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開運!蒲田から池上七福神を巡る (H26.1.16)


サンライズ商店街



JR蒲田駅

JR東日本の「駅からハイキング」の「開運!蒲田から池上七福神を巡る」に参加しました。

サブタイトルは「新しい年の始まりに池上七福神を巡りながら、大田区の歴史に触れてみませんか」です。

細部説明は「昭和の香り漂う町『蒲田』の商店街からスタートし、池上本門寺周辺にある池上七福神や文化施設を巡りながら大森駅前の商店街まで歩く約10キロのハイキングです」です。


コースの概要は次のとおりです。

JR蒲田駅(受付)→サンライズ商店街→曹禅寺(布袋尊)→微妙庵(毘沙門天)→馬頭観音堂(大黒天)→本成院(福禄寿)→池上本門寺→昭栄院妙見堂(樹老人)→養源寺(恵比寿)→厳定院(弁財天)→大田区立郷土博物館→龍子記念館→ウィロード山王商店街→アキナイ山王亭(ゴール)→JR大森駅


サンライズ商店街



サンライズ商店街



サンライズ商店街

コースの歩行距離は約9.3km、歩行時間は約2時間20分(施設での見学時間を除く)、所要時間約3時間20分(施設での見学時間等を含む)です。

写真を撮りながら散策したこと、大田区立博物館ら龍子記念館に立ち寄ったことなどから、所要時間4時間20分、1万4千歩でした。


このコースは「端末受付コース」ですので、JR蒲田駅で参加登録し、地図などの関連資料を受け取ってすぐにスタートです。

JR蒲田駅の西口を出て、左前方に進むと「サンライズ商店街」入り口です。

蒲田駅西口から伸びるサンライズアーケードと、その先の東急池上線の踏切まで続く商店街です。

奥に進むにつれて個人商店も多くなり、下町の風情を感じることができます。


サンライズ商店街



田中硝子を右に見て右折

サンライズ商店街を通り抜け、東京池上線の踏切を渡ってそのまま400mほど進むと環八通りです。

環八通りの手前を右折して、700mほど進んだ左手が曹禅寺です。

右折する右側の田中硝子が目印です。



曹禅寺


当地区は古来より曹洞宗(禅宗)の寺院がなかったため、昭和7年(1932年)に矢口町に教会を開設。新寺建立の許可が下りなかったため、牛込白銀町にあった盛高院の寺号を継いで昭和14年(1939年)に創建したものです。

曹禅寺は、布袋尊を奉っており、池上七福神の色紙も置いてあることから、 七福神巡りのスタートのお寺としても知られております。

布袋尊は、福徳・円満・忍耐を授ける弥勒菩薩の化身です。また、七福神の教義を仏典では「七難即滅・七福即生」と説いています。深く信仰すれば、七つの災難が幸福に転化するというのです。


布袋尊



微妙庵



毘沙門天

「曹禅寺」から元の道を北方向に進み、2つめの信号を左折して徳持小学校に沿って進み、2つ目の交差点を右折して200mほど進むと東急池上線の踏切です。

踏切を渡ってさらに200mほど進んだ右手が「微妙庵」です。

微妙庵に祀られている毘沙門天は、威光と財宝授与の守護神です。品川沖で拾い上げられたと伝わり、小さいながらも迫力のある姿をしています。



左前方の階段を登ります


「微妙庵」から50mほど進むと幅広い第二京浜国道にぶつかります。

第二京浜国道に面して建っている池上警察署に沿って右折し、池上警察署を過ぎたところを左折して100mほど進んだ階段の上にあるのが「馬頭観音堂」です。

幕末に新政府軍の本営となっていた本門寺に潜入を試みて捕らえられ、斬首された渡辺健造の墓があった場所に建てられたお堂です。

食物・財宝を司る大黒天が祀られています。


馬頭観音堂



池田屋


相模屋



本就院

「馬頭観音堂」から元の道に戻り、道なりに400mほど進むと「本門寺前」の交差点です。交差点の手前に、久寿餅の相模屋と池田屋があります。

「本門寺前」の交差点を左折し、橋を渡ってさらに本門寺方向に100mほど進んだ左手が「本成院」です。


「本成院」は池上本門寺の旧塔頭の一つで、福禄寿を祀っています。

本成院は、弘安5年(1282年)上の北谷の地に、日蓮聖人の直弟子日向聖人の庵室として開創、その後東谷にあった本成坊が廃寺となり、これと合併し再興しました。享保年間(1716〜1736年)に現在地に移り再建、本成院と称しています。

