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巣鴨から池袋へおとな散歩 (H26.11.10)


眞性寺と江戸六地蔵



巣鴨駅

JR東日本の「駅からハイキング&ウォーキングイベント」の「巣鴨から池袋へおとなの散歩~期間中、すがも中山道菊まつり開催中~」に参加しました。

細部説明は「人情味あふれる下町から歴史散策へ出かけませんか。期間中、すがも中山道菊まつりが開催されます」です。


コースの概要は次のとおりです。

JR巣鴨駅(受付)眞性寺(江戸六地蔵尊)高岩寺(とげぬき地蔵尊)巣鴨庚申塚鴨台さざえ堂造幣東京博物館豊島区立郷土資料館立教学院展示館旧江戸川乱歩邸池袋駅西口(ゴール)


江戸六地蔵



眞性寺と江戸六地蔵

歩行距離約8km

歩行時間約2時間(施設での見学時間を除く)

所要時間約3時間(施設での見学時間を含む)

所要時間は、立教大学で学食を楽しみましたが、豊島区郷土資料館及び旧江戸川乱歩邸が休館日だったこともあり、所要時間3時間 約12,000歩でした。



すがも中山道菊まつり



すがも中山道菊まつり


JR巣鴨駅で受付を済ませて出発準備をしていると、受付にネットの友人が!

お互いにびっくりしましたが、同じ日に駅からハイキングに参加することになりました。

ということで、いつもは一人旅ですが、今回はネットの友人と2人で廻ることができました。

JR巣鴨駅を出て右折し、白山通りに沿って北西方向に300mほど進んだ左手が「眞性寺」です。


すがも中山道菊まつり



すがも中山道菊まつり

「眞性寺」は、真言宗豊山派に属しており、奈良県の桜井市初瀬の総本山長谷寺の末寺です。

開基は不明分ですが、聖武天皇(在位724年~749年)勅願で、行基菩薩が開いたと伝えられています。

境内の左手に、高さ2m68cm、蓮花台を含めると3m45cmの大きなお地蔵様が鎮座しています。

江戸の六街道の出入口に置かれ、旅の安全を見守る「江戸六地蔵尊」の一つで、中山道を見守っています。

眞性寺の地蔵尊は4番目に造られ、完成したのは正徳4年(1714年)です。


すがも中山道菊まつり


眞性寺を出て左手に進むと「巣鴨地蔵通り商店街」です。

「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通りは、旧中山道であり、江戸の中期から現在にいたるまで、商業や信仰の場として栄えてきました。

巣鴨地蔵通りは江戸時代、中山道の出発地点日本橋から出発して最初の休憩所、江戸六地蔵尊の眞性寺から巣鴨庚申塚の間に点在し、町並みが作られました。


巣鴨地蔵通商店街



高岩寺(とげぬき地蔵)



高岩寺(とげぬき地蔵)

そして、明治24年(1891年)には、とげぬき地蔵尊の高岩寺が上野から巣鴨へ移転し、現在の巣鴨地蔵通りは「とげぬき地蔵尊」と「江戸六地蔵尊」の2つのお地蔵様と巣鴨庚申塚に守られて、商業の街・信仰の街としてお年寄りを中心に若い方々にも親しまれています。

