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花と器のハーモニー2016 その2 (H28.6.5&6.10)

べーリック・ホール


べーリック・ホール



べーリック・ホール



べーリック・ホール

ベーリック・ホール

ベーリック・ホールは、中島 杏翠の作品です。



べーリック・ホール



べーリック・ホール


作品の紹介

空間を捉え、植物を造形する。好奇心と探究心がいけばなの潜在的な魅力を導き出し、絶えることナウ進化(深化)を続けてきた草月流が、戦前の山手外国人住宅としては最大規模の建物に、斬新な視点でもって花を添えてくれます。


べーリック・ホール



べーリック・ホール


べーリック・ホール



べーリック・ホール



べーリック・ホール



べーリック・ホール

ベーリック・ホール(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.べーリック氏の邸宅として、昭和5年(1930年)に設計されました。

第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31年(1956年)に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12年(2000年)まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。



べーリック・ホール



べーリック・ホール


現存する戦前の山手外国人住宅の中では、最も規模の大きな建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンです。モーガンは山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築を残しています。

600坪の敷地に立つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。


べーリック・ホール



べーリック・ホール


べーリック・ホール



べーリック・ホール



べーリック・ホール



べーリック・ホール

内部も、広いリビングやパームルーム、和風の食堂、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復元されているなど、建築学的にも価値のある建物です。



べーリック・ホール


べーリック・ホール



べーリック・ホール



べーリック・ホール


平成13年(2001年)横浜市は、建物が所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄付を受け、復元・改修等の工事を経て、平成14年(2002年)から建物と庭園を公開しています。


べーリック・ホール



べーリック・ホール


エリスマン邸


エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸

エリスマン邸

エリスマン邸は、永塚 慎一の作品です。



エリスマン邸


エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸


作品の紹介

地元山手の丘に根ざし、横浜の草分け的な存在として知られる生け花展を牽引する永塚慎一が、極めて高度な技術と、変幻自在な発想力によって生み出してきたフラワーデザイン。本展において、満を持して山手西洋館でその世界が展開されることになります。


エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸

エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正15年(1926年)に山手町127番地に建てられました。

設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。



エリスマン邸



エリスマン邸


当時は木造2階建て、和館つきで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。

煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、軒の水平線の強調など、設計者レーモンドの師匠である世界的建築家
F.L.ライトの影響も見られます。


エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸



エリスマン邸

昭和57年(1982年)にマンション建築のため解体されましたが、平成2年(1990年)に元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現されました。

1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したものです。

かつて3つの寝室があった2階は、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示しています。また、地下ホールは貸し出しスペースとして、昔の厨房部分は、喫茶コーナーとして利用されています。


横浜市認定歴史的建造物に指定されております。



エリスマン邸


山手234番館


山手234番館



山手234番館



山手234番館

山手234番館

山手234番館は、曽我部 翔の作品です。



山手234番館


山手234番館



山手234番館



山手234番館


作品の紹介

横浜で花を学び、数々の研鑽を積み重ねてきた曽我部翔。そのキャリアは、花に対するやさしい眼差しと、花と向き合う鋭い感覚の微妙なバランスを育み、現在に至っている。氏の瑞々しい感性によって、花が持つ素晴らしさを、誰にでもわかりやすい視点で伝えてくれます。


山手234番館



山手234番館


山手234番館



山手234番館



山手234番館



山手234番館



山手234番館

山手234番館は、昭和2年(1927年)頃に外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に民間業者によって建設されました。

関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられ、設計者は、隣接する山手89−6番館(現在のえの木てい)も設計した朝香吉蔵です。



山手234番館



山手234番館


建設当時の施設は、4つの同一形式の住宅が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。各住戸の3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめら、往時の「モダン」な生活様式が窺えます。

また、洋風住宅の標準的な要素である上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえます。


山手234番館



山手234番館

建築後、第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていましたが、平成元年(1989年)に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。

平成9年(1997年)から保全改修工事を行い、平成11年(1999年)から一般公開しています。

1階は再現された居間を中心に山手地区の洋館のパネル展示、2階は貸し出しスペースとして、ギャラリー展示や会議等に使用されています。

横浜市認定歴史的建造物に指定されております。



山手234番館


山手234番館



山手234番館



山手234番館


アクセス

山手111番館、イギリス館:みなとみらい線元町駅から徒歩約10分

外交官の家、ブラフ18番館:JR根岸線石川町駅から徒歩約5分


入館料

花と器のハーモニーは全館無料です。


山手234番館



山手234番館


山手234番館



山手234番館



山手234番館

関連するホームページ

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山手234番館


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