福禄寿は名前のとおり、幸福・封禄(財産)・長寿を授ける老人神で、長い杖を持ち長いひげを生やした姿をしています。


本就院



池上本門寺



池上本門寺

「本成院」から100m進むと池上本門寺です。

池上本門寺は、日蓮聖人が弘安5年(1282年)10月13日に、61歳で入滅(臨終)した霊跡です。

日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かい、その途中で武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲の館で亡くなりました。



池上本門寺



池上本門寺


長栄山本門寺という名前の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けたものです。

そして池上宗仲が、日蓮聖人入滅の後、法華経の字数(69,384)に合わせて69,384坪の寺域を寄進し、寺の礎が築かれ、以来「池上本門寺」と呼ばれています。

毎年10月11日〜13日の3日間に亘って、日蓮聖人の遺徳を偲ぶ「お会式法要」が行われ、殊にお逮夜に当たる12日の夜は、30万人に及ぶ参詣者で賑わうとのことです。


池上本門寺



大坊本行寺



池上本門寺本堂



池上本門寺

「池上本門寺」は、慶長年間には徳川家康から寺領100石をうけ、江戸時代初期には加藤清正、前田利家や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となり多くの保護を受けましたが、寛永7年(1630年)に不受不施派の禁令により、不受不施派の中心的存在であった池上派の本門寺16世貫主日樹は飯田に流罪となりました。

幕末の慶応4年(1868年)には、東征軍の東海道先鋒本営が置かれました。



池上本門寺


池上本門寺


池上本門寺は、全国に旧末寺200ヶ寺を持つ大寺院で、日蓮宗の十四霊蹟寺院、七大本山の一つに数えられています。

境内には、加藤清正の供養塔や徳川家墓所、幸田露伴や力道山の墓などがあります。

また、国の重要文化財である五重塔は、慶長12年(1607年)2代将軍秀忠が、乳母正心院の願いで建立したもので、高さは29.8m、関東では最古のものです。


池上本門寺:力道山墓所



池上本門寺:松涛園



池上本門寺

本殿裏の朗峰会館北側に位置する松涛園は、自然の窪地に作庭され、客殿から俯瞰できる景観が特徴といえます。池泉は豊富な地下水からの湧水です。

作庭者は小堀遠州で、江戸時代の大名庭園の祖形といえるものです。

1868年4月、西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会見をした場所で、隆盛の弟・西郷従堂が揮毫した西郷・勝両雄会見碑が園内に残されています。


池上本門寺の五重塔の近くに「大田区立池上会館」があります。

この屋上は展望台になっており、視界の良いときは富士山も望むことができます。

五重塔から、「大田区立池上会館」を右手に見ながら「妙見堂参道」の案内板に従って100mほど進んだ右手が「照栄院妙見堂」です。


大田区立池上会館



大田区立池上会館



かすかに富士山が!

照栄院は、正応4年(1291年)日朗聖人の庵室として創建、日鏡上人が中興したと伝えられています。

寛文4年(1664年)には加藤清正の娘瑶林院が、夫の紀州徳川頼宣の現世安穏後世善処を祈念して妙見菩薩立像を当院に奉納したほか、元禄年間(1688〜1704年)には当院内に南谷檀林が開設され、檀林所となっていたといわれています。


大坊本行寺、理境院と共に池上三院家の一つです。


本堂に向かって左手の小さな祠に樹老人が祀られています。

妙見堂に籠もり、いつかは貫首になりたいと修行する僧に、大樹の元に現れた老人が「修行は高価な法衣を着るためではなく、人々のかたくなな心の衣をはがすためだ」と諭したという。

修行を終え、故郷に帰った僧が再び妙見堂を訪れたときに、老人が立っていた大樹が大風で倒れているのを見て、その樹で老人の姿を彫らせたのが樹老人の象(現在の像は再刻)と伝えられています。

