散策スポット:中部

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茅野散策 (H28.9.2)


茅野の市街地



茅野市観光案内所(茅野駅)

JR東日本駅からハイキングのイベント「御柱の里『ちの』散策」に参加しました。

サブタイトルは「今年は7年に1度の御柱祭。春の諏訪大社上社御柱祭で建て替えられたばかりの御柱を間近で見学することができます。あわせて茅野市の気候と風土が生んだ「食」もお楽しみください。また、中世の古道「鎌倉道」からは市内を一眸することができます」です。


コースの概要は次のとおりです。(約8km)

茅野駅茅野市観光案内所木落し公園川越しの場御柱屋敷諏訪大社上社前宮中世の古道「鎌倉道」松木寒天丸井伊藤商店弥生通りから出土した大石茅野駅

約4時間、1万5千歩の散策でした。


諏訪大社に関する案内



木落し公園に展示されている御柱



木落し公園に展示されている御柱



木落し公園に展示されている御柱

信濃国一之宮と呼ばれる諏訪大社は上社の本宮、前宮、下社の春宮、秋宮の二社四宮からなり、氏子は諏訪地方の6市町村にわたっています。

この諏訪大社の最も勇壮で熱狂的な祭りが「御柱祭(おんばしら)」であり、天下の大祭として広く全国に知られています。


御柱祭は7年目毎、寅と申の年に行われます。正式名称は「式年造営御柱大祭」といい宝殿の造り替え、また社殿の四隅に「御柱」と呼ばれる樹齢200年程の樅の巨木を曳建てる諏訪大社では最大の神事です。

勇壮さと熱狂的ぶりで、天下の大祭としても全国に知らている御柱祭は、古く、804年桓武天皇の御代から、信濃国一国をあげて奉仕がなされ盛大に行われるようになり、現在でも諏訪地方の氏子20万人以上と訪れる親戚、観光客がこぞって参加し、熱中するお祭です。


木落し公園に展示されている御柱



御柱曳航ルート



御柱大祭の案内板

御柱祭は上社、下社それぞれに山から直径約1m、長さ約17m、重さ10トンにもなる巨木を8本切り出し、上社は約20km、下社は約12kmの街道を、木遣りに合わせて人力のみで曳き、各お宮の四隅に建てるものです。

4月の「山出し」と5月の「里曳き」とがあり、山出しでは、たくさんの観衆が見守るなか巨木の御柱が次々と坂を下る「木落し」、上社では冷たい水が流れる川を曳き渡る「川越し」あり、男の度胸試しにふさわしい壮観な見せ場があります。里曳きでは、長持ち、騎馬行列など時代絵巻が見ものです。

大社の御柱がすむと諏訪地方の神社では御柱祭が行われます(小宮祭といいます)。この年は諏訪大社の御柱祭から始まり小宮の御柱祭で一年が終わります。



木落し公園



木落し公園


茅野市は上社の曳行ルートになり、壮観な見せ場として山出しの「木落し」「川越し」、里曳きの「建御柱」があります。

茅野駅の茅野市観光案内所で受付を済ませ、南方向に500mほど進んだ「上川橋」交差点を左折し、道なりに進んでJR中央本線のガードを潜ると「木落し公園」です。

「建御柱」の見せ場の一つである「木落し」の場所です。坂の長さ約36m、最大傾斜は約27度です。


木落し公園



木落し公園

メドデコは、御柱の前部と後部に穴を開けて差し込み、V字型に取り付ける木の柱を指します。それぞれのメドデコに氏子たちが鈴なりに乗って気勢を上げ、メドデコを左右に振りながら進む姿は上社だけの勇壮な光景です。

メドデコに大勢の若者を乗せて、木遣り一声、一気に急坂を下りると沸き起こる拍手と歓声。木落しは男達の度胸の見せ所です。

木落し公園には、メドデコを取り付けた御柱が展示されていました。

「木落し公園」からは茅野の市街地のみでなく遠くは諏訪湖も眺望できます。



川越しの場


「木落し公園」から西方向に1kmほど進むと「川越しの場」です。

豪快な木落しがすむと今度は御柱川越しの壮観があります。川越しとは一名御柱洗いと称して宮川の清流の中を御柱を曳き渡すことです。

昔は木落しが終わると各御柱は今までの曳順によらず、競争で川越しをする古いならわしがあって、一気加勢に数千名曳き子達が大観声をあげ、突撃ラッパの響きも勇ましく田んぼの中を横断して宮川の提防に向かい、われ先にと激流に飛び込んで曳綱を渡し、御柱もろともに大飛沫をあげて川越をしたといわれていますが、現在では危険防止を考慮し、本宮一、前宮一、本宮二、前宮二、本宮三、前宮三、本宮四、前宮四の順に川越しを行っています。


