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妙法寺のサギソウ
妙法寺は日蓮宗の寺院で、寛文4年(1664年)の創建と伝えられています。 その頃宇奈根に常光寺(1585年頃開山されたといわれる)というお寺があり、その隣村であったこの地域の人々が、常光寺に頼みこの寺をつくってもらったといわれています。 通称、おおくら大仏妙法寺といい、正式名は東光山妙法寺です。
妙法寺の法華門は、江戸初期、目黒碑文谷法華寺の庫裡の門として1615年以前から建てられていました。 法華寺は、江戸初期、日蓮宗総本山身延山久遠寺のふれ頭として江戸10指に数えられる大寺でしたが、元禄12年(1699年)不受不施派弾圧の為、幕府の命により日蓮宗から天台宗に改宗させられ、現円融寺となりました。 その後幾度かの経緯を経て、昭和61年(1986年)に、妙法寺の門として復元再建したものです。
妙法寺の墓所に、平成6年(1994年)秋に完成した、高さ8m、重さ8トンの「おおくら大仏」があります。 この大仏は、光背に四菩薩をはいした久遠実成の本佛お釈迦様を現しています。久遠実成の本佛とは、法華経の一番有り難い佛さまで、佛の命が過去から現在、未来へと永遠に続くことを表し、その佛さまを拝む人類の生命、そして地球上のすべての生きとし生けるものの命が永遠であることを説いたお釈迦様の姿です。
台座から一回転できるようになっており、朝9時から夕方5時までは、本堂の方向を向いた南向きになっています。 夕方5時から翌朝9時までは世田谷通りの方向を向いていて、交通安全や世界平和を祈念しています。 妙法寺の北側は切り立った崖になっているため、大仏は世田谷通りから綺麗に見ることができるとのことです。
この妙法寺に、世田谷区の花に指定されているサギソウが展示されています。 妙法寺ご夫妻が植え付けと植え替えをおこなって育てたサギソウを地域の方々の協力によって、境内に展示しているものです。 ネットの友人の紹介で、今年初めて訪ねました。 台風11号来襲の関連で、訪問時期が遅れ見頃を少し過ぎていましたが、それでも見事に咲き誇るサギソウを楽しむことができました。
サギソウは北海道、青森を除く日本各地の湿地に自生する野生ランです。 小さな球根から4月下旬頃に地上に芽を出し、7月中旬頃に伸びた茎の先に白鷺が飛んでいるような形の純白の花を数輪咲かせます。その間地中では、3本程の地下茎が伸び、その先端に次世代の球根が作られています。
そして。今年花を咲かせた株と球根は、秋にはすべて枯れ、新しい球根が来年花を咲かせます。 サギソウは世田谷区内の水辺にも自生していたといわれ、サギソウ伝説も残っていますが、現在、世田谷区に自生地はないとのことです。 世田谷区では昭和43年に区民の公募によってサギソウを「区の花」に制定しました。
サギソウ伝説 今から400年以上も昔、世田谷城主・吉良頼康には奥沢城主・大平出羽守の娘で常盤という美しい側室がいました。 常盤姫は頼康の愛を一身に集めていましたが、それをねたましく思った側妾たちは、つくり話によって頼康につげ口をしました。度重なるつげ口から頼康もそれを本気にして常盤姫に冷たくあたるようになりました。 愛情を疑われ、悲しみにくれた姫は死を決意し、幼い頃からかわいがっていた白さぎの足に遺書を結びつけ自分の育った奥沢城へ向けて放しました。
白さぎは奥沢城の近くで狩をしていた頼康の目にとまり、矢で射落とされてしまいました。白さぎの足に結んであった遺書を見て初めて常盤姫の無実を知りいそい で世田谷城に帰りましたが、すでに姫は息をひきとっていました。 その時、白さぎの血のあとから、一本の草が生え、サギに似た白いかれんな花を 咲かせました。これがサギソウと呼ばれるようになったのです。
妙法寺はシダレザクラでも有名です。 妙法寺のシダレザクラは樹齢約70年で、360度の角度から見ることができるようになっています。 見事な景色を座敷から眺めることができるようになっており、また夜9時まで座敷が開放されてライトアップされた桜を室内からも観賞することができます。
おおくら大仏
妙法寺法華門
関連のホームページ 妙法寺 アクセス 小田急成城学園駅から徒歩15分 風来坊