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ぶどうの郷のワイナリー探訪と秋の寺町散策 (H26.10.9)


勝沼ぶどう郷駅は桜の名所



勝沼ぶどう郷駅は桜の名所



勝沼ぶどう郷駅

JR東日本の「駅からハイキング&ウォーキングイベント」の「ぶどうの郷のワイナリー探訪と秋の寺町散策」に参加しました。

細部説明は「芳醇な果実に彩られた日本ワイン発祥の地・勝沼のワイナリーめぐりと、ぶどう畑に囲まれているという全国でも珍しい景観が作り出されている寺町を散策し、山梨の秋を感じませんか。」となっています。


コースの概要は次のとおりです。

勝沼ぶどう郷駅勝沼観光案内所(受付・スタート)シャトー勝沼祝橋宮光園麻屋葡萄酒萬福寺等々力寺町シャトージュン勝沼観光案内所(ゴール)勝沼駅

歩行距離約10.5Km、歩行時間約3時間10分(施設での見学時間を除く)、所要時間約4時間(施設での見学時間を含む)です。


勝沼ぶどう郷駅観光案内所



勝沼ぶどう郷駅から甲府盆地の展望



甲州市勝沼ぶどうの丘



勝沼ぶどう郷駅〜シャトー勝沼の道

散策日の勝沼は晴天に恵まれ、ぶどう郷のワイナリーでワインを楽しみながら散策できました。また、散策コースには数多くのぶどう園があり、美味しいぶどうを楽しむことができます。

工場見学をしたこともあり、所要時間は4時間45分、18500歩でした。

駅からハイキング終了後、勝沼ぶどう郷駅の近くにある、大日影トンネルを訪ねましたので、本日は28500歩でした。



シャトー勝沼


勝沼ぶどう郷駅前の道路を左折し、道なりに緩い下り坂を20分ほど進んだ左手が「シャトー勝沼」です。

甲州市勝沼町は、日本のワイン醸造発祥の地です。

平成22年(2010年)現在で、日本には約130社のワイン醸造業者がありますが、約80社は山梨県内にあり、さらにそのうちの32社が勝沼町に集中しています。

甲府盆地は周囲の山によって雲の流れが遮られて晴天の日が多く、かつ寒暖の変化が大きいため、ブドウの栽培に適しており、日本最古のブドウ栽培の歴史をもっています。


シャトー勝沼



シャトー勝沼



シャトー勝沼

甲州でのワイン作りは明治時代に始まりましたが、ごく初期は、資金・技術の壁に阻まれ失敗におわっています。

そうした勝沼ワイン黎明期に、シャトー勝沼は「今村葡萄酒本舗」として産声を挙げました。明治10年(1877年)、ブドウ栽培を行っていた創業者・今村與三郎が、ワイン醸造を開始したのです。



シャトー勝沼



シャトー勝沼


現在、シャトー勝沼では、甲州ブドウのほか、ベリーA、ブラッククイーン、巨峰、デラウェアといったブドウを栽培し、ワインやジュースを製造しています。

白ワイン、赤ワイン、ロゼワイン、スパーリングワイン、ノンアルコール・ワインなど幅広い商品を展開しており、年間製造量は720ミリリットル瓶にして約250万本に上るとのことです。

シャトー勝沼では、ワイン製造過程の見学をすることができます。


シャトー勝沼



ぶどう畑を眺めながら



勝沼氏館跡

シャトー勝沼から緩やかな下り坂を600mほど進んで丁字路を右折し、100mほど進んだ「上町交差点」を左折して100mほど進んだ左手が「勝沼氏館跡」です。

勝沼氏館は、武田信玄の父・武田信虎の弟である、武田信友が1520年頃、勝沼の地を知行して勝沼信友と名乗ったのが始まりです。

1530年、勝沼信友の娘・勝沼松葉もこの館で生まれたと考えられています。

しかし、1535年、郡内に侵攻した相模の北条氏綱との山中湖畔に山中の戦いで勝沼信友は討死しました。


その後、家督を嫡子・勝沼信元が継ぎましたが、1560年上杉謙信が関東攻めをした際、秩父の藤田右衛門の策略に信元は乗ってしまい、謀反を企てたという文章が見つかります。

