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家族で楽しもう 晩秋の明治神宮外苑周辺散策 (H25.11.30)


信濃町煉瓦館



信濃町煉瓦館

JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「家族で楽しもう 晩秋の明治神宮外苑周辺散策」に参加しました。

副題は「消防博物館・聖徳記念絵画館とスポーツ施設群。展示品、所蔵品で見る歴史と文化、いちょう並木の美しさ」です。

細部説明は「重要文化財に指定された重厚な建造物「聖徳記念絵画館」と展示でたどる江戸・明治の歴史。明治神宮野球場の外野グランドで、東京ヤクルトスワローズマスコット「つば九郎」「つばみ」と記念撮影はいかがですか。」となっています。


コースの概要は次のとおりです。

JR信濃町駅(受付)→民音音楽博物館→於岩稲荷・陽運寺→消防博物館→玉川上水・四谷大木戸跡多武峯内藤神社秩父宮記念スポーツ博物館明治神宮野球場秩父宮ラグビー場東京ミッドタウン明治神宮外苑いちょう並木聖徳記念絵画館JR信濃町駅(ゴール)



民音音楽博物館



外苑東通り

コースの歩行距離は約10.6km、歩行時間約2時間40分(施設での見学時間等を除く)、所要時間約3時間40分(施設での見学時間を含む)です。

東京ミッドタウンで1時間ほど散策したこともあり、所要時間4時間15分、約17,500歩でした。


JR信濃町駅で受付を済ませ、慶應義塾大学病院を左手に見て、外苑東通りを北方向に200mほど進むと左手が「民音音楽博物館」です。

「民音音楽博物館」は、西洋の音楽芸術を中心とした音楽専門博物館です。楽器、音楽図書、楽譜、録音、映像資料の収集、保存をするとともに、企画展を開催しています。

民音文化センターの2階が展示室になっており、古典ピアノ室、企画展示室、オルゴール展示室、楽器展示室があります。
「民族音楽博物館」では、1793年製作の「シュトローム」を始め、その時代を象徴する古典ピアノの逸品が収集され、古典ピアノ室で公開されています。
オルゴール室では、様々なオルゴールの音色を聞くことができます。また、係員による古典ピアノの演奏を聴くこともできます。

10時開館ということで、到着が少し早すぎました。



陽運寺


「民音音楽博物館」から300mほど進んだ、2つ目の「左門町」の信号を右折し、50mほど進んだ最初の路地を左折して100mほど進んだところが、「田宮稲荷神社跡と陽運寺」です。

「田宮稲荷神社」は、於岩稲荷と呼ばれ四谷左門町の御先手組同心田宮家の邸内にあった社です。初代田宮又左衛門の娘お岩(寛永13年没)が信仰し、養子伊左衛門とともに家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」として次第に人々の信仰を集めたようです。

鶴屋南北の戯曲「東海道四谷怪談」が文政8年(1825年)に初演されると更に信仰を集めるようになります。


陽運寺



陽運寺

戯曲は実在の人物からは200年後の作品で、お岩夫妻も怪談話とは大きく異なり円満でした。

稲荷社は明治12年(1879年)に火事で焼失し、その際初代市川左団次の勧めで中央区新川に移転しました。

しかし、その後も田宮家の住居として管理されており、昭和6年に「田宮稲荷神社跡」に指定されました。戦後、昭和27年(1952年)に四谷の旧地にも神社を再建し現在に至っています。


「田宮稲荷神社跡」と道路をはさんで向かいにあるのが「陽運寺」です。

ここにもお岩さんが祀られています。

境内にあるお清めの井戸はお岩さんも使っていたと伝えられています。

「陽運寺」は、悪縁を切り、良縁を招く縁結びのご利益でも知られています。


田宮稲荷神社



消防博物館



消防博物館

「陽運寺」から外苑東通りを北方向に400mほど進むと「四谷3丁目」の交差点です。

交差点を渡った左手が「消防博物館」です。

「消防博物館」は、消防の歴史と活動を展示している博物館です。
平成4年の開館で、四谷消防車と併設されています。

マスコットキャラクターは「ファイアーくん」です。


展示室は地下1階から7階まで(2階を除く)あり、「消防自動車の変遷ゾーン」「現代の消防ゾーン」「消防の変遷ゾーン」「江戸の火消しゾーン」「企画展示室」「映写室」「図書資料室」などに区分して展示されています。

また、10階の「展望休憩室」からは、新宿副都心や六本木ヒルズをはじめ、晴れた日には富士山を展望することができます。

「休憩展望室」では飲食が可能で、食事の販売は行っていませんが、持ち込みOKです。
観覧料は無料です。


消防博物館



玉川上水・内藤新宿分水散歩道



玉川上水・内藤新宿分水散歩道

「四谷3丁目」交差点から新宿通りに沿って300mほど進むと「四谷4丁目」交差点です。さらに、100mほど進んだ「新宿1丁目」の交差点を左折して100mほど進むと「新宿御苑大木戸門」です。

