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フローティングクレーンの喫水線に注意! 吊上げ開始から30分の時点ではほぼ水平です
5隻のタグボートに曳航され、川原石西埠頭に到着
9月下旬に「潜水艦の大移動」に関するニュースが2日連続してテレビで放映されました。 全国版放送でしたから、このニュースを見られた方も多いかと思います。 この一大移動作業を呉在住の風来坊の友人「松ちゃん」が詳細にレポートしてくれました。 以下は、松ちゃんのレポートです。
退役潜水艦「あきしお」は史料館への展示という新たなる使命を帯びて、最終赴任地へと空の旅を行いました。以下「あきしお」の空の旅の一部始終です。 呉市宝町の海上自衛隊呉史料館(仮称)に展示する潜水艦「あきしお」(2250トン)の陸揚げが、9月24日から26日未明にかけて実施されました。 海上自衛隊呉史料館は来年4月にオープンの予定です。 潜水艦「あきしお」は、長年にわたり海上自衛隊で活躍した本物の潜水艦です。 現役を引退した後、今年の5月に造船所に回航され、6月28日にはドック入りして展示用に改修工事が行われました。 造船所では潜水艦の右舷側に穴をあけて2ヶ所の見学用出入り口を設置するなどの工事が行われたようです。
フローティングクレーンでの吊上げ準備作業
吊上げ開始前。吊上げワイヤーは32本
陸揚げ初日の24日(日)は、造船所から川原石西埠頭まで5隻のタグボートで潜水艦を海上曳航しました。 そして、世界最大級フローティングクレーン「武蔵」で潜水艦を岸壁に吊り揚げる作業にとりかかりました。 まず、吊上げ準備作業において、フローティングクレーンから出された32本のワイヤーが潜水艦側に取り付けられました。
そして、吊上げ作業が開始され、潜水艦は徐々に浮かび上がってきます。 吊り上げ開始から30分後の段階で、フローティングクレーンの喫水線はほぼ水平です。(最初の写真参照)
吊上げ開始から35分後
吊上げ開始から45分後
吊上げ開始から45分後、水切り寸前かと思いきや、その下から潜水艦に溶接された据付け架台が水面に現れました。 この時にワイヤーの玉掛け等、吊上げ方法を理解することができました。 またこの架台があったため、川原石西埠頭までの曳航にタグボート5隻が必要だったのではないかと私は推測しています。
吊上げ開始から62分後に潜水艦は完全に水面から離れました(水切り)。 フローティングクレーンの喫水線をよく見ると、面側(潜水艦を吊るしている方)が沈み、舳側(後側)が上がって、前のめりになっています。(下の写真参照)
吊上げから60分後、水切り寸前
吊上げ開始から62分後、水切り直後
吊上げ開始から75分後。吊上げほぼ完了
吊上げ開始から75分で、吊上げがほぼ完了しました。 次が岸壁上への水平移動です。 水平移動はクレーンブームを下げるのではなく、フローティングクレーン自体をウインチで岸壁に寄せました。
「陸上のクレーン作業とは違うな〜」と思いました。 私も玉掛、移動式クレーン、天井走行クレーンの免許を持っています。
見物に訪れた1000人の市民
岸壁上に移動完了
24日正午からテレビに頻繁に陸揚げ作業が映しだされたので、呉市民の関心も高く、好天気が続いたこともあり、カメラを片手に「あきしお」吊上げ作業を見逃さないようにと付近一帯は見物者で溢れていました。
岸壁上に吊りおろし完了後、潜水艦「あきしお」の船体の洗浄が行われました。 海水に浸かっていた船体ですから、しっかりと水洗いしておく必要があるのです。 海の上では潜水艦の黒い部分の一部しか見えず、赤い部分は海の中です。 したがって、実際の潜水艦は想像以上に大きいのです。
岸壁上に吊りおろし完了
岸壁上に吊りおろし完了。 このあと潜水艦「あきしお」の船体洗浄が行われた
ちなみに、潜水艦「あきしお」は、船体全長76m、幅9.9m、高さ10.2mです。 このため、船体を洗浄するには、岸壁などのような広い場所が必要です。
築地沖を川原石から宝町に空中移動する潜水艦
潜水艦「あきしお」は画面右から左へ移動
25日(日)は川原石西埠頭から、フローティングクレーン「武蔵」で、潜水艦「あきしお」を25メートル以上の高さに吊上げたまま、大和ミュージアム西隣の宝町埠頭までの、約2キロを海上移動しました。
大和ミュージアム沖。ここでスイッチバックし、前進右折して宝町埠頭へ
空中移動する潜水艦「あきしお」
空中移動する「あきしお」は、いずれも大和広場の大和測距儀付近から撮影したものです。