このため、勝沼松葉は嫁ぎ先から離縁され、勝沼信友は武田信玄の部下によって誅殺され、勝沼家は断絶しました。

勝沼氏館跡は、昭和48年(1973年)に県立ワインセンター建設に伴って発見された中世の遺跡です。


勝沼氏館跡



勝沼氏館跡

二重の堀で囲まれた主郭内部には建物跡、水路、水溜などが発見され、戦国時代の武田武将の暮らしぶりが明らかになるなど、中世武士の館の構造を知る上でも国内屈指の貴重な遺跡です。

現在は国指定史跡として保存され、史跡公園として一般に公開されています。



祝橋



祝橋からの展望


「勝沼氏館跡」から100mほど進むと「祝橋」です。

「祝橋」は昭和6年(1931年)に開通したコンクリートアーチ橋です。

大正2年(1913年)に新設された勝沼駅から自動車で葡萄を出荷するために計画されました。


また、ぶどう狩り、ワイン工場見学に訪れる観光客に広く観光の町勝沼のシンボルとして紹介されるようになった近代土木遺産です。


新祝橋



ぶどう畑



ぶどう畑

「祝橋」を渡ったすぐの交差点を右折し、ガソリンスタンド横の細い道に入り、下り坂を100mほど進むと「宮光園」の案内表示があります。

案内表示にしたがって左折し、左右に続く葡萄畑を眺めながら、道幅の狭い農道を道なりに500mほど進むと自動車の通行する道路に出ます。


左折して上り坂を上ったところを右折して、道なりに300mほど進んだ右手が「宮光園」です。



宮光園


宮光園は、宮崎光太郎が創業した葡萄酒醸造所と観光葡萄園の総称です。

明治10年(1877年)に勝沼町下岩崎に設立されたわが国初のワイン醸造会社である大日本山梨葡萄酒会社が、明治19年(1886年)に解散した後、宮崎光太郎は醸造器具等一切を引き継いで、フランスでワイン造りをした土屋龍憲とともに操業を開始しました。

現在は、日本の本格的ワイン醸造のルーツを知ることができる資料館として修復整備されており、ここから発見された貴重な映像資料や写真、当時のワインラベルなどを展示しています。


宮光園



シャトー・メルシャンワイン資料館



シャトー・メルシャンワイン資料館



シャトー・メルシャンワイン資料館

「宮光園」の前に「シャトー・メルシャンワイン資料館」があります。

明治37年(1904年)に建てられた「旧宮崎第2醸造所」で、現存する日本最古の木造ワイン醸造所です。

建物の外観は蔵ですが、内部は西洋式の工法で建てられています。昭和36年(1961年)まで使用され、昭和49年(1974年)に修復し、ワインづくり約110年の歴史と先駆者の業績を記念して資料館としました。


館内には当時使われていたままの水車やワイン作りの道具、機器類が展示されているほか、日本のワイン誕生の物語がパネルで紹介されています。

建物は、山梨県指定有形文化財に指定されています。

日本のワインの夜明けは明治10年(1877年)、大日本山梨葡萄酒会社の創立と高野正誠、土屋龍憲という2人の青年によるフランス伝習に始まります。資料館には、この2人の盟約書や、熱意が伝わる往復記録も展示されています。

また、高野家の蔵から発見された現存する日本最古のワイン2本が、ワイン樽を使ったショーケースに並んでいます。


シャトー・メルシャンワイン資料館



シャトー・メルシャンワイン資料館



シャトー・メルシャンワイン資料館



シャトー・メルシャンワイン資料館

同様に渡仏を希望した宮崎光太郎は、その希望はかなえられなかったものの、創世期のワインの販路拡大に力を尽くしました。

宮崎はのちに大日本山梨葡萄酒会社の業績を受け継ぎ、宮崎醸造所を建て「甲斐産ブドウ酒」をつくります。

その第二醸造所がこの資料館であり、ワインづくりはサンラクオーシャンなどを経てメルシャンに受け継がれています。


したがって、シャトー・メルシャンは、大日本山梨葡萄酒会社をルーツとするワイナリーです。


「シャトー・メルシャンワイン資料館」から50mほど進んだ三叉路を右折し「宮光園」に沿って100mほど進んだ左手が「シャトー・メルシャン」です。

シャトー・メルシャンは、明治10年(1877年)に勝沼の地に日本で最初に誕生した民間のワイン会社「大日本山梨葡萄酒会社」をルーツとするワイナリーです。

シャトー・メルシャンでは、ワイナリースタッフが施設を案内しながら、シャトー・メルシャンのワイン造りへの思いや歴史の説明、ワインのテイスティング等を行なうツアーが実施されていますが、予約が必要であり、今回はパスしました。


