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豊島区芸術散歩〜池袋モンパルナスの面影を訪ねて (H26.5.23)


東京芸術劇場



東京芸術劇場内部

JR東日本の「駅からハイキング」のイベント「豊島区芸術散歩〜池袋モンパルナスの面影を訪ねて」に参加しました。

細部説明は「昭和初頭から戦後にかけて多くの芸術家が移り住んだ池袋西口周辺を散策するコースです。期間中は、新池袋モンパルナス西口まちかど回廊美術館イベントを開催しており、街のあちこちで「アート」を感じることができます」です。


コースの概要は次のとおりです。

JR池袋駅→東京芸術劇場(受付)→立教通り→旧江戸川乱歩邸→豊島区立熊谷守一美術館→小鳥がさえずる公園→長崎公園→トキワ荘跡地→豊島区トキワ荘通りお休み処→金剛院→上がり屋敷公園→自由学園明日館→豊島区立郷土資料館→→池袋駅(ゴール)


東京芸術劇場郵便局側出口



西池袋公園



西池袋公園

コースの歩行距離は約7.5km、歩行時間約1時間50分(施設での見学時間等を除く)、所要時間約3時間(施設での見学時間を含む)です。

写真を撮りながら散策しましたが、美術館見学をパスしたこともあり、所要時間3時間、約13000歩でした。

バラの花があちこちに咲いていました。


東京芸術劇場で受付を済ませて、豊島駅と反対側の郵便局の傍から外に出て左折し、100mほど進んだ「西池袋1丁目」の交差点を右折します。

50mほど進むと左手が「西池袋公園」です。

「西池袋公園」に沿って進み、公園の先を左折すると「立教大学」です。


西池袋公園



立教大学



立教大学

立教大学は、日本聖公会系のキリスト教主義学校(ミッションスクール)です。

米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が、明治7年(1874年)に聖書と英学の教育を目的として、築地の外国人居留地に設立した立教学校が母体です。

関東大震災で築地の校舎を焼失しましたが、大正7年(1918年)に校地を現在地に移し、現在に至っています。



立教大学



立教大学


大学令により、大正11年(1922年)に立教大学に昇格しました。

大学創立当初からの建物が多く、趣のあるキャンパスです。

中央時計台のあるツタの絡まる本館、2号館、図書館本館(現在は閉館)、第一食堂が東京都選定歴史建造物に指定されています。


江戸川乱歩邸への案内版



旧江戸川乱歩邸



旧江戸川乱歩邸・土蔵



旧江戸川乱歩邸

立教大学の正門の少し先を右折して100mほど進んだ左手が「旧江戸川乱歩邸(江戸川乱歩記念大衆文化研究センター)」です。

江戸川乱歩は昭和9年(1934年)、立教大学に隣接する住宅に移り住み、70歳で死去するまで、31年間ここに住み続けました。

この地に転居して2年後に、大ヒット作「怪人二十面相」が誕生。やがて、明智探偵と小林少年が活躍する「少年探偵団」が連載されるようになりました。



旧江戸川乱歩邸・応接室



旧江戸川乱歩邸・土蔵


2階建ての書庫兼書斎の土蔵は「幻影城」と呼ばれ、2万点近くの資料、蔵書を保管し、壁は江戸文学などの本で埋め尽くされていました。

江戸川乱歩死去後、住宅はそのままになっていましたが、2002年に立教大学が、この土蔵・住宅と蔵書、資料を購入し、内容の研究を進めると同時に、土蔵を乱歩が住んでいた当時の姿に近づけるための修復も実施しました。

現在は水曜日と金曜日に一般公開されています。


旧江戸川乱歩邸・土蔵



東京メトロ有楽町線要町駅



豊島区要町



豊島区要町

「旧江戸川乱歩邸」から細い路地を100mほど進んだ「西池袋5丁目」の信号を左折し、200mほど進むと「要町1丁目」の交差点です。ここで山手通りを横切り、さらに400mほど進んだ「要町2丁目」の信号を左折し、50mほど先のY字路の左側の道路を道なりに300mほど進んだ右手が「豊島区立熊谷守一美術館」です。

「熊谷守一美術館」は、熊谷守一が45年間住み続けた豊島区千早の旧宅地後に、昭和65年(1990年)に、守一の次女・熊谷榧(かや)が「父の作品を常設で見られる美術館を」と個人美術館として開館しました。



豊島区立熊谷守一美術館


榧氏が長く私設で運営していましたが、作品の散逸を防ぎ末永くこの場所で末永くこの場所で守一の作品を見ていただきたいという思いから、所有の守一の作品153点を豊島区に寄贈し、平成19年11月に豊島区立となりました。