巣鴨地蔵通りは全長780mあり、約200店舗が建ち並んでいます。

眞性寺から巣鴨地蔵通りを200mほど進んだ右手が「高岩寺」です。
曹洞宗萬頂山高岩寺は「とげぬき地蔵尊」の名前で親しまれています。

慶長元年(1596年)に江戸湯島で開かれ、約60年後に下谷屏風坂に移り、巣鴨には明治24年(1891年)に移転してきました。


「とげぬき地蔵」として親しまれている本尊は、享保13年(1728年)に奉納された霊印に現れた小さな延命地蔵菩薩の像です。

高岩寺の地蔵菩薩は秘仏ですので残念ながら拝見することはできませんが、そのお姿を元に作られた御影に祈願してもご利益があるとされています。

とげぬき地蔵尊御影は、縦4センチ横15センチの和紙の中央に尊像が描かれています。

痛いところに張ったり、喉に骨が刺さった時に飲んだりすると治るといわれ、高岩寺本堂で授与しています。



巣鴨地蔵通商店街

「高岩寺」の境内に「洗い観音」があります。

江戸時代最大の火事であった1657年の「明暦の大火」で、当寺の檀徒の一人「屋根屋喜平次」は妻をなくし、その供養のため、聖観世音菩薩を高岩寺に寄進しました。 

この聖観世音菩薩像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰がいつしか生まれました。

これが「洗い観音」の起源です。


その後、永年に渡ってタワシで洗っていた聖観世音菩薩は、顔などもしだいにすりへってきたので、平成4年11月27日に、この仏像にご隠退をいただき、あたらしい聖観世音菩薩の開眼式を執行しました。

新しい仏像の製作者は彫刻家の八柳尚樹氏、寄進者は仲堀義江氏です。

同時にタワシを廃止し布で洗うことになりました。


巣鴨庚申塚



猿田彦大神



庚申堂

「高岩寺」から「巣鴨地蔵通り商店街」を600mほど進むと「庚申塚」の信号があり、その右手前が「巣鴨庚申塚」です。

「巣鴨庚申塚」は江戸時代中山道の立場(休憩所)として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。江戸名所図会ではそれらの様子がにぎやかに描かれています。



江戸名所図会


庚申堂の中に、明暦3年(1657年)と刻まれた庚申塔と猿田彦大神を合祀しています。

猿田彦大神とは日本神話に登場する神様です。

天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり道祖神と同一視されました。

60日ごとの庚申の日に例祭が行われています。


猿の塚



すがも鴨台観音堂



すがも鴨台観音堂

「巣鴨庚申塚」から庚申塚通りを300mほど進んだ右手に「すがも鴨台観音堂」があります。

大正大学の構内に平成25年5月18日に完成した「すがも鴨台観音堂」は、八角・三匝(さんそう)の階堂で、堂内の回廊は往路と復路が交わることのない二重螺旋構造になっています。

その構造を巻き貝のサザエ(栄螺)に例えて「鴨台さざえ堂」とも呼ばれています。


1階に不動明王の従者である制吒迦童子(せいたかどうじ)を祀り、頂上階にご本尊である聖観自在菩薩(しょうかんじざいぼさつ)―鴨台観音を安置しています。

観音堂の螺旋構造は、仏さまの眉間にある白い毛=白毫(びゃくごう)の象徴です。仏さまは白毫から智慧と慈悲による救いの光明を放つことから、これを大正大学の建学の理念である「智慧と慈悲の実践」に重ねて具象化したものとのことです。


すがも鴨台観音堂の菊まつり



上池袋交差点 ここを左折です



空蝉橋への登り道 桜の名所です

「鴨台さざえ堂」から50mほど進んだ「掘割」交差点を左折し、明治通りに沿って500mほど進んだ「上池袋」の交差点を左折して500mほど進むと「空蝉坂下」の交差点です。