大木戸門の手前を右折すると、新宿御苑に沿って遊歩道があります。

かつての玉川上水に沿って整備された「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」です。


「新宿1丁目」の交差点に戻り、右折して100mほど進んだ右手が「四谷水番所・四谷大木戸跡」です。

「四谷大木戸」は甲州街道を通って江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まるために設けられた関所です。

現在は石碑が建っています。


四谷大木戸跡


水道碑記



「四谷大木戸跡」のすぐ近くに「四谷水番所」が設けられていました。


玉川上水はここで水量を調節され、石樋や木樋で城下に配分されていました。



多武峯内藤神社


「四谷4丁目交差点」を右折し、外苑西通りに沿って300mほど進んだ「大京町北」の交差点を右折して路地を入ったところが「多武峯(とおのみね)内藤神社」です。

「多武峯内藤神社」の周囲一帯は、内藤清成が徳川家康から「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と拝領した土地です。


多武峯内藤神社



多武峯内藤神社

内藤清成が屋敷内(現在の新宿御苑)に家祖である藤原鎌足公を祀り、内藤神社を創建したことに始まります。

また藤原氏の氏神である奈良の春日大社より、経津主神、武甕槌命、天兒屋根神、姫神の分霊を勧請合祀してあります。

明治19年(1886年)に新宿御苑から現在地へ移設、遷座して今日に至っています。



国立競技場


「多武峯内藤神社」から外苑西通りに沿って南方向に500mほど進んだ「外苑橋」の信号を左折し、緩やか坂道を登って千駄ヶ谷駅方面からの広い道路に合流して100mほど進んだ右手の国立競技場内に「秩父宮記念スポーツ博物館」があります。

「秩父宮記念スポーツ博物館」は、日本の古いスポーツから現在までのスポーツの歴史を見学することができます。

東京オリンピック開催のため、国立競技場が新設されることから、現在は休館中です。


秩父宮記念スポーツ博物館



外苑西通り沿いの公園



明治神宮野球場

「秩父宮記念スポーツ博物館」から「外苑橋」の交差点の戻り、左折して外苑西通りに沿って進むと左手に公園が続いています。

公園内のもみじが綺麗に紅葉していました。

公園に沿って400mほど進んだ「観音橋」の交差点を左折し、200mほど進んだ「霞ヶ丘町」の信号を右折し、200mほど進んだ左手が「明治神宮野球場」です。


明治神宮野球場



明治神宮野球場


大正13年10月25日に、明治神宮外苑に競技場(現在の国立競技場)が完成し、10月30日に第1回明治神宮競技会が開催され、日本のスポーツ熱はこれを機に全国に波及しました。

特に野球については、大正13年8月1日に既に甲子園球場が竣工し、東京では早慶戦の復活や東京六大学野球連盟結成の動きがあり、これに対応して明治神宮野球場が大正15年10月22日に竣工しました。


明治神宮野球場



明治神宮野球場

当初は東京六大学や東都大学野球リーグ戦など、アマチュアがメインでしたが、現在では東京ヤクルトスワローズの本拠地としても使用されています。

今回の駅からハイキングはイベントとして開催されたため、この日は外野グランドが特別に開放されていました。

また、東京ヤクルトスワローズのマスコット「つば九郎」「つぼみ」との記念撮影会も開催されていました。


「明治神宮野球場」の隣りにあるのが「秩父宮ラグビー場」です。

「秩父宮ラグビー場」は昭和22年(1947年)に完成した、日本ラグビーにおける中心的な競技場です。

東大阪市の近鉄花園ラグビー場とともに「西の花園、東の秩父」と称される日本ラグビーのメッカといえる存在です。


秩父宮ラグビー場



青山霊園



青山霊園から東京ミッドタウンに向かう道路

「秩父宮ラグビー場」から道なりに200mほど進んだ「外苑前」の信号を左折し、200mほど進んだ「赤坂消防署入口」の信号を右折して、200mほど進むと「青山霊園」です。

「青山霊園」は、明治5年(1872年)に美濃国上藩の藩主だった青山家の下屋敷跡に開設され、当初は神葬祭墓地でした。明治7年(1874年)に市民のための公共墓地隣り、現在は東京都が管理しています。

霊園内には、大久保利通を始めとする明治期以降の著名人の墓が数多くあります。

忠犬ハチ公の墓もあります。


青山霊園内の「青山墓地中央」の信号を左折して、道なりに500mほど進むと幅広い道路にぶつかります。「外苑東通り」です。

右折して外苑東通りを200mほど進んだ左手が「東京ミッドタウン」です。


右手には六本木ヒルズが!