展覧葡萄宮光園



盛田甲州ワイナリー



盛田甲州ワイナリー

下り坂を進み「葡萄橋」を渡ると左手前方に「盛田甲州ワイナリー」があります。

尾張国知多郡小鈴谷村(現愛知県常滑市小鈴谷)で江戸時代中期から酒、味噌、醤油の醸造業を営んできた盛田家の11代目久左衛門は、葡萄園を開きワイン製造を目指しました。

しかしながら、当時世界的猛威を振るっていたフィロキセラ(根アブラムシ)に襲われて葡萄園は壊滅的打撃を受け、ワイン造りの夢は果たすことができませんでした。



日川沿いの道


14代目久左衛門の次男和昭は、盛田株式会社を引き継ぐと、11代目が果たせなかったワイン造りに再度挑戦することを決意し、昭和48年(1973年)に葡萄、ワイン造りの本場甲州勝沼にワイナリーを設立し、シャンモリワインと命名しました。

その後順調に発展し、現在に至っています。


日川沿いの葡萄畑



麻屋葡萄酒



麻屋葡萄酒

「盛田甲州ワイナリー」の手前の、「葡萄橋」を渡ってすぐに左折し、日川沿いの舗装されていない道を1kmほど進んで道なりに右折し、300mほど進んだ薪の並んでいる茶色の民家の前を左折して四叉路を左折して200mほど進むと右手が「麻屋葡萄酒」です。



麻屋葡萄酒



麻屋葡萄酒


「麻屋」という屋号の由来は、大正10年(1921年)、創業者である雨宮高造が、当時の丁稚奉公先である酒屋の屋号を暖簾分けして頂いたもので、それが現在の「麻屋葡萄酒株式会社」に至っているとのことです。

勝沼産ぶどうを主原料に最新の技術を導入し、「産地の風土を生かしたワイン造り」に励んでいるとのことです。


麻屋葡萄酒



麻屋葡萄酒



麻屋葡萄酒



麻屋葡萄酒

麻屋葡萄酒では、ワイナリーの案内を行っており、工場内を巡りながら、ワインの製造過程をわかり易く説明してくれるとのことです。

見学後には、ワイナリーで造られたワインを、試飲室で実際にテイスティングできます。



うどん・ほうとう店・皆吉



延命地蔵尊


麻屋葡萄酒から50mほど進んだ「等々力交差点」を左折し、200mほど進むと「うどん・ほうとう店・皆吉」があり、その先に「延命地蔵尊」があります。

「うどん・ほうとう店・皆吉」は築130年のケヤキづくりの民家がお店になっており、庭園も素晴らしいものがあります。

「延命地蔵尊」の手前を右折し、すぐの四叉路を右折して400mほど進んだ正面が「萬福寺」です。


この先を右折 右はうどん・ほうとう店・皆吉



萬福寺



萬福寺

萬福寺から東方向が「等々力寺町」です。

旧甲州街道の北側に位置し、葡萄畑の合間を縫って山門が並び、約300mの間に9つもの浄土真宗の寺が並ぶ、甲斐の中でも独特な風情をもつ街並みです。

情緒あふれる石畳の寺町小路があります。



等々力寺町



等々力寺町


天保3年(1648年)、浄土真宗の古刹万福寺の山門と総門の間の参道両側に居並んでいた頭塔十二坊の内、九坊が浄土真宗東西分派の影響を受けて大谷派に転じ、独立して東の等々力原に移転、「坊主寺町」と呼ばれたのが寺町の始まりとのことです。

