ある多くの芸術家を援助・育成し、日本画壇に多大な影響を与えるとともに、国宝孔雀明王(くじゃくみょうおう)像の仏画をはじめとする古美術のコレクションは、かつて国内有数を誇りました。
月影の茶屋から正門を望む
観心橋と三重塔
とりわけ京都や鎌倉などから寺塔、殿舎、楼閣、茶室等の古建築の逸品を集め庭園に配して一般に公開したことは、まさに希有の業績といえます。 園内には10棟の重要文化財を含む17棟の歴史的建築物が、四季折々の自然の景観の中に巧に配置されています。 第2次世界大戦では大きな被害を受けましたが、昭和28年(1953年)原家から財団法人三渓園保勝会の手に移されたのを機に復旧工事が行われ、5年後にほぼ昔の姿を取り戻したそうです。 鶴翔閣(かくしょうかく)(横浜市指定有形文化財) 鶴翔閣(旧原家住宅)は、原富太郎(三渓)が明治30年代に自邸として建てた住宅です。
延べ床面積950平方メートルにも及ぶ広大な規模の建物で、居住用と来客用の機能を併せて持ち、三渓と交流のあった横山大観など多くの文化人が度々出入りした場所として知られています。 近年の復旧整備事業により創建当時の姿に戻され、現在では会議やパーティー・茶会などさまざまな利用に対応できる貸出施設として一般に活用されおり、当日も結婚式に利用されていました。
鶴翔閣
臨春閣
臨春閣から眺める紅葉
三渓園は外苑と内苑に大きく区分されています。 内苑は昭和33年(1958年)の公開まで、原家の私庭であったエリアです。 花を楽しむ外苑に対して、内苑では古建築で構成された瀟洒な庭のつくりが楽しめます。 なかでも江戸時代初期の紀州徳川家ゆかりの臨春閣の景観は、京都・桂離宮と対比されるものだそうです。
臨春閣(重要文化財) この建物は、紀州侯初代の徳川頼宣によって慶安2年(1649年)に、和歌山県那賀郡岩出町の紀ノ川沿いに建てられた夏の別荘巖出御殿といわれています。 8代将軍吉宗は幼時この巖出御殿に育ち、享保元年(1716年)に将軍になりました。
また、この建物は数寄屋橋風書院造りとして、宮家別荘桂離宮と共にわが国住宅史上において別荘建築の双璧といわれています。 三渓園には大正6年(1917年)に移築されました。
御門
亭樹
御門(横浜市指定有形文化財) この門は、京都の西方寺に宝永5年(1708年)頃造営され、大正初期に三渓園に移築されたものです。 規模の大きい薬医門(本柱の後方に控柱を建て、前へ桁を持ち出し、棟は本柱よりにある門)の遺構として貴重なものです。
内苑の紅葉
聴秋閣
月華殿
聴秋閣(重要文化財) この建物は、もと三笠閣と呼ばれ、元和9年(1623年)3代将軍徳川家光が上洛に際し、佐久間将監に」命じて京都二条城内につくらせたものといわれています。 その後これを春日局に賜り、江戸稲葉侯邸内に移され、三渓園には大正11年(1922年)に移築されています。
月華殿(重要文化財) この建物は、徳川家康が慶長8年(1603年)京都伏見城内に建て、諸大名伺候の際の控室にあてたものと伝えられています。 その後、京都黄檗宗の三室戸寺金蔵院に移され、大正7年(1918年)に三渓園に移築されました。
天授院
天授院(重要文化財) この建物は、鎌倉・建長寺近くの心平寺という廃寺跡に建てられた地蔵堂といわれています。 大正5年(1916年)に三渓園に移築されました。 昭和39年に解体修理を行った際に、慶安4年(1651年)の墨書が発見され、建立の年が明らかになりました。
春草盧(重要文化財) この建物は、もと京都黄檗宗の三室戸寺金蔵院にあった月華殿に付属して立てられていた茶室です。 三渓園には大正7年(1918年)月華殿と共に移築されました。 窓が9つあるため九窓亭と呼ばれていました。 織田信長の弟・織田有楽斉が建てたものと伝えられ、三畳台目の茶室です。
春草盧
旧天瑞寺寿塔覆堂
旧天瑞寺寿塔覆堂 寿塔とは長寿を祝って生存中に建てる墓のことです。 豊臣秀吉は、その母大政所が大病にかかったとき、その平癒祈願のため京都大徳寺内に天瑞寺を建てました。功験あって平癒したのを喜び、母の長寿を祝って天正20年(1592年)石造の寿塔を建てました。 この建物はその寿塔の覆堂で、明治35年(1902年)三渓園に移築されたものです。なお、寿塔は現在、大徳寺内、竜翔寺にあるそうです。
旧東慶寺仏殿
外苑は明治39年(1906年)の開園に当たり、一般に公開されたエリアです。 京都・燈明寺から移された三重塔がランドマークとして配され、四季折々の花を中心に楽しめるエリアです。
旧東慶寺仏殿(重要文化財) この建物は、室町時代の永正6年(1509年)に再建された、鎌倉東慶寺の仏殿です。明治40年(1907年)に三渓園に移築されました。 東慶寺は弘安8年(1285年)、北条時宗の妻 覚山尼が創建した寺院で駆込寺あるいは縁切寺として有名です。
外苑の紅葉
旧燈明寺三重塔
旧燈明寺三重塔(とうみょうじ)(重要文化財) 燈明寺は、現在は廃寺となっていますが、近年まで京都府相楽郡加茂町に所在した日蓮宗の寺院です。 寺伝によると、聖武天皇の勅願によって天平7年(735年)に開創されたといわれています。 三溪園のシンボルのように中央の山上に建つ三重塔は、燈明寺にあったものを、大正3年3月に移築したものです。 康正3年(1457年)に建築された、関東地方では最古の塔です。
旧燈明寺本堂 (重要文化財) この本堂は、様式上、室町時代初期に建てられたものと推定されています。 昭和22年の台風で被害を受けた後、解体して保存されていましたが、昭和62年(1987年)に三渓園に移築されました。
旧燈明寺本堂
合掌造(旧矢箆原家住宅)
合掌造(旧矢箆原家住宅)(やのはらけ)(重要文化財) 岐阜県白川郷にあった江戸時代の庄屋の家を移築したものです。 園内で唯一内部を公開している古建築で、半分が普通農家の板張りの床、半分が来客用の畳敷きの屋敷という構造のめずらしいものです。
初音茶屋 かって三渓園を訪れたインドのノーベル賞文学者タゴールや芥川龍之介らによって書き記された茶屋。 当時はいつでも麦茶が振舞われていたそうです。 芥川龍之介は大正4年の初秋、ここでの印象を
ひとはかり うく香煎や 白湯の秋 と俳句に残しています。
初音茶屋
横笛庵
横笛庵 高倉天皇中宮建礼門院に仕えた横笛と平重盛の家臣滝口入道(斉藤時頼)との悲恋は有名です。 横笛は寺にこもり入道から送られた千束の恋文をもって己の像を造りました。 その像がこの庵に安置されていましたが、第2次大戦中に被害を受け失われてしまったそうです。
待春軒
入園料 500円 関連のホームページ 三渓園 風来坊