「空蝉坂下」の交差点を右折して300mほど進むと「空蝉橋」です。

「空蝉橋」はJR山手線の上に架かる橋ですが、東京スカイツリーを見ることのできるスポットです。



空蝉橋からの展望 下は大塚駅



大塚バラロード


「空蝉橋」を渡って左折し、200mほど進んだJR大塚駅南口でUターンして、都電荒川線に沿って進むと「大塚バラロード」です。

「大塚バラロード」は、都電荒川線大塚駅から向原駅までの軌道沿いの緑地帯に続くバラの散歩道です。

国内外の約500種、710株のバラが植えられています。

少し見頃を過ぎていましたが、秋バラを楽しむことができました。


大塚バラロード



造幣東京博物館



造幣東京博物館



桜の通り抜け記念硬貨

「向原」の交差点を右折し、50mほど進んだ左手の路地を300mほど進んだ右手が「造幣東京博物館」です。

「造幣東京博物館」は、硬貨や勲章・褒章などを製造する造幣局の東京支局です。

造幣局は大阪にあり、桜の通り抜けで有名です。



PROOF COIN SET



PROOF COIN SET


工場見学には2ヶ月前までに申し込みが必要ですが、博物館見学は予約不要です。

受付で入館手続きをすればOKです。

金本位制最後の金貨幣である20円金貨など、貴重な資料を見学することができます。

また、勲章以外は撮影可能です。

土・日・祝日は休館日です。


PROOF COIN SET



各県の記念コイン

「造幣東京博物館」から右手に50mほど進んで右折し、造幣局の敷地に沿って200mほど進んだ最初の信号を左折して200mほど進むと「日出町第二公園」の交差点で、左右に高速道路が走っています。

交差点を渡ってから右折し200mほど進むんだ「東池袋」交差点で高速道路は右方向に曲がります。高速道路と別れてさらに300mほど進んだ「東口五差路」交差点を左折し、300mほど進むと「南池袋1丁目」の交差点です。

この付近は池袋東口の繁華街を散策することになります。


「南池袋1丁目」の右折し、地下道でJR山手線を横切って300mほど進むと「池袋警察署前」交差点です。

「池袋警察署前」の交差点を左折して50mほど進んだ左手が「勤労福祉会館」で、その7階に「豊島区立郷土資料館」があります。

「豊島区郷土資料館」には、豊島区に関連する郷土資料を展示していますが、今回は休館日でパスしました。


池袋の高層ビル



立教大学



立教大学

立教大学は、日本聖公会系のキリスト教主義学校(ミッションスクール)です。

米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が、明治7年(1874年)に聖書と英学の教育を目的として、築地の外国人居留地に設立した立教学校が母体です。

関東大震災で築地の校舎を焼失しましたが、大正7年(1918年)に校地を現在地に移し、現在に至っています。

このため、日本聖公会で洗礼を受けた信徒たちは、立教大学において学びたいと動機づけられ、実際に彼らが立大生になることが少なくないようです。



立教学院展示館


立教学院展示館は、立教学院創設140周年を記念し、平成26年5月9日、正門の左にある赤レンガの旧図書館2階フロアを改装してオープンしました。

創設者・ウィリアムズ卿の事績を語るコーナーから21世紀の立教学院の現況に及ぶ140年の歩みを展示しています。

貴重な資料群や入念なレプリカを配列し、電子機器も用い、昔のキャンパス風景や部活の様子を手に取るように見学することができます。


立教学院展示館



立教大学学生食堂

立教大学の正門の少し先を右折して100mほど進んだ左手が「旧江戸川乱歩邸(江戸川乱歩記念大衆文化研究センター)」です。

江戸川乱歩は昭和9年(1934年)、立教大学に隣接する住宅に移り住み、70歳で死去するまで、31年間ここに住み続けました。

この地に転居して2年後に、大ヒット作「怪人二十面相」が誕生。やがて、明智探偵と小林少年が活躍する「少年探偵団」が連載されるようになりました。


2階建ての書庫兼書斎の土蔵は「幻影城」と呼ばれ、2万点近くの資料、蔵書を保管し、壁は江戸文学などの本で埋め尽くされていました。

江戸川乱歩死去後、住宅はそのままになっていましたが、2002年に立教大学が、この土蔵・住宅と蔵書、資料を購入し、内容の研究を進めると同時に、土蔵を乱歩が住んでいた当時の姿に近づけるための修復も実施しました。

現在は水曜日と金曜日に一般公開されています。


江戸川乱歩邸への案内版



旧江戸川乱歩邸

今回は残念ながら休館日でした。

「旧江戸川乱歩邸」から路地を道なりに100mほど進むと「西池袋5丁目」の交差点です。

「西池袋5丁目」の交差点を右折し、500mほど進むと池袋駅西口(ゴール)です。



           風来坊


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