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根津神社
上野動物園の池之端入り口から、さらに不忍通りを700mほど進んだ「根津神社入口」の信号を左折し、200mほど進んだ右手が「根津神社」です。 根津神社は今から1900年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祠したと伝えられる古社です。 文明年間には太田道灌が社殿を奉建しています。 6代将軍徳川家宣の生誕の地です。
5代将軍綱吉は、世継ぎが兄綱重の子・綱豊(6代家宣)に定まった際に、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行いました。 宝永3年に造営された権現造りの社殿、唐門、楼門、透塀など7棟の建物は、現在もそのまま残り、国の重要文化財に指定されています。
根津神社:つつじ苑
つつじ苑は、境内地となる以前に、徳川綱重(5代将軍綱吉の兄)が屋敷の庭につつじを植えたことに始まり、350年の歴史があります。 7000坪の神苑は、世につつじヶ岡と呼ばれる府内の名勝でした。 現在も境内には約2000坪のつつじ苑があり、約100品種、3000株のつつじが色とりどりに咲き移ります。 つつじが見頃となる時期には「文京つつじまつり」が境内で開催されます。
不忍通り
団子坂下交差点 ここを左折です
根津神社の境内を通り抜け、「根津神社北口」の信号を右折し、100mほど進んだ「千駄木2丁目」の信号を左折すると、不忍通りに戻ります。 不忍通りを400mほど進んだ「団子坂下」の交差点を左折し、緩やかな坂道を100mほど上った「団子坂上」の交差点の左前方にあるのが「森鷗外記念館」です。
団子坂
森鷗外記念館
「森鷗外記念館」は、森鷗外生誕150年を記念して、旧居「観潮楼」の跡地に建てられた記念館です。 小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医といくつもの顔をもつ鷗外の作品や遺品などが展示されています。
くらしのみち
「団子坂上」の交差点に戻り、左折すると長閑な感じのする「せんだぎ くらしのみち」です。 「くらしのみち」を300mほど進んだ左手に「旧安田楠雄邸庭園」があります。 旧安田楠雄邸は、大正8年(1919年)に豊島園の創設者である実業家・藤田好三郎によって造られた近代和風の邸宅です。 建物は、伝統的な和風建築の書院造や数寄屋造を継承しながらも、内部に洋風の応接間を設けるなど、和洋折衷のスタイルも取り入れた造りです。
旧安田楠雄邸
大正12年(1923年)には、旧安田財閥の創始者・安田善次郎の娘婿である善四郎が買い取り、昭和12年(1937年)に長男楠雄が相続しました。 平成7年に安田楠雄が他界したため、多くの方に親しんで欲しいという遺族の意向により、建物と庭園が日本ナショナルトラストに寄贈されました。 平成10年に東京都の名勝として文化財に指定されています。
旧安田楠雄邸庭園
平成11年から本格的な復元修理事業を開始し、建物部分の修理はほぼ終了しており、現在は庭園部分の修理を実施しています。 平成19年から一般公開されていますが、公開日は水曜日と土曜日の2日のみです。 今回は、駅からハイキングのコースには指定されていませんでしたが、前を通りかかったところ一般公開日だったため、見学することにしました。
天祖神社
「旧安田楠雄邸庭園」から「くらしのみち」を500mほど進むと「動坂上」の交差点です。 「動坂上」の交差点は変則五叉路になっており、斜め左前方に進む道路を「区立駒込公園」を左手にみながら進みます。 200mほど進むと左手に天祖神社があります。 天祖神社は、江戸時代には駒込神明宮と呼ばれ、駒込村の総鎮守として信仰を集めた社です。祭神が天照大御神であることから伊勢神宮の流れをくむ神明造りの社殿です。
空襲により残らず消失しましたが、氏子各町の熱意により昭29年(1954年)に新築し現在に至っている。地元の人たちからはかつては“神明さま”と呼ばれていました。 社伝によれば、文治5年(1189年)源頼朝が、奥州藤原泰衡追討の途中この辺りに寄った折、夢で松の枝に幣がかかっているという神託があり、家臣藤九郎盛長に探させたところ、松の枝に大麻が見つかり、それで頼朝は神明を祀ったとのことです。
駒込富士神社
天祖神社から300mほど進んだ右手が「駒込富士神社」です。 本郷村の名主が天正元年(1573年)、現在の東京大学の地に駿河の富士浅間社を勧請したことにはじまるとのことです。 寛永5年(1628年)加賀前田家が上屋敷をその地に賜るにあたり、浅間社を現在地に移しました。 拝殿は富士山に見立てた山の上にあり、江戸期の富士信仰の拠点の一つとなりました。 6月末から7月はじめの山開きには夜店が出て賑わいを見せます。
本郷通り
「富士神社入り口」の信号を右折し、本郷通りに沿って300mほど進むと「上富士前」の交差点で左右の通りが不忍通りです。 不忍通りを横切って50mほど進んだ左手の路地を進むと右手に赤れんがの塀が連なっています。「六義園」です。
六義園
六義園は元禄15年(1702年)川越藩主柳沢吉保が築造した庭園で、江戸の大名庭園の中で現存する屈指の名園と言われています。 昭和15年8月、史蹟名勝特別記念物保存法によって名勝の指定を受け、昭和28年4月特別名勝となり、日本でも特に勝れた名園として大切に保存されています。
庭園の形式は江戸時代の庭園にみられる廻遊式築山、山水庭園です。 庭園の中央に池を設け、中島を置き、島には妹背山があり、東南部に平坦な芝生、その他の部分には大小多数の築山が起伏しています。 庭園の北部に最大の築山、藤代峠を設け、各所に桃の茶屋、滝口の茶屋、吟花亭、熱海の茶屋、つつじの茶屋、芦辺の茶屋等のあずまやを配しています。
六義園の枝垂れ桜
「六義園」という名前は、中国の古い書物である毛詩に配されている、賦・比・興・風・雅・頌の六義に由来する和歌の六体によるものです。 「六義園」を「むくさのその」と呼ばせ、館を「六義館」と書いて「むくさのたち」と読ませています。 園内は四季折々に楽しむことができますが、春の枝垂れ桜、秋の紅葉が特に有名です。
六義園からレンガ造りの塀に沿って200mほど進むと右手に「陸議後援運動場」があります。その先を右折し六義園に沿って300mほど進み、最初の四叉路を左折して300mほど進むと「白山通り」です。 右折して白山通りに沿って300mほど進むとJR巣鴨駅です。 鷗外と歩く その1へ 風来坊