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谷津バラ園
旧谷津バラ園は谷津遊園内の一施設として、昭和32年5月27日に秩父宮妃殿下をお迎えして開園しました。 そして、翌年にはローズガーデンとサンプルガーデンが開園して、当時東洋一とも言われる大バラ園が完成しました。
その後、京葉道路の開通にともない、バラ園は昭和40年に現在地に移りました。 以降、品種的な補充が年々行われ、昭和51年には世界16ヶ国のバラ1007種類が集められ、最盛期には1200種類余りが栽培されていました。
日本バラ会の試作場も園内の一隅にあり、世界各国のバラが試作され、毎年名花を世界に発表していました。 昭和57年12月、谷津遊園の閉園にともないバラ園も閉鎖されましたが、住宅都市整備公団の団地建設に伴い、再び谷津バラ園が習志野市の都市公園として復元されました。
谷津バラ園は昭和63年5月、習志野市の都市公園としてよそおいも新たに誕生しました。 名実ともに世界のバラ園が、市民の要望に応えて、都市公園の中に再スタートしたものです。 新しいバラ園は従来のバラ園のデザインを尊重しながらも、いくつかの改良の手が加えられています。
谷津バラ園の特色は、園路にスロープを設け、車椅子によるバラの観賞散策が楽しめることができるようにしております。 また、従来のバラ園は洋風な庭園が主体でしたが、新しいバラ園は和風に仕上げたコーナーを設けてあります。
また、静的なバラに動的な水の流れを配し、花のない時期においても造園の美しさを楽しめるよう5体の塑像(フローラ像、花の姉妹、華、白いコスチューム、春風)を配置するなど、一年を通して多くの人が親しむことができるように改良されています。 旧谷津バラ園に何回か訪ねたことがありますが、あまりの変貌ぶりに異なるバラ園ではないかと錯覚するほどです。
谷津バラ園は1万2600平方メートルもある広大なバラ園です、 赤、黄、白など色別にバラを分け、噴水を中心に庭園のように配置されています。 また、皇室王室コーナー、有名人コーナー、新品種コーナー、香りの庭コーナー、青バラコーナーなどが設けられています。
長さ60mのバラのトンネルも設けられております。 また、バラ園は周囲の部分が一段高くなっており、いろいろな角度からバラを楽しむことができるように工夫されています。 700品種、7000株のバラが咲き誇っており、品種の多いバラ園です。
谷津公園内に「プロ野球発祥の地と書かれた看板」と「読売巨人軍発祥の地の碑」があります。 谷津バラ園の外側です。谷津バラ園入口の20mほど右手です。 昭和9年4月、正力松太郎氏が野球の発展のためにアメリカ選抜チームを招待しました。 ベーブ・ルースやルー・ゲーリックらスター選手が来日しました。
日本側は大学有名選手を中心に編成され、この地に集結し練習しました。日本の選手の中には高校生(当時は中等学校)だった沢村栄二投手もいました。 これがキッカケで職業野球が作られました。
しのぶれど
グレース ドゥ モナコ
プリンセス ミチコ
エンプレス ミチコ
ワルツタイム
また、アメリカ選抜チームと対抗するためにここに集まった選手が中心となって、のちの東京巨人軍(現在の読売ジャイアンツ)になった経緯があり、読売巨人軍発祥の地といわれているようです。 読売巨人軍発祥の地の碑には、有名選手の手形もありました。
キャロリーヌ ドウ モナコ
デンディ ベス
プリンセス チチブ
ブルーライト
アクセス
京成線谷津駅から徒歩5分 駐車場:28台 バラの時期は谷津公園内に臨時駐車場が設置されます。 入園料 300円 11月16日〜4月30日は半額です。
ポリネシアン サンセット
ブルームーン
読売巨人軍発祥の地
シャルル ドゥ ゴール
関連のホームページ 谷津バラ園 風来坊