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自然と歴史の街『五日市』を歩く (H26.9.14)


JR武蔵五日市駅



五日市観光案内所

JR東日本の「駅からハイキング&ウォーキングイベント」の「〜秋の風を感じて・・・自然と歴史の街『五日市』を歩く〜東京・秋川渓谷」に参加しました。

細部説明は「日本のナイチンゲール『荻原タケ』女史ゆかりの地である五日市の街並みや伊達政宗公が所望したとされる白萩が美しい大悲願寺など、雄大な自然と深い歴史に包まれた秋川渓谷。秋の風を感じながら楽しいハイキングをしてみませんか?」です。


コースの概要は次のとおりです。

武蔵五日市駅五日市観光案内所(受付・スタート)五日市の市神様(五日市ひろば)五日市郷土館阿伎留神社あゆみ橋秋川橋河川公園大悲願寺正一位岩走神社伊奈の市神様山田堰天神社(山田の天神さま)近藤醸造武蔵引田駅(ゴール)


ボランティアガイドによる観光案内



檜原街道 百日紅が街路樹です



バーベキューに向かう人たち

歩行距離約8Km、歩行時間約3時間(施設での見学時間を除く)、所要時間約4時間(施設での見学時間を含む)でした。

登り下りの多いコースでしたが、見学した施設が五日市郷土館のみだったこともあり、所要時間3時間、約14,000歩でした。



バーベキュー会場は下方の橋の右手


武蔵五日市駅に到着すると、日曜日ということもあり、駅前のバス乗り場はハイキングに出かける人で長い行列ができていました。

やはりこの時期奥多摩は大人気のようです。

駅前の五日市観光案内所で受付を済ませ、駅前の信号を右折して檜原街道を西方向に向かって進みます。

この道は、今年5月にネットの友人に案内していただいて散策した道路で、懐かしい光景を眺めながらのスタートとなりました。


檜原街道



五日市広場



五日市広場

五日市市街の檜原街道では、五日市駅前から子生神社辺りまでの約2Kmにわたって、街路樹として百日紅が植えられています。百日紅の街路樹は珍しいですが、7月下旬から9月中旬にかけて、ピンク、紅色や白い花で彩られ、まるで花笠のように、真夏の街を飾るとのことです。

また、8月1日から9月14日までは「百日紅まつり」として、ライトアップも行われるとのことです。

時期的にはやや遅い感じでしたが、色とりどりの百日紅を楽しむことができました。


百日紅を眺めながら300mほど進んだ左手が五日市広場で、この広場に「五日市の市神様」が祀られており、傍に由来が書かれていました。

五日市の市のはじまりは定かではありませんが、中世末の文書に「五日市」の文字が見られ、この頃には近隣地域の物資交流の場として市が開かれていたと考えられます。江戸時代になると、大消費地江戸の広域商業圏に取り込まれ、炭の市として栄えました。当初は五の日の三斎市(月に3回の市)であったものが、十の日を加えて六斎市になったと考えられています。


五日市の市神様



檜原街道

この市神様は、自然石をそのまま用いたもので、かつては五日市の市の中心に祀られ、市の発展を見守っていました。
都道の拡幅に伴い阿伎留神社の境内に移されていましたが、五日市ひろばの整備に際し、五日市商店街の振興と地域経済の発展を願ってこの地に安置されました。

      平成16年3月26日設置



檜原街道沿いの光景


五日市広場から檜原街道を西方向に700mほど進んだ「五日市警察署前」の交差点を右折して道なり進んだ右手が「五日市郷土館」です。

「五日市郷土館」には、五日市地域の里のくらし、川のくらし等の様子が展示されています。また、市内には、古生代から新生代の地層があり、これらから発見された化石も数多く展示されています。

特に2000万年前から1500万年前に生息していた海獣「パレオパラドキシア」の上顎骨(レプリカを展示)は、ほぼ完全な形で出土しており、世界的にも貴重なものとのことです。


五日市郷土館



檜原街道からの展望



阿伎留神社

「五日市郷土館」から檜原街道に戻り、五日市駅方向に300mほど戻った「五日市出張所入口」の交差点を右折して、細い路地を300mほど進んだ右手が「阿伎留(あきる)神社」です。