照栄院



養源寺



恵比寿神

照栄院から、前方の急な石段を降りて、左手に100mほど進んだ左手が「養源寺」です。

養源寺は、松平右京大夫隆政の母、養源院殿妙荘日長大姉の発願により、荏原郡浜竹村(東蒲田付近)にあった本成寺を松平家の所領であった当地に移転、池上本門寺十八世日輝聖人を迎えて慶安元年(1648年)に開山しました。

養源寺は、本門寺歴代住職の隠居所となり、八代将軍吉宗が鷹狩りの際には御膳所にもなりました。

寺務所入口に、商業・漁業繁盛、家庭円満の福の神である恵比寿神を祀っています。



厳定院


養源寺から元来た方向に200mほど戻って右折すると前方が池上本門寺です。

池上本門寺の手前を左折して、道なりに300mほど進んだ右手が「厳定院」です。

「厳定院」は、正応2年(1289年)池上本門寺2世日朗聖人の直弟子、厳定院日尊聖人が開創しました。大正9年(1920年)には、別院として池上鬼子母神堂を建立しています。


厳定院



弁財天

「厳定院」は池上本門寺の旧塔頭の一つで、門や本堂に施されている彫刻が見事です。

本堂に向かって右側の石造りの弁天堂に、芸術・弁舌・才知・財宝を司る弁財天が祀られています。



池上梅園


「厳定院」から道なりに200mほど進んだ右手が「「池上梅園」です。
池上梅園は、丘陵斜面等を利用した閑静な庭園です。

戦前までは北半分は日本画家伊東深水氏の自宅兼アトリエで「月白山荘」と呼ばれていましたが、戦災で焼失しました。

戦後、築地の料亭経営者の小倉氏が南半分を拡張し、別邸として使用していました。

小倉氏逝去後、ご遺族の意志により、庭園として残すことを条件に東京都に譲渡されました。


池上梅園



池上梅園


池上梅園



池上梅園



池上梅園

その後、昭和53年(1978年)に大田区に移管され、大田区の区花である梅を中心に植林が進められ、現在では約370本(白梅150本、紅梅220本)を数えるに至っています。

毎年1月上旬のロウバイから3月中旬の八重揚羽まで2ヶ月間にわたり、30種あまりの梅を楽しむことができます。

また、園内には50本のボタンや800株のツツジなど、50種500本の樹木があり、四季を通じて花を楽しむことができます。

また、園内には茶室、和室の施設や水琴窟などがあります。


池上梅園の先を左に30mほど進むと第二京浜国道です。

右折して第二京浜国道に沿って500mほど進んだ「西馬込」の交差点を右折して、道なりに300mほど進んだ右手が「大田区立郷土博物館」です。

「大田区立郷土博物館」は、大田区を中心とした考古・歴史・民俗資料などの文化遺産を保管・展示しています。


大田区立郷土博物館



龍子公園の梅

「大田区立郷土博物館」のすぐ先の交差点を右折し、道なりに1Kmほど進んだ「龍子記念館入口」の信号を右折し、100mほど進んだ左手が「龍子記念館」です。

「龍子記念館」は、昭和38年(1963年)に川端龍子画伯の喜寿の記念に、画伯自身が設計し、設立しました。龍子画伯の作品を逐次入れ替えながら展示しています。素晴らしい作品でしたが、撮影禁止のためお届けできません。

向かい側の龍子公園は、画伯の旧宅と画室庭園とを整備したものです。


「龍子記念館」から「龍子記念館入口」の交差点に戻り、そのまま300mほど進むと環状7号線にぶつかります。

右折して200mほど進んだ「春日橋」の交差点で環状7号線を横断すると、「ウィロード山王商店街」です。

「ウィロード山王商店街」はJR大森駅から南に延びる商店街で、環状7号線までの間に約40店舗の専門店が建ち並ぶ歴史ある商店街です。

平成24年の「第8回東京商店街グランポリ」で準グランプリを受賞しました。


龍子記念館



ウィロード山王商店街

この商店街の空き店舗を利用して平成24年に誕生したのが「アキナイ山王亭」です。

「アキナイ山王亭」は無料お休み処です。

真一周土曜日は「石巻マルシェ」として、石巻から直送される商品を販売し、復興支援の活動拠点となっています。

「アキナイ山王亭」から約5分で、JR大森駅です。


           風来坊


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