散策スポット:中部

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興津~薩埵峠(さったとうげ)~由比宿 (H28.12.28)



興津駅

東海道の興津宿は、東海道五十三次の17番目の宿場町です。

ここから
薩埵峠(さったとうげ)を越えて由比宿に至るコースは、東海道を辿るハイキングコースでも人気のあるコースのひとつです。

そのハイライトが富士山を望む
薩埵峠です。

今回は、東海道線興津駅から薩埵峠を経由して由比駅まで散策しました。


東海道線興津駅に「東海道の歴史と峠からの富士山」というタイトルの「駅からお散歩マップ」が置かれていました。

奥津駅から由比駅まで約7km、所要時間約2時間30分のコースで、コースの中間付近に富士山の絶景ポイント薩埵峠があります。


国道1号線



岩城人形店の手前を左折

興津駅前の「興津駅前交差点」を左折すると国道1号線です。並行してバイパスが設けられていますが、旧道の方を歩きます。

600mほど進んだ「興津中町東交差点」でバイパスと合流し、また分離しますが、そのまま旧道を進みます。

400mほど進むと興津川で、興津川橋を渡った「岩城人形」店の手前を左折します。


ここからは要所要所に薩埵峠への案内板が設置されていますので、案内板を見ながら進むことができます。

地元の方が、「岩城人形店から200mほど進んだところを左折すると、急坂ですが近道です」と教えてくれましたが、今回は初めてですから、お散歩マップと案内板にしたがって進むことしました。


案内板 ちょうど峠までの中間点です



薩埵峠への緩やかな登り道



階段を登ると細い道に



散策路の水仙

案内板にしたがって、緩やかな上り坂を15分ほど進むと階段の登山道となります。

この登山道の入口から薩埵峠まで30分の表示です。


気合いを入れて進む必要があると写真も撮らずに、林の中の階段を5分ほど登ると、急に視界が開けてきて眼下に海が見える素晴らしい景観となりました。

登山道に咲いている水仙を眺めながら、100mほど緩やかな上り坂を進むと「薩埵峠」の表示です。


薩埵峠の表示



薩埵峠からの展望



薩埵峠からの富士山



薩埵峠の散策路

そして前方には富士山と由比ヶ浜海岸の見事な景観が広がっていました。

案内板で30分のところを僅か5~6分で来たのかと思っていましたが、眼下に広がる由比ヶ浜の景観は、ガイドブックで見た景観とは少し異なる感じもします。

地図を眺めると、さらに先にあずまや展望台の表示があります。



薩埵峠の休憩所


薩埵峠の案内板



薩埵峠の散策路から



薩埵峠の散策路



薩埵峠の散策路


この場所から平坦な登山道を500mほど進んだ「展望台」からの景観が、ガイドブックなどに掲載されている薩埵峠からの景観でした。

興津地区と由比地区の境界付近は、山が海へと突き出す地形となっており、古くは海岸線を波にさらわれぬよう駆け抜ける必要がありました。


薩埵峠の案内板



薩埵峠からの展望



薩埵峠からの展望



薩埵峠からの展望

このため、同様の状態であった新潟県・富山県境の親不知と並び称されていましたし、東の箱根峠越え、西の鈴鹿峠越えと並ぶ東海道の三大難所としても語られてきました。

このため山側に迂回コースとして造られたのが薩埵峠です。



薩埵峠からの展望



薩埵峠からの展望


薩埵峠からの富士山と駿河湾の景色は、東海道五十三次にも残されるほどの絶景であり、高速道路(東名)の宣伝材料など、さまざまな素材にも利用されています。

また、ここから見渡せる由比地区西部は、東名高速道路と国道1号線が並行して走る区間で交通の要所でもあることなどから、薩埵峠周辺に各テレビ局が情報カメラを設置しており、台風情報などの際にもその景色が放映されます。


薩埵峠からの展望



薩埵峠からの展望



薩埵峠からの展望



薩埵峠からの展望

現在の国道1号線は、海岸線を沿うように走っており、薩埵峠は主要道路の位置づけから外れています。

旧国道1号線は、1車線ギリギリという狭さですが、峠の最高地点には石碑や駐車場などが整備されています。

この駐車場から展望台までは200m程度です。



薩埵峠からの展望



薩埵峠からの展望


駐車場から旧国道1号線を1.3kmほど下ると平坦な道路となります。

坂道を下ったところに一里塚があり、ここからJR由比駅までの約2kmは、街道時代の面影を残す街並み「倉沢・寺尾の街並み」が続いています。

東海道東海道16番目の宿場町である由比宿は、JR由比駅よりも東側にあります。このため由比宿と薩埵峠の間は距離があり、そこへ至る道筋も断崖が海に迫る険しさのために、間の宿である寺尾や倉沢が置かれていました。

