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山中城跡 (H28.12.24)


西の丸



西の丸



西の丸

山中城は戦国時代末期の永禄年間(1560年代)に、小田原城に本城を置いた後北条氏が築城しました。

豊臣秀吉と不仲になった北条氏政は、天正17年(1589年)に秀吉の小田原攻めに備え急遽堀や出丸などの整備、増築を行いました。

しかし、天正18年(1590年)3月29日、増築が未完成のまま、4万の豊臣軍の総攻撃を受けました。北條軍は4千で、圧倒的な兵力の前に、僅か半日で落城したと伝えられています。



西の丸からの展望



西の丸からの展望 三島市



西の丸からの展望


400年前の遺構がそのまま復元されている山城は全国的にも非常に珍しいものです。

堀や土塁が良く残っており、尾根を区切る曲輪の造成法、架橋や土橋の配置など箱根山の自然の地形を巧みに取り入れた山城の作り方など、目を見張るものがあります。

昭和9年に(1934年)に、国の史跡として指定されています。


西の丸からの展望



障子堀



障子堀



障子堀

障子堀

後北条の特長が良く現れている堀で、障子のさんのように見えるところから障子堀といいます。ここは用水池を兼ねた水堀で、山城では非常に珍らしいものです。

本丸西橋

本丸から二ノ丸の間の堀にかかる橋で、左側半分は土橋。いざというときは右半分の木橋を堀に落とし、本丸への侵入を防ぐことができます。



本丸西橋



本丸西堀


また、山中城趾から眺められるパノラマはそのスケールの大きさに定評があります。

特に、西櫓・西木戸・岱崎出丸からの富士山・駿河湾・田方平野・天城連山・三島の眺望は素晴らしいものがあります。

山中城跡は標高が580mと高いため、富士山も裾の方まで眺めることができます。


本丸西堀



本丸西橋



本丸



天守台

豊臣軍の総攻撃を受けたときの城主松田康長、副将間宮康俊、豊臣方の一柳直末など、武将の墓が三の丸にある宗閑寺境内にあります。



二の丸から



二の丸から


関連のホームページ

 山中城跡公園


入園料

 無料


二の丸



三の丸堀



宗閑寺



左:豊臣方武将の墓  右:北條方武将の墓



箱井戸

アクセス

三島駅南口5番乗り場から東海バスに乗車し、山中城跡で下車
バスの所要時間は約30分です。

駐車場

無料駐車場があります。利用可能時間9時〜17時。


     風来坊


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