川越しの場



川越しの場



川越しの場



川越しの場

まず、本宮一の御柱の曳綱の先端が宮川の提防にさしかかると勇敢な若者が冷水の宮川を泳ぎ渡り対岸へと曳き綱を渡します。川越しは、上社ならでは見ることの出来ない御柱祭第二となる必見の見所です。

順次川越えを終わった8本の、御柱は安国寺の御柱屋敷に曳き揃えられると、曳子一同は御小屋神林の方向に向ってオンベを振って「山の神返し」の木遣り唄「山の神様お帰りだ、皆さまご無事でおめでとう、双方お手打ちお引取り」とうたいあげて、シャン・シャン・シャンと手縮めをして各地区へひきあげるのです。


翌日関係者によって、曳きそろえられた8本の御柱の周囲に注連縄を張り、修祓式を行って里曳祭りの日まで1ケ月間ここに休めておきます。

この場所が「御柱屋敷」です。

散策ルートに「御柱屋敷」と掲載されていますが、屋敷らしい建物は見当たりません。

実は、御柱を休めておく場所が「御柱屋敷」で、それ以外の時期は駐車場として使用されているのです。したがって、写真はありません。


この左手が御柱屋敷



諏訪大社前宮



諏訪大社前宮



諏訪大社前宮

「御柱屋敷」の傍の「安国寺」交差点から北西方向に700mほど進むと「前宮前」の交差点で、この交差点の傍が「諏訪大社上社前宮」です。

上社前宮本殿は内御玉殿から200mほど上段で、古くは神殿に附属したお社でした。高台で豊富な水や日照が得られる良き地で、御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられており、パワースポットとして人気を集めています。



諏訪大社前宮



前宮二之柱


前宮一之柱


前宮とは上社本宮に対し、それ以前にあった宮の意味とも考えられています。

現在の社殿は昭和7年伊勢の神宮の御用材をもって建られたものですが、以前の社殿は天正13年(1585年)に造営された上社関係では最古の建造物でした。

神社の四隅に建てられる御柱に手を伸ばして振れることができるのは前宮だけです。


諏訪大社前宮



鎌倉道からの光景



鎌倉道から諏訪大社前宮を望む

前宮本殿の裏手に登ると中世の古道「鎌倉道」です。

鎌倉道は鎌倉時代に幕府と茅野市をを結ぶ道として使われていたと考えられています。

鎌倉道の途中に、茅野市街地と前宮の3本の御柱を一望できるビュースポットがありました。

鎌倉道はウッドチップが敷き詰められた散策路となっています。



鎌倉道



松木寒天


鎌倉道を抜けた交差点を右折して300mほど進むと「前宮前」の交差点に戻ります。さらに50mほど進んだ左手が「松木寒天」です。

茅野市は天然の角寒天生産量日本一の「寒天の里」です。

「松木寒天」の店内には、寒天レシピコーナーや寒天の歴史を学ぶコーナーもあります。

寒天の試食ができましたが、美味しかったです。


松木寒天



丸井伊藤商店



丸井伊藤商店

「松木寒天」から「川越しの場」を経由して「木落し公園」の傍の「上川橋交差点」まで戻り、南東方向に300mほど進むと「丸井伊藤商店」です。

創業以来100年を数える丸井伊藤商店は、味噌造り一筋に昔ながらの伝統の技を尊重し、更に新しい技術を取り入れ、研究を重ねて故郷の味を届けているとのことです。



丸井伊藤商店


昔ながらの天然蔵には、天然二年味噌、三年味噌が背丈よりも大きな木樽で静かに熟成の時を待っています。

また、漬物工場では野沢菜、山ごぼう、セロリ、胡瓜、茄子、しょうが、大根、人参、しその実、みょうが、昆布などの生産が行われています。


丸井伊藤商店



丸井伊藤商店



貧乏神神社



貧乏神神社



福の神 おかめ神社

この丸井伊藤商店にユニークな「貧乏神様神社」があります。

この神様は、ただの貧乏神ではなく、「災いを福に変える、プラス思考の神様」とのことです。

参拝方法もユニークです。

「貧棒」で神前にある「ご神木」を3回叩き、3回蹴飛ばし、豆を投げつけるという貧乏神撃退方法です。

マスコミでも大々的に取り上げられたとのことです。



茅野市からの八ヶ岳



中央線からの八ヶ岳


「丸井伊藤商店」から北西方向に元来た道を戻り「上川橋交差点」を過ぎてさらに200mほど進んだ右手に「弥生通りから出土した大石」があります。

駅前まちづくり協議会によって祀られたものですが、言い伝えや際だった特徴があるわけではありませんが、祀られていることがインターネットを話題になり、茅野市の密かな観光スポットになっているとのことです。

「弥生通りから出土した大石」から約200mで茅野駅(ゴール)です。


          風来坊


弥生通りから出土した大石


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