東側の寺尾村は、初めは海岸寄近くにありましたが、元禄12年(1699年)の大津波によって壊滅し、現在の場所へ移転したといわれています。


薩埵峠からの展望



右側が薩埵峠に続く道 今回降りてきた道 右手に一里塚



倉沢・寺尾の街並み



倉沢・寺尾の街並み

薩埵峠から坂道を下ったところが西倉沢の西端です。断崖の僅かな土地に、旅籠建築が道の両脇にひしめいていたと推定されます。

明治以降のものと推定されますが、国道1号線が整備されるまで、宿場町制度が終了した後も、峠越えの要衝として賑わったと推定される建物が残っています。

坂道を下った一里塚の前に「望嶽亭」と呼ばれる茶店「藤屋」が公開されていいます。


幕末官軍に追われた山岡鉄舟が、望嶽亭の蔵屋敷で漁師に変装し、隠し階段より脱出、舟で清水に逃れ、西郷隆盛と会談して江戸城無血開城の道を開いた、というエピソードが伝えられる有名な茶店です。

当時最新式フランス製十連発のピストルを残して行ったと言われています。当時と変わらない建物、部屋のたたずまいとピストルが歴史を物語っているとのことですが、年末で公開されていませんでした。


倉沢・寺尾の街並み



倉沢・寺尾の街並み



倉沢・寺尾の街並み

寺尾地区には、東海道名主の館「小池邸」や「あかりの博物館」があります。

たき火からかがり火へ。ローソクから電灯へ。
「あかり」はさまざまに姿を変えながら、いつの時代も変わることなく暮らしを支えてきました。

「由比宿 東海道 あかりの博物館」には、館長の片山光男さんが個人で収集した古灯具から近代の照明器具まで1000点以上が展示されています。
わが国の古今のあかりに関する物品、文献がいっぱい展示されています。

残念ながら撮影禁止ですので、その様子をお伝えできません。


江戸時代の村役人、村方三役(名主・組頭・百姓代)というのは、村落内の行政を行っていました。その代表を、東国では「名主」、西国では「庄屋」と呼んでいたようです。

この時代、領主側の支配機構と、百姓側の接点として、村役人の中ではもっとも重要な役割を担っていたのが名主でした。名主は、村内でもっとも家格の高い百姓であり、また知識層でもありました。


倉沢・寺尾の街並み



由比宿東海道 あかりの博物館



由比宿東海道 あかりの博物館

主な仕事は、年貢の取立・管理・戸籍事務・諸書類の作成や他村・領主との折衝など、村政全般を取りあつかっていました。そのために名主の仕事は、たいへんな知的能力と事務能力を必要とされ、「読み書き」「そろばん」が出来なくては、勤まりませんでした。

名主はその職務に対して、年貢の免除や給米・引高などのかたちで、役料をもらっている場合が多かったようです。また、衣料なども一般の百姓では着ることのできない、絹・紬などを着ることが許されていました。


由比地区で長年名主をつとめた小池家の母屋は、明治期に建てられたもので、建物の外観は低い軒の瓦葺き、正面の潜り戸付きの大戸、格子等、当時の寺尾地域の民家の面影をよく残しています。

大戸の脇には、平瓦をならべ四隅を留め、目地に漆喰をつかったナマコ壁もみられます。

軒先は、腕木を突き出し外側の柱面より外に桁を出した「出し桁造り」となっており、深い軒を支えています。

内部は、たたき土間と六畳の整形四間からなる田の字形四つ目取りの部屋、大黒柱の建つ伝統的な民家の造りです。
また、建物の外回りの石垣は、百年前の美しさをそのままに残しています。


由比宿東海道 あかりの博物館



小池邸



小池邸

小池邸も年末年始の休館日でした。

小池邸から700mほど進むとJR由比駅です。

由比といえば桜エビが有名ですが、今年の桜エビ漁は10月24日~12月25日で、残念ながら漁期が終了していて、生桜エビを食べることはできませんでした。



由比の街並み



由比の街並み 富士山は本物です



関連のホームページ


 薩埵峠

 由比宿


    風来坊


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