1階は「アゲハチョウ」「自画像」などの油絵、2階は墨絵や書を中心とした作品を常設展示し、3階はさまざまな作家の個展や企画展が行われています。


豊島区立熊谷守一美術館



豊島区立熊谷守一美術館


豊島区立熊谷守一美術館



小鳥がさえずる公園



小鳥がさえずる公園

「熊谷守一美術館」から100mほど進んだ交差点を右折して100mほど進むと左手に「千早緑地公園」があります。公園の手前を左折し、細い路地を300mほど進むと左手に「千早児童館」があります。

その先の四叉路を左折して50mほど進んだ右手が「小鳥がさえずる公園」です。


「小鳥がさえずる公園」は、屋敷林をマンションにする計画が持ち上がったときに、近隣の緑を愛する人々の願いを受けて、豊島区が土地を買い上げ、平成7年(1995年)に公園としました。

かつて屋敷林のあった頃のように「小鳥がさえずる豊かな自然環境」を再現するよう、公園の大部分は小鳥等の生き物の生育場所として、保護された空間となっています。


道路沿いの観察広場からは雑木林や小川、池のある小鳥たちの空間が見られ、カルガモの子育てや鳥の水浴びなどをじっくり観察することができます。


小鳥がさえずる公園



長崎公園



長崎公園

「小鳥がさえずる公園」から南方向に100mほど進んだ四叉路を左折し、100mほど進んだ四叉路を右折して100mほど進むと「長崎公園」です。

「長崎公園」は、学習院大学の職員住宅跡地に、平成8年(1996年)に造られた公園です。豊島区では珍しくなった「原っぱ」の公園です。

ひょうたん型の築山や雑木林風の空間があり、水遊びのできる小川も流れ憩いの空間となっています。


公園の南側には芝生の広場と、区民の方が丹念に栽培しているバラ園があります。

また、公園の外周をレンガの小道がぐるっと囲んでいて、ウォーキングを楽しむことができます。

カリンやタラヨウ、ナンキンハゼ、ピンオークなどといった珍しい樹木も植えられています。


長崎公園



トキワ荘通り



トキワ荘の記念碑

長崎公園の東端から南方向に300mほど進むと西武池袋線の踏切で、さらに400mほど進んだ丁字路を左折すると「南長崎ニコニコ商店街」で、トキワ荘通りと呼ばれています。丁字路から50mほど進んだ「南長崎花咲公園」に「トキワ荘」に関する記念碑が建っています。

台座部分にはトキワ荘に入居していた10人のマンガ家による自筆の似顔絵とサインが刻まれ、上部にはトキワ荘のブロンズ模型が設置されています。


また、模型の玄関前にはスクーターがありますが、これは毎日のようにトキワ荘に通った、つのだじろうの愛車で、記念碑に刻みきれないほど多くの通い組のマンガ家がいたことを象徴しています。

「トキワ荘」は、豊島区椎名町5丁目(厳・南長崎3丁目」にあったアパートです。

昭和28年(1953年)に、新築間もないトキワ荘の2階に手塚治虫が入居しました。家賃は3千円、押し入れ付4畳半の部屋でした。その頃、椎名町をはじめとする西武線沿線地域には多くの漫画家が住んでおり、手塚治虫もこの地域に憧れ、雑誌「漫画少年」の編集者の紹介で入居したといわれています。


トキワ荘の記念碑



トキワ荘跡案内版

翌年、手塚は豊島区雑司が谷のアパート並木ハウスに転居します。その際、トキワ荘の空いた部屋の敷金をそのままにしておくからと、藤子不二雄に入居を勧めます。彼らが喜んで、憧れの手塚の部屋に入居したのは有名な話です。

手塚が入居すると、「漫画少年」への投稿仲間であった若い漫画家が次々とトキワ荘にやってきました。寺田ヒロオ、鈴木伸一、森安なおや、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子、よこたとくお等が、漫画家を志して入居します。20歳前後で上京した彼らは、お互いに励まし合いながら創作に打ち込みました。ひたむきに仕事に取り組み、仲間と集う日々は、笑いと活気に満ちたものでした。


寺田は、若手漫画からと「新漫画党」を結成し、トキワ荘を拠点に活動します。この頃には、近郊から通ってくる漫画家も多く、トキワ荘は「漫画家の梁山泊」ともいわれました。

手塚を慕う若手漫画家が集まったトキワ荘。彼らの活躍によって、トキワ荘の名も全国的に有名になりました。トキワ荘は現存しませんが、この地で若き漫画家たちが青春を過ごし、研究と努力の末に、今日の地位を築いていったことは、かけがえのない地域の誇りであり「漫画家の聖地」として語り継がれているとのことです。

トキワ荘の跡地に一番近い南長崎花咲公園に、この記念碑は設置されたとのことです。


トキワ荘跡?