東京ミッドタウン



東京ミッドタウン


2000年、防衛庁本庁(現在の防衛省本庁)が檜町(住所表示は赤坂9丁目)から市ヶ谷に移転したことから、東京ミッドタウンの新しい都市計画が始まりました。


それは、防衛庁跡地と隣接する檜町公園を含めた、都心に残された大規模かつ優良な再開発事業です。

高い可能性を秘めたこのエリアに、オフィス、住宅、商業施設からなる、これまでにない「複合都市を」を創造したいという思いから、国際都市・東京にふさわしい「都市再生」も一翼を担う、一大プロジェクトがスタートしました。

そして、2005年に、創造と発信力を持ち、憩いの場としても親しまれるニューヨークのミッドタウンにちなみ、タウンネームが「東京ミッドタウン」と決定されました。

東京ミッドタウンは、ショッピングセンター、オフィスビル、ホテル、美術館、ホール、医療機関、駐車場、公園など、多様な施設から構成されています。最も大きな構造物であるミッドタウン・タワーは、地下5階、地上54階、高さ248mで、それまでの東京都庁舎第一庁舎の243mに代わり、東京都内で最高層のビルとなりました。

東京ミッドタウン一帯は江戸時代には、長州藩毛利家の下屋敷などがありました。
明治時代になり毛利家の屋敷の一帯は国の管轄に移り、第1師団歩兵第1連隊の駐屯地となりました。

第2次大戦後の一時期米軍の接収を受け、その後敷地の大部分に防衛庁が設置され、残りの部分が檜町公園として整備されました。



東京ミッドタウン



東京ミッドタウン



東京ミッドタウン



東京ミッドタウン


東京ミッドタウンの最大の特徴は、街の約40%を占める広大なグリーンです。

この広大なグリーンはミッドタウン・ガーデンと港区立檜町公園の2つで構成されています。

ミッドタウン・ガーデンはこの街を行き交う人に、憩いのひとときを提供する場所です。
サクラやクスノキなど、たくさんの木々が美しさを競う、自然のアートギャラリーといえます。

2004年5月に工事に着工し、約3年を経過した2007年3月、これからの国際競争におけるキーワードとなる「デザイン」をテーマに、日本の新しい価値と感性を世界に発信する拠点として、東京ミッドタウンはグランドオープンしました。

東京ミッドタウンは、広大なグリーンと6つの建物からなる新しいスタイルの複合都市です。




東京ミッドタウン



乃木神社



乃木神社

「東京ミッドタウン」を出て右折し、外苑東通りに沿って300mほど進んだ右手が「乃木神社」です。

「乃木神社」は、明治時代に活躍した軍人であり、明治天皇の崩御の際に殉死した乃木希典と乃木静子夫人を祀った神社です。

日本国内に複数の乃木神社があります。



乃木将軍の旧宅


赤坂の乃木神社は、乃木夫妻が明治天皇大葬の日に、自刃した邸宅の隣地にあります。

乃木将軍の旧宅も乃木神社の地続きに保存されています。

外苑東通りに面して建つ古い煉瓦積みは、明治22年(1889年)に作られた厩舎の外壁です。

旧乃木邸は、乃木将軍がドイツ留学中に見たフランスの連隊本部兵舎を自らスケッチして設計した。半地下地峡2階建ての木造建築です。


乃木将軍の旧宅



明治神宮外苑いちょう並木 見頃過ぎでした



明治神宮外苑いちょう並木

「乃木神社」から外苑東通りを500mほど進んだ「赤坂郵便局前」の信号を左折し、300mほど進んだ「青山2丁目」の信号の右手が「明治神宮外苑いちょう並木」です。

「明治神宮外苑のいちょう並木」は、4並列のいちょうの大木が作り出した見事な景観で、正面に聖徳記念絵画展館を望むことができます。


青山口から円周道路までの300mの並木には、9m間隔でいちょうが146本植えられています。

明治神宮外苑は大正15年(1926年)の創建ですが、その苑地造成に当たり、青山通り正面からの直線主要道路は、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹でもって四条の並木を造成することになりました。

これは、銀杏樹が、樹姿が端正であり、樹高も適当で緑量も豊富であり、気品も高かつ公害にも強く、威厳を保ちつつ年間を通して、訪問される方に好景観を呈することができるため、外苑の街路の並木として最適なものだという考えに基づくものです。


明治神宮外苑いちょう並木



いちょう祭り会場は大賑わい

いちょう並木を通り抜け、左折して外周道路に沿って300mほど進んだ右手が「聖徳記念絵画館」です。

聖徳記念絵画館は、明治天皇・昭憲皇太后の御聖徳を永く後世に伝えるために造営された、神宮外苑のシンボルともいえる存在です。

青山通りの外苑入り口から銀杏並木越しに見る景観は、東京を代表する風景のひとつとして広く親しまれています。



聖徳記念絵画館ではクラシックカーフェスタ開催中


館内には、明治天皇・昭憲皇太后の在世中の事蹟を伝える大壁画(縦3m。横2.5m〜2.7m)が、画題の年代順に展示されており、当時の出来事を時代を追って見ることができます。

知識を世界に求め、旧弊を退け、近代化への大きな飛躍を成し遂げた明治の時代。その様子を肌で感じることができるところです。


聖徳記念絵画館ではクラシックカーフェスタ開催中



信濃町駅付近

「聖徳記念絵画館」の前を東方向に通り抜け、突き当たりを左折して道なりに200mほど進んだ右手がJR信濃町駅(ゴール)です。



       風来坊


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