移転当初は、寺町小路の南側に東から仙光寺、円成寺、光源寺、賢正寺、浄蓮寺、西教寺、慶専寺、報恩寺、専立寺の順で居並んでいましたが、寛延2年(1749年)2月、寺町より上がった火の手が東風にあおられ、綿塚境まで焼き尽くす寛延等々力大火が起こり、以後浄蓮寺が甲州街道側に、慶専寺と専立寺が道の北に移転再興され現在の寺町の姿が生まれました。


等々力寺町



諏訪神社



諏訪神社

寺町小道を抜けると左手に諏訪神社があります。

諏訪神社の祭神は建御名方命です。

寛政5年(1793年)の建築で、本殿は精緻な彫刻でさまざまな題材が意匠化され、建物の構造とともに江戸時代後期の特色がみられる神社です。

境内には、甲州街道三本杉の大杉の切り株もあります。


諏訪神社から道なりに50mほど進むと旧甲州街道です。左折して甲州街道に沿って200mほど進んだ左手が「勝沼グレパーク」で、さらに200mほど進んだ「鹿沼地域総合局入口」交差点の右手前の、観光ぶどう園の中央園には「日本最古の甲州ぶどうの木・甲龍」があります。

植えられた時期は、はっきりとしませんが、大正時代だといわれています。一般にぶどうの木は10年ほどで植え替えますので、かなり丈夫な木です。現在も毎年200キロ以上収穫することができるそうです。

「甲龍」の枝も、ほかのぶどうの木と同様に剪定しますが、この枝にも所有権があって、勝手に持っていくのはダメだそうです。剪定した枝は、接ぎ木で、いろいろな場所で栽培されているとのことです。


旧甲州街道



日本最古の甲州ぶどうの木・甲龍



3階建ての土蔵



旧田中銀行



旧甲州街道沿いの建物

「鹿沼地域総合局入口」交差点から400mほど進むと珍しい3階建ての土蔵と旧田中銀行の建物が建っています。

階建の土蔵は明治20年(1887年)の大火の後に建てられた地上3階、地下1階の土蔵でその先に在る旧田中銀行の建物は明治30年代に勝沼郵便電信局舎として建てられたものを大正9年(1920年)に山梨田中銀行が買い取った建物です。 

旧田中銀行から100mほど進んだ左手が「古寿園」です。



古寿園


古寿園は明治時代からぶどうの栽培を始め、100年以上の歴史があります。

昭和40年代に、会社勤めをしていた古屋寿雄が就農し、観光としてのぶどう狩りを確立すべく、食べ放題やもぎ取りなどのプランを提案します。

昭和50年代に、古屋寿雄が4代目園主となり本格的に旅行会社やバス会社と提携を結び団体ツアー等の事業に着手します。また、「ぶどう棚の下でお食事を・・・」という考えのもと当時では珍しい食事を導入し、バーベキューも始める。

1990年代に、駐車スペースの拡張や畑の規模拡大に伴いぶどう品種を増やすなど現在の古寿園の基礎が確立されます。


古寿園



小佐手小路



小佐手小路



小佐手小路のぶどう園



シャトージュン



シャトージュン


「小佐手小路」から「勝沼ぶどう郷駅方面」の案内板にしたがって1kmほど進んだ丁字路を右折し100mほど進んだ左手にあるのが「シャトージュン」です。

「シャトージュン」は、シャングループ直営の、白壁とオレンジ屋根のプティワイナリーです。

山梨産ぶどうを中心に、丁寧なワイン造りを心掛けているとのことです。


シャトージュン



勝沼ぶどう郷駅の桜並木



勝沼駅前公園

「シャトージュン」から「勝沼ぶどう郷駅方面」の案内板にしたがって15分ほど進むと「勝沼ぶどう郷駅」です。

「勝沼ぶどう郷駅」から南側にある勝沼駅前公園を抜けて200mほど進むと「大日影トンネル」です。



大日影トンネル



大日影トンネル



大日影トンネル


明治の鉄道遺産「大日影トンネル」は、明治38年(1905年)に開通し、その後のぶどうやワインの輸送に大きな影響を与え、周辺地域の発展に大いに寄与しました。

平成9年(1997年)にその役目を終え、当時の線路や水路をそのままに遊歩道として整備されました。


関連のホームページ

 甲州市観光協会


       風来坊


大日影トンネル


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