ほおずき鉢を片手の呼び込みです
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このほおずき市も200年近く昔の、明和年中に起こったといわれております。
山東京伝の「蜘蛛の糸巻」によると、芝青松寺の門前ら武家屋敷に奉公してていた仲間(ちゅうげん)が、6月23日の朝、庭を掃除中に一株の千成りほおずきを発見し、前夜愛宕権現の霊夢にあずかったことを思いだし、「6月24日の功徳日に青ほおずきの実を、愛宕の神前で鵜呑みにすれば、大人は癪の種(腹の立つ原因)を切り、子供は虫の気を封ずる。」というお告げがあったと吹聴したそうです。
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これを早速、翌24日に試みる人があり、不思議と効能があったため、いつしか境内に御夢想の虫薬と称して、青ほおずきの市が立つようになったといわれています。
この6月24日は愛宕権現の本地仏「地蔵様」のご縁日で、しかも四万六千日の縁日と呼ばれていました。
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ほおずき鉢を片手の呼び込みです
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ほおずきを選ぶ真剣な眼差し
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しかしながら元来、四万六千日は観音様の功徳日であったところから、いつしか浅草にもほおずきの市が立つようになり、かえって愛宕をしのぎ盛大になったのだそうです。
因みに青ほおずきは漢方では、解熱剤や婦人の胎熱に特効があるとして、江戸時代に薬用として用いられて来ましたので、満更いわれのないことではないようです。 |
仏様には色々なご縁日があり、観音様のご縁日は18日、地蔵様のご縁日は24日とか、古くから言われておりますが、室町末期以降このほかに功徳日が設けられ、この功徳日にお詣りすると百日に向かうとか、千日に向かうとか、同じ功徳にあずかるといわれ、いわば特別デーとして広められてきました。
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出店に並ぶほおずき
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このほおずきも人気のようです |
観音様の功徳日で日数の一番多いのが7月10日で、この日にお詣りすると四万六千日分に相当するということで、江戸時代からこの日のお詣りが盛んになってきました。
四万六千日という数については、諸説があり不明ですが、単に多いことと解釈して差し支えありません。
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いわば仏縁を結ばせる為に考え出された一つの方便云といえましょう。
したがって、白米一升分は四万六千粒にあたり、この日観音様にお詣りすると、一生を通じて無事息災に過ごすことができるとか、四六時(1日)の千日分が四万六千で、これが根拠になったとか、源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、源氏ゆかりの将兵を集めて、浅草寺境内に陣したときが7月10日で、その軍勢が四万六千騎あったことからとか、人間の最高寿命を指すとか、色々といわれておりますが、すべて茶飲み話の域をでないのだそうです。 |
丹波ほおずき
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浅草雷門
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7月10日は夕刻から雷雨になるとの予報があり、風来坊朝早く出かけることにしました。
雷門に9時30分過ぎに到着しましたが、2日間で60万人の人出があるというほおずき市、すでに仲見世通りは多くの観光客で賑わっておりました。
ほおずき市からの帰り道で、懐かしい神谷バーと電気ブランが健在であることが確認できました。
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雷門からも目と鼻の先の正に浅草のはじまり的な場所、台東区浅草1丁目1番1号に、日本で初めてのバー、神谷バーはあります。
明治13(1880)年、酒の一杯売りをする『みかはや銘酒店』として創業し、明治45(1912)年、日本初の洋式酒場となったのが神谷バーです。
『バー』とは名乗っていますが、バーに付き物のカウンターはなく、明るく広々とした店内には、木製の大テーブルが並んでいます。
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仲見世通りは朝から大混雑
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