トキワ荘通り



豊島区トキワ荘通りお休み処



豊島区トキワ荘通りお休み処

南長崎花咲公園から、トキワ荘通りを200mほど進んだ左手の路地の入口に「トキワ荘跡」の案内板があります。「トキワ荘」はこの路地を入った右手の「日本加除出版」の建物のところにあったようです。

「トキワ荘跡」の案内板から100mほど進んだ左手に「トキワ荘通りお休み処」があります。


トキワ荘のあった街である南長崎地域では、トキワ荘の記憶を地域文化として後生に繋げるためのさまざまな取り組みを行っており、「あの史跡のある街でマンガとであう」をテーマに、トキワ荘の跡地エリアに2013年12月15日にオープンしたのが、「豊島区トキワ荘通りお休み処」です。

「豊島区トキワ荘通りお休み処」では、現在のマンガの原点となった「トキワ荘」の記憶を残すとともに、マンガ文化を発信しています。

風来坊が訪ねたときは、来訪者が1万人を超えた記念ということで小冊子をいただきました。


豊島区トキワ荘通りお休み処



山手通り



すずらん通り

「豊島区トキワ荘通りお休み処」からトキワ荘通りを100mほど進むと目白通りです。左折して目白通りに沿って200mほど進んだ「南長崎1丁目」の交差点を左折し、今度は山手通りに沿って進みます。150mほど進んだ歩道橋の手前の左斜め方向に進む路地に入ります。

路地を道なりに200mほど進むと左側に椎名町公園があり、さらに100mほど進むと西武池袋線の踏切で、踏切の右側が「椎名町駅」です。踏切を渡って右折しすずらん通り商店街を進むと前方に高架(山手通り)があり、その左手前が「金剛院」です。


「金剛院」は、大永2年(1522年)に開創された真言宗豊山派の寺院です。

安永9年(1780年)に建立された山門は、将軍家と縁のある家などだけに特別に建造を許可された朱塗りの赤門です。豊島区の有形文化財に指定されています。

工事中のため赤門の撮影ができませんでした。


金剛院



この路地を進みます

「金剛院」から山手通りのガードを潜り、左折して100mほど進んだ右側の路地に入り、道なりに300mほど進むと左側が「西池袋中学校」で、さらに300mほど進むと左側が「池袋第3小学校」です。

「池袋第3小学校」を過ぎた四叉路を右折し、300mほど進んだ三叉路を左折して100mほど進んだ左手が「上り屋敷公園」です。


「お上(あが)り屋敷」とは江戸時代の狩場の休憩所のことです。付近に「お上がり屋敷」があったことから、やがて地名となり、現在は住宅地の中にある公園の名称として引き継がれました。


園内中央にある豊かな葉をもつ1本のムクノキが公園のシンボルで、周囲はまるい形の運動広場となっています。

周囲に巡らされたカラー舗装の園路がこどもたちの大好きな遊具へと導いています。

園内は緑も豊富で、ヒマラヤスギやクスノキなどの高木とキンモクセイやコブシ、ソメイヨシノなどがあり、四季折々に美しい花々が楽しむことができます。


上り屋敷公園



自由学園明日館



自由学園明日館

「上り屋敷公園」から100mほど進んだ左手が「自由学園明日館」です。

「自由学園明日館(みょうにちかん)」は、大正10年(1921年)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライト(帝国ホテル設計者)の設計により建設されました。

夫妻の目指す教育理念に共鳴したライトは、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の希いを基調とし、自由学園を設計しました。



自由学園明日館


木造で漆喰塗の建物は、中央棟を中心に、左右に伸びた東教室棟、西教室棟を配しており、高さを抑えた、地を這うような佇まいが特徴です。

道路を隔てた南西には、300人収容できる講堂があります。

昭和9年(1934年)に自由学園が東久留米市南沢に移転してからは、明日館は主として卒業生の事業活動に利用されてきました。


自由学園明日館



自由学園明日館



自由学園明日館

その後、明日館の歴史的、芸術的価値が評価され、平成9年(1997年)に、国の重要文化財に指定されています。

関東大震災や第2次世界大戦の空襲からも免れた明日館ですが、80年の歳月のなかで老朽化が顕著になったため、平成11年(1999年)から平成13年(2001年)にかけて保存修理工事が行われています。


「自由学園明日館」の先を左折し、道なりに150mほど進むと幅広い道路に出て、正面が「ホテルメトロポリタン」です。

その手前を左折し50mほど進むと左手に池袋警察署があり、その裏手に勤労福祉会館があります。

「勤労福祉会館」の7階が「豊島区立郷土資料館」です。豊島区に関連する郷土資料を展示しています。常設展では、雑司ヶ谷鬼子母神、駒込・巣鴨の園芸、池袋のヤミ市、長崎アトリエ村について紹介しています。


労働福祉会館



池袋警察署前交差点



東京芸術劇場前

勤労福祉会館から池袋警察署前の交差点を横切って300mほど進んだ右手が「東京芸術劇場」です。

さらに100mほど進んだ「西口五差路」の交差点を右折して200mほど進むとJR池袋駅西口(ゴール)です。



          風来坊


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