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神奈川宿歴史の道の案内図
京急神奈川駅
青木橋を渡ったところが、京急神奈川駅です。 駅舎は「神奈川宿歴史の道」にあわせて改造されています。 青木橋を渡り、旧東海道の道筋にある宮前商店街に入ると、街道の山側に甚行寺と普門寺があります。
宮前商店街付近は、台町あたりとともに、旧東海道の風情を今にとどめるところで、「神奈川宿歴史の道」では唯一の商店街になっています。 かつて、神奈川宿の亀の甲せんべいは有名で、幕府や諸大名の御用達だったといわれています。
宮前商店街
甚行寺
甚行寺 甚行寺は、明暦2年(1656年)に草創された浄土真宗高田派に属するお寺です。 開港当時、本堂は土蔵造りでしたが、改造を加えてフランス公使館に充てられたとのことです。
大正12年の関東大震災には全ての建物を倒壊焼失し、さらに昭和20年の横浜大空襲にも再度全焼しました。 その後、昭和46年に本堂、客殿を鉄筋コンクリート造りで再建し、現在に至っています。
普門寺
普門寺 普門寺は、洲崎山と号し、真言宗智山派に属しています。 山号の洲崎は洲崎大神の別当寺であったことに起因しています。 また、寺号の普門は洲崎大神の本地仏である観世音菩薩を安置したことにより、観世音菩薩が多くの人々に救いの門を開いているとの意味から普門とされたと伝えられています。 江戸後期には、本堂、客殿、不動堂などの建物を保有し、開港当時はイギリス仕官の宿舎に充てられました。
洲崎大神
洲崎大神 宮前商店街をさらに進むと、左に洲崎大神があります。 洲崎神社は、建久2年(1191年)源頼朝が安房国(現在の千葉県)の安房神社の霊を移して祠ったのが、始まりと伝えられています。 昔、この神社にあった御神木のアキハがなまり、青木町の町名になったと伝えられています。
『江戸名所図会』の様子は、現在も石鳥居や周囲の地形に偲ぶことができるとのことです。 神社前から海に向かって延びる参道が、第一京浜に突き当たるあたりが、かつての船着場です。 横浜港が開港されると、この船着場は開港場と神奈川宿を結ぶ渡船場となり、付近には宮ノ下河岸渡船場と呼ばれる海陸の護衛に当たる陣屋も造られたとのことです。
かつては、6月のお祭りには、神輿を神社前の海に担ぎいれ、安房神社の神と対面させる「お浜下り」という神事が行われていたとのことです。
宮ノ下河岸
神奈川宿歴史の道は茶色のルートです。赤線はわが町かながわ50選散歩道ルートです。
幸ヶ谷公園
幸ヶ谷公園、権現山
幸ヶ谷公園、権現山 洲崎神社の右手の坂道を登った左手が桜の名所として知られている幸ヶ谷公園です。 かつてこのあたりは権現山と呼ばれ、本覚寺のある高島台と尾根伝いに繋がる急峻な山でした。 幕末から明治にかけて、この山は削り取られ、その土が台場や鉄道用地の埋め立てに使用され、現在のように低くなりました。
この権現山は、古戦場として知られています。 戦国時代、当時の関東の支配者上杉氏の家臣上田蔵人は、北条早雲に味方して謀反を起こし、この山上に砦を築いて立てこもりました。 上杉方は2万の大軍が山上の上田方の砦を包囲し、10日にわたる戦いの後、遂に上田方の砦は落ちたといわれています。
権現山(幸ヶ谷公園)は桜の名所です
宗興寺
宗興寺とヘボン博士 幸ヶ谷公園から洲崎大神と反対側の坂道を少し下った最初の四叉路を右折し、公園に沿ってこげ茶色のレンガ敷きの道を歩き、丁字路を右に少し進むと、小学校の手前にV字型の三叉路があります。 左側の下り坂を30mほど進み、三叉路を左折したところに宗興寺があります。
開港当時、アメリカ人宣教師で医師であったヘボン博士がここに施療所を開きました。 これを記念する石碑が境内に建てられています。 このヘボン博士は、「ヘボン式ローマ字」でよく知られ、日本で最初の和英辞典を完成し、聖書翻訳なども行いました。 後に、明治学院を創設するなど、わが国の教育にも尽力した人です。
ヘボン博士施療所の記念碑
神奈川の大井戸
神奈川の大井戸 宗興寺の境内のすぐ脇に、「神奈川の大井戸」と呼ばれる井戸があります。 この井戸は、江戸時代には東海道中の名井戸に数えられ、当時は宗興寺を「大井戸寺」と呼ぶほどであったといわれています。 徳川将軍や明治天皇が通行の際、この水が使われたといわれています。 また、この井戸の水の量が増えると翌日の天気が良くなるといわれ、街道を通る旅人に「お天気井戸」とも呼ばれていました。
宗興寺から東に50m程進むと滝の川に出ます。 川幅5m程度の川で、川に沿って散策路が整備されています。 丁字路のところに「滝の橋と本陣跡」のガイドパネルが立っています。
滝の川沿いの散策路
浄瀧寺
浄瀧寺 丁字路を左に滝の川に沿って200m程進んだところが、浄瀧寺です。 浄瀧寺は妙湖山と号し、日蓮宗に属しています。
文応元年(1260年)妙湖尼は、鎌倉に向かう途中に立ち寄った日蓮聖人と遭いました。 法尼は聖人の人格にうたれ、法華経の話を聞いてたちまち弟子となり、自分の庵を法華経の道場としたとのことです。 また、開港当時は、イギリス領事館に充てられました。
滝の橋 上は高速道路 その下が第一京浜
滝の橋と本陣跡 浄瀧寺から元の道を戻り、「滝の橋と本陣跡」のガイドパネルが立っている場所から滝の川沿いに海側に50mほど進むと第一京浜に突き当たります。 この付近より東京寄りは、旧東海道が拡幅され第一京浜となっています。その上には現在、高速道路が走っています。 滝の川に架かっているのが滝の橋で、昔と同じ位置にあります。
宿場時代には、滝の川を挟んで江戸側に神奈川(石井)本陣、その反対側に青木(鈴木)本陣が置かれていました。 本陣とは、大名や公家などが宿泊したり休息するための幕府公認の宿です。 滝の橋のすぐ脇に高札場があったとのことですが、現在はなく、神奈川地区センターに復元されています。
第一京浜の滝の橋交差点から東京方向を望む
一番左の図が神奈川台場図
神奈川台場跡
神奈川台場跡 滝の橋で第一京浜を横切り、滝の川の東京寄りの道を滝の川と平行に進み、突き当たりを左折したところに神奈川台場跡のガイドパネルがあります。 その近くに台場公園があり、その隣りにJR貨物の東高島駅があります。 このあたりが神奈川台場跡です。
安政6年(1859年)5月、幕府は海防砲台の構築を伊予松山藩に命じました。伊予松山藩は勝海舟に相談し技術指導を受けたといわれています。 当時の台場は面積2万6千余平方メートル(約8千坪)の海に突き出た扇形で、約7万両の費用と工期約1年を費やして、蔓延元年(1960年)6月に竣工しました。 この工事のために権現山が削り取られて埋め立てに使用されました。
神奈川台場跡の石垣
明治32年2月廃止されるまで礼砲用として使われましたが、大正10年頃から埋め立てられ、現在では石垣の一部を残すのみとなっています。 台場公園には神奈川台場に関する説明資料が展示されています。
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台場公園