潜水艦の吊上げに使用された「武蔵」は、世界最大級の3,600トン吊起重機船です。 主巻定格荷重=3,600トン 総トン数=15,238・09トン
午前10時20分から陸揚げ作業にかかりました。 76メートルの潜水艦を載せるための移送台車として、ユニットドーリーを3列に17両(6軸車×9両+4軸車×8両)を連結したものが準備されました。 この移送台車は、総タイヤ数が688個(1軸にタイヤ8個)です。動力はバッテリーで、バッテリカーを連結しています。 そして、コンピュータ制御によるモジュール工法で移送します。
連結された台車の全長は54mにもおよび「ながいなー!」と感心しました。
台車(ドーリー)上に積み下ろし作業
潜水艦を台車の上に乗せるまでに、クレーンの微調整が長時間続きました。
ウインチによるクレーン船台の前後左右の距離調整、クレーン主巻による4点の高さ調整を念入りに行っていました。 ドーリー上に1cmの狂いもなく、正確に積載しないと史料館の基礎上にうまく据付できないのだそうです。
史料館までの200メートルの移動は、午後11時半から行われました。 移動作業をする付近は22時から翌朝5時まで交通規制が行われ、史料館前の信号器も取り外されたようです。 私は立ち会いませんでしたが、26日午前1時ごろ、潜水艦「あきしお」が無事、史料館前の基礎上に降ろされ、ドーリーが離れた瞬間、期せずして見物の市民から大拍手が沸き起こったそうです。
ワイヤー、シャックルと架台の取り合い(玉掛け)
私は、24日〜25日にかけ、二度とお目にかかれない世紀の一瞬を目に焼き付けようと、潜水艦「あきしお」のオッカケを行いました。 デジカメ2台、予備のバッテリーとメモリーカード、お茶とアメを携帯しての長時間行動でした。 幸い2日間とも好天気に恵まれ、絶好のカメラ撮影日和でした。 あとは腕と忍耐と撮影場所確保にかかっていました。
台車上に乗せられた潜水艦「あきしお」。大和広場から撮影
史料館の潜水艦「あきしお」据付基礎
腕はいまさらどうすることも出来ませんが、「ヘタなテッポーも数撃てばあたる」の格言どおり、数多く撮ることでカバーすることにしました。 ちなみに撮影枚数は289枚でした。デジカメだから素人の私にもできたワザです。 フイルムカメラならこんなに数多く撮影出来なかったことでしょう。
場所取りは、友人と携帯電話でその場面、場面に情報交換を行って、最適な撮影場所確保に努めました。 反省としては2台のカメラの時刻を標準時計と整合させなかったことです。 これが原因であとから写真整理するのに苦労させられました。 カメラの時刻はそれぞれ数年前の購入時に設定されたままでした。 「ハンセイ!」です。
建設中の史料館。展示用潜水艦との出入り口2ケ所
宝町埠頭からの史料館と「あきしお」 右後方は「ゆめタウン(いずみ)」
*陸揚げ予定表 9月24日(日) 09:00〜10:00 展示用潜水艦「あきしお」曳航作業 14:20〜15:00 展示用潜水艦「あきしお」吊り上げ作業
9月25日(月): 08:00〜 9:00 海上クレーン(潜水艦吊り上げ)移動 10:20〜11:20 展示用潜水艦をドーリー上に積載 23:30〜 1:00 海自呉史料館(仮称)への搬入
基礎上の潜水艦「あきしお」(艦首側)
基礎上の潜水艦「あきしお」(艦尾側)
私を含め多くの市民の疑問点は大別して次の2点でした。 1 丸い潜水艦をどのようにして吊上げるのかなー? ワイヤーはどのようにして掛けるのかなー? 吊環の位置は? 2 大きくて重たい潜水艦をどのようにして、基礎の上に載せるのかなー?
「ゆめタウン」大和ミュージアム側玄関からの「あきしお」
「ゆめタウン」屋上からの「あきしお」と建設中の史料館
写真の左側「大和ミュージアム」、右側「ゆめタウン」
この疑問点を解明すべく、潜水艦を追っかけ、写真を撮りまくりました。 一連の写真を観察すると、上記疑問点のほか、細かな多くの作業手順や作業方法を解き明かす証拠を見つけることができ、学ぶことが多く大きな収穫となりました。 そして私にとって二度と見られない、世紀の一大瞬間に立ち会うことができ、大いに満足しています。
潜水艦「あきしお」が移動を完了した史料館は、大和ミュージアムのすぐ隣です。 大和ミュージアムは、開館して388日で入場者が200万人を突破するという大変な人気です。当初見積もりの4倍以上の来館者があるとか! 来年4月に史料館が開館すれば、人気にさらに拍車がかかるかも知れません。 呉市民としては嬉しいことです。 松ちゃん
「海上自衛隊呉史料館(仮称)完成予定図」 工事中の史料館外壁に掲げてある看板