「阿伎留神社」は、平安時代に書かれた「延喜式神名帳」という神社の名簿の中に、武蔵国多磨郡八座の筆頭にあげられるほどの有名な古社です。


平将門の乱を平定するため天慶三年勅命を受けた田原藤太は、平将門を征討することとなり、戦勝祈願にこの阿伎留神社を訪れており、この後も歴代の武将の崇敬も篤く、源頼朝・足利尊氏・北条氏康・徳川家康等の寄進状が残っているという由緒ある神社です。

毎年9月28日〜30日に例大祭が行われ、百貫(600kg)を超える珍しい六角神輿が先頭となり中神輿が続き、さらに各町内神輿が街を練り歩きます。


秋川沿いの遊歩道



秋川



秋川沿いの遊歩道

「阿伎留神社」から東方向に100mほど進んだ四叉路を右折し、細い道を道なりに進み坂を下ると「秋川」河岸に出ることができます。

左折して砂利敷の遊歩道を秋川に沿って進みます。

この遊歩道も昨年秋にネットの友人に案内していただいた散策路で、光景を懐かしみながら歩きました。


下流に向かって700mほど進むと「あゆみ橋」で、橋の下流が「秋川橋河川公園」です。

「秋川橋河川公園」は、河川敷がバーベキューエリアとレンタルテントエリアに分かれています。

「あゆみ橋」から眺めると、テントが整然と並んでいるなあ〜と思いましたが、レンタルテントエリアでした。


あゆみ橋



あゆみ橋



秋川橋河川公園



秋川橋

バーベキューエリアでは、広々とした河川敷でバーベキューをセルフサービスで楽しむことができます。

環境保護の観点から河川での道具類の洗浄を防止するため、道具類はすべてレンタル品の利用で、洗わずに返却する方式がとられています。

このため、持ち込みできるのは食材のみとなっています。

この日は晴天の日曜日ということもあり、河川敷では多くの方がバーベキューや川遊びを楽しんでいました。



秋川橋河川公園


「秋川橋河川公園」から「秋川橋」をわたり、その先の階段を登ると檜原街道に戻ります。

右折して100mほど進むと「武蔵五日市駅」です。

駅前の交差点を右折すると五日市街道です。


檜原街道に戻る階段



五日市街道 街路樹は百日紅ではありません



五日市線

五日市街道を500mほど進んだ「五日市橋」の交差点を左折し、300mほど進んだ信号のある交差点を左折して、急な坂道を登り、五日市線の踏切を横切って100mほど進むと「大悲願寺」です。



大悲願寺



大悲願寺


「大悲願寺」は、源平合戦で名を馳せた日野の武将平山季重が源頼朝の命により建久2年(1191年)に建立した由緒のある、真言宗豊山派の寺院です。

仙台藩主伊達政宗が訪れた際見た「萩の花」のあまりの美しさに帰仙後、飛脚を送り所望状を送ったと言われるほどの美しい白萩が9月〜10月にかけて咲きます。

「大悲願寺」は白萩の名所として知られていますが、残念ながら咲き始めの状況でした。


楼門の天井絵



大悲願寺



大悲願寺



大悲願寺の白萩

国の重要文化財「木造伝阿弥陀如来三尊像」が所蔵されているほか、大悲願寺本堂、大般若経写本、文書などが東京都指定の有形文化財になっています。

また、安政6年(1859年)に再建された楼門には、見事な天井絵が描かれています。



正一位岩走神社



正一位岩走神社例大祭


「大悲願寺」の楼門から前方に進み、五日市線を横切って50mほど進むと長い石段があります。石段を降りて左折し、道なりに200mほど進んだ左手が「正一位岩走神社」です。

「正一位岩走神社」は平安時代末期の創立とされ、祭神に稚日女尊 (ワカヒルメノミコト)、手力男命(タヂカラオノミコト) 、棚機姫命 (タナバタヒメノミコト)が祀られています。

社号の「岩走」は、秋川の激しく流れ落ちる滝の様子からとったとされています。

また、寛政6年(1794年)に光格天皇によって「正一位」の神階を勅許され、正一位岩走神社と称したとされています。


正一位岩走神社例大祭



正一位岩走神社例大祭

昔ながらの神事を継承する由緒ある例大祭は、350年あまりの歴史のあるお祭りで、鉾、獅子頭、まわり太鼓、神社神輿1基、町内神輿大人7基、子ども神輿6基、山車2台が勇壮に巡行し、宮出しと宮入りがみどころとのことです。

今年の例大祭は9月13日、14日とのことで、例大祭の様子を一部見ることができました。



伊奈の街並みの飾り付け


「正一位岩走神社」から200mほど進むと、「新秋川橋東」の交差点で、武蔵五日市駅前からの五日市街道に合流します。

左折して五日市街道に入ると伊奈の街並みが続いており、街路には例大祭の飾り付けが行われていました。

伊奈の街並みを100mほど進んだ右手に「伊奈の市神様」があり、次の案内が掲示されていました。


伊奈の市神様



伊奈の街並みの飾り付け

伊奈村は、中世から近世初期にかけて、秋川谷を代表する集落でした。伊奈村に市が開かれたのは中世の末といわれています。農具や衣類、木炭などをはじめ、この地域で生産された石(伊奈石)で作られた臼なども取引されたと考えられ、伊奈の市は大いに賑わったといわれています。

江戸時代になって江戸城の本格的な建築が始まると、この石の採掘に携わった行員たちが動員されたと考えられ、村と江戸とを結ぶ道は「伊奈みち」と呼ばれるようになりました。

やがて江戸の町が整い、一大消費地として姿を現すと、木炭の需要が急に高まりました。


すると、木炭の生産地である養沢、戸倉などの山方の村々に近い五日市村の市に、伊奈村の市は次第に押されるようになりました。さらに、月3回の伊奈市の前日に五日市村で市が開かれるようになると、ますます大きな打撃を受け、伊奈村の人々はこの市の開催日をめぐってしばしば訴えを起こしました。

この祠は伊奈村の市の守り神である「市神様」と伝えられています。地元の伊奈石で作られ、側面には寛文2年(1662年)の年号が刻まれています。伊奈の移り変わりを見つめてきたこの「市神様」は、地域の人々により今も大切に祀られています。


伊奈の街並みの飾り付け



山田大橋 左の側道を進む

「伊奈の市神様」から五日市街道を500mほど進んだ「山田」交差点を右折し、300mほど進むと山田大橋で、橋の手前の左側の側道を進むと秋川の河岸に出ます。

山田大橋の少し下流に「山田堰」があります。

秋川はマス・ヤマメ釣りで人気のようですが、山田堰の上流と下流で解禁時期が異なるようです。秋川上流でマス・ヤマメ釣りが解禁といえば、山田堰から上流で解禁ということのようです。



山田堰



魚釣り場


秋川沿いに200mほど下流に進むと左手に魚釣り場があります。魚釣り場の先を左折し、つづら折れの坂道を登り、道なりに進むと丁字路となり正面が「無双運送」です、丁字路を右折して、100mほど進んだ変則四叉路を左折すると50mほど進むと左手が「天神社(山田の天神さま)」です。

菅原道真を祀っております。

早春には鳥居に沿うように三色の梅が咲くとのことです。


秋を見つけました



天神社

「天神社」の裏手に出ると、「下山田」の交差点で五日市街道に戻ります。

右折して五日市街道に沿って100mほど進んだ左手が「近藤醸造」です。


代々伝わる技と手造りの良さを生かし、心を込めて醤油を作る、都内でも希少な醤油醸造所です。

自然と人が織りなす風土によって生まれる丸大豆醤油は独特のコクと優雅な香りを持つ日本の味です。

近藤醸造



五日市街道



武蔵引田駅

近藤醸造から五日市街道に沿って400mほど進んだ「原店」の左折し、道なりに500mほど進むと、JR五日市線の「武蔵引田駅(ゴール)」です。

東京サマーランドのアナベルの雪山を見た帰りに、利用する駅です。

今回は初めての五日市散策でしたが、ここ1年以内に訪ねたことのある場所があちこちにあり、その時のことを思い出しながら、楽しく散策することができました